ブッダの処方箋 #3

  1. 人生

“自分だけ取り残されてる”焦燥感から抜け出すヒント

友達の結婚、昇進、充実したライフスタイル……。周りの変化を目の当たりにして、「自分だけ成長していない」と不安を感じることは少なくありません。

ですが、みんなと同じになることが本当の幸せなのでしょうか?

誰かと比べるのではなく、自分の良いところに目を向けて、人生をもっと輝かせるための仏教のメッセージをお届けします。


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友達との再会は嬉しかったけど……

皆さんは人との違いによって、苦しんでしまうことはありませんか?

先日このような相談を受けました。

40代の女性の方ですが、高校時代の友達と久々に話す機会があったそうです。

そこで出てきた話題は、あの人は今こんな仕事をしている。あの人は3人目の子供ができた、など相手の人も含めて懐かしい友達の最近の様子でした。

話している時は楽しかったのですが、終わってみると、自分だけが成長していない、取り残された感じがして、何とも言えない不安を感じたということでした。

ご自分の心の動きを、とても細やかに見ておられるなと思いましたし、繊細な感性を持っておられる方は、同じような悩みを持っておられるのではないかと思います。

他の人との違いを感じてつらくなる、みじめになるという声は少なくありません。

特に今回のように、久しぶりに会った友達の変化は余計に大きく感じますので、なおさらかもしれません。

日常の中で生まれる「比較」と「焦り」

高校時代は会っている時は基本的に同じことをしているので、そんなに違いを感じることはなかったかもしれません。

しかし、時間が経つとそれぞれの人生を歩みますので、違いが大きくなってきますね。

仕事ならば、私は毎日平凡な事務仕事。

それに比べて次々新しいことを任されて、しかも結果を出していく同期の人があったりすると、「だって部署が違うからね」とは言うものの、仮にそこに移動になっても、「自分じゃ無理だろうな……」と思います。

結婚しても、結婚記念日や付き合った記念日には、ちゃんとプレゼントを欠かさないとか、単純に収入がすごいとか、友達のパートナーとどうしても比べてしまって、結婚という同じことをしたはずなんだけど、「何なんだろうこの違いは」とか思います。金銭感覚でもありますね。

バリバリ働いて、海外旅行にエステ通い、ランチにも結構お金をかけている友達を見ると、子育て中で何かと節約している自分にはない輝きを感じます。

ところが、その逆もあり、ママになった友達から「いいな、自分で好きなものを買えて。子どもがいるとお金がかかるから、ママになると物欲なくなるって本当よ」と言われたりします。

羨ましがられているはずなのですが、素直に喜べず、「友達は子どもを育てているのに、私は今のままでいいんだろうか」と焦ってしまう。

それぞれに悩みは絶えません。

幸せを減らす「隣の芝生」

こうした違いを「格差」とか表現されるとなおさら際立って、不安を感じたり、悩みの元になったりしています。

色々あげましたが、共通しているのは「他の人と比べている」ということです。

私たちはどうしても誰かと比べてしまいます。

不安や悩みの多くは誰かとの比較から始まりますし、それによって深刻になっていきます。

1万年堂出版の『こころの道』という本の中で、こんなイソップ物語の話が紹介されています。

イソップ物語「肉をくわえた犬」

匹の犬が、大きな肉をくわえて歩いていました。

落ち着いて食べられる場所を探しているようです。

川にかかる橋を渡っていた時です。

下を見ると、そこに1匹の犬がいます。

しかも、自分の肉より大きくて、美味しそうな肉をくわえています。

羨ましくなってきた犬は、それが川に映った自分の影と分からずに、「よし、脅かしてあいつの肉を奪ってやろう」と、思いっきり大きな声で吠えたのです。

すると同時に、くわえていた肉が、水中へ落ちて流れていってしまいました。

犬はせっかく手に入れた肉を失ってしまいました。

本の最後にはこうあります。

諺(ことわざ)にも「隣の芝生は青い」「隣の牡丹餅は大きく見える」などとあるように、他人のものは、何かにつけ、よく見えてしまう。せっかく幸せを手に入れても、他と比べると喜びが減ってしまう。なんと悲しいことだろう。「もっと、もっと」と、欲を出したために、最後には、すべてを失ってしまう悲劇が、あとを立たない。はたして、この愚かな犬を、笑うことができるだろうか。

『新装版 こころの道』より

幸せの正体とは?

せっかくの幸せが、比べることで減ってしまう。

誰かと比べて自分の方が上にいるとき、例えば綺麗なもの、高価なもの、新しいものを持っているとき、そんな時に優越感を覚えます。

実は、この優越感が私たちの求めている幸せです。

ところがやはり上には上がいますし、綺麗なもの、新しいものが次々と出てきますから、いつまでも私が1番ではいられません。

「なぜ、私の幸せは続かないのだろうか?」と今まで考えたことのある方は、少なくないと思います。

実は、ここに原因があります。

さっきまで感じていた優越感も、比べる相手を間違えたとき、もう喜べなくなってしまいます。

また気がつくと幸せになるために、自分よりもあまり持っていない人、気の毒な人を探すようになっています。

こういう言い方をすると、「さすがにそんな嫌な人間じゃない」と思いますが、何か失敗をしてしまったとき、他にも失敗した人、もっと失敗した人がいると安心します。

私たちは今まで、「自分」というものを、周りとの関わりの中で認識してきました。だからなかなかこの考え方からは抜け出せません。

「みんな一緒」になれば、比べる必要はなくなります。

子どもたちは同じキャラクターのグッズを持つとか、一緒に帰る、一緒に遊びに行くなど、みんなと一緒を大事にします。

しかし、子ども時代であってもみんなと一緒にするのは結構大変でしたから、大人になって好みや考え方が違ってくると、周りと合わせることはとても窮屈になります。

ブッダに学ぶ、個性を輝かせる生き方

もっと自由に生きていくにはどうすればいいのでしょうか?

誰にでも好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、不得意なことがあります。

才能、性格など、その人その人の個性です。

そこに優劣をつけるのではなく、まずは違いを認めて、自分の良いところに目を向けることで、「周りと同じにしないと幸せにはなれない」という考え方から、少しずつ抜け出すことができます。

前回お話ししましたが、お釈迦さまの教え方は「応病与薬」と言われます。

お薬は病気に応じて出されます。

当たり前のことですが、何でもいいからこの薬を飲みなさいではありません。

同じように、1人1人考え方や環境も違いますし、悩んでいることも同じではありません。

お釈迦さまは、そんな1人1人に寄り添って、1人1人の違いを大切にして、教えを説いて導かれました。

今日のブッダの処方箋

有名な阿弥陀経の一節に
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」
(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう みみょうこうけつ)
という言葉があります。

極楽浄土に咲く蓮の花の様子を表されたものです。

青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光ありて、微妙香潔なり。

蓮の花の色はそれぞれ違いますが、それぞれの色で光を放ち、その香りはとても素敵なのだそうです。

みんなが同じ色になることが幸せなのではなく、色は違うまま、どの花も輝いている、光を放っている。

1人1人の個性はそのままで、輝く存在になる方法が、実は2000年以上も昔から仏教では教えられています。

そのヒントは「自分のことをよく知る」ということです。

皆さんにもきっと良いところがたくさんありますので、ぜひそれを見つけて今のあなたをもっと輝かせていただきたいと思います。


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