今回は光源氏の最初の妻となる葵の上(あおいのうえ)を紹介します。
葵の上は身分の高い家に生まれたお姫様で、プライドが高く、素直じゃないところがあります。
いわゆる「ツンデレ」タイプなのですが、素直になれず、強がってしまう不器用な人、あなたの周りにもいませんか?
今回は、そんな葵の上について書いていきたいと思います。
光源氏と政略結婚!最初からギスギスした二人
葵の上の父は左大臣、母は帝の妹で、とても身分の高い両親のもとに生まれました。
将来は皇太子(将来、帝になる人)の妃にふさわしい女性となるよう、とても大切に育てられたのです。
ところが父は、皇太子ではなく、帝が一番可愛がっていた2番目の息子・光源氏と葵の上を結婚させることにしました。
いわゆる政略結婚です。
葵の上からすれば、もっと高い身分になれるはずだったという思いもあり、誰よりも大切にされて当然と考えています。
一方、夫となった光源氏は藤壺(ふじつぼ)という女性にあこがれていたため、葵の上を大切にしようという気持ちになりません。
結婚したものの、最初からギスギスしていた二人なのでした。
葵の上のきょうだいで、源氏の親友・頭中将(とうのちゅうじょう)は、何事にも落ち着いて対応できる葵の上は結構理想の妻なのにな、と思います。
しかし光源氏は、隙がないからこそ一緒にいても心が休まらないんだ、という気持ちだったのです。
葵の上の性格がわかる2つのエピソード
結婚後、光源氏に対してずっとそっけない葵の上。
彼女のツンツンしている性格がよくわかるエピソードを2つ紹介しましょう。
➀療養明けの光源氏に放った一言
結婚して6年が過ぎた頃のこと。
体調を崩してしばらく療養していた光源氏が、久しぶりに葵の上のもとを訪れました。
久しぶりに会ったというのに、葵の上はまるで絵に描いた物語のお姫様のように座って身じろぎもしません。
光源氏は、
「私は病気で苦しんでいたのに、『具合はどうですか?』と聞いてくれないんですか?」
と葵の上に言葉をかけました。
この時の葵の上の様子が次のように書かれています。
「『具合はどうですか?』と聞かないのはひどいことでしょうか」
と、流し目で光源氏を見る葵の上のまなざしは、たいそう近づきがたい気品に満ちてうつくしい。
【原文】
「問わぬはつらきものにやあらん」と後目(しりめ)に見おこせたまえるまみ、いとはずかしげに気高ううつくしげなる御容貌(おんかたち)なり。
この言葉には、なかなか自分の元へ来てくれない光源氏への不満も含まれていました。
しかし、葵の上は決して感情的に怒ったりすることはなく、あくまでもツンとした態度で言葉にするのでした。
➁六条御息所との「車争い」
また、葵の上には有名な「車争い」のエピソードがあります。
あるとき光源氏が賀茂祭に関わる行列へ参加することになり、彼の晴れ姿を見たい、と葵の上の女房(お世話をする人)たちが言いました。
葵の上は妊娠していたので、つわりで気分が悪く、出かけるつもりはまったくありません。
しかし母親にも勧められて、仕方なく遅くに出かけたのです。
行列の見物場所である一条大路は牛車などでいっぱいでした。
葵の上の従者たちは、見やすい場所を探して他の牛車を無理やり押しのけていきます。
その中になんと光源氏の愛人・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の牛車がありました。
六条御息所の従者たちは腹を立て、どちらも若者たちが酒に酔っていたこともあり、車争いとなったのです。
葵の上の従者たちは「光源氏様の愛人ふぜいが…、こちらは正妻の葵の上様だぞ!」とさんざん乱暴をはたらいて御息所の車を傷つけ、奥にのかせました。
つわりで体調が悪かったからでしょうか、葵の上は一連の出来事を見ていたのに、何も注意しませんでした…。
たくさんの人の前で大恥をかかされた六条御息所は屈辱をかみしめ、葵の上を大変憎むようになったのです。
誤解されやすい?葵の上の愛すべき2つの面
上記の2つのエピソードを読むと、葵の上は冷ややかな人だと感じてしまうかもしれません。
実際、源氏物語の読者には、彼女を思いやりのない人だと評価している人も多いようです。
しかし、これはあくまでも彼女の一面です。
今から葵の上の別の部分を見ていきましょう。
➀感情的にならず、悪口も言わない
葵の上の特徴は、どんなときも感情的にならなかったことです。
また、人の悪口をいうこともありませんでした。
源氏物語の他のヒロインたちは、嫉妬したり、感情的になったりする場面がしばしば登場します。
しかし、葵の上にはそういった場面がありません。
光源氏が他の女性のところへ行っても、常に端然としています。
嫌な思いをしていても、光源氏が冗談を言えば無視することなく相応の返事をしました。
そんな葵の上は、とくに鎌倉時代において、とてもいい女性だと評価されていたようです。
武家社会では、何事にも動じることなく家を守る女性が理想的とされていたのでしょう。
➁やきもちや不満を伝えられない不器用さ
感情を表に出さなかった葵の上ですが、何も感じていなかったわけではありません。
心の中ではさまざまな感情があったことでしょう。
ただ、彼女は物わかりがよすぎるために、気持ちを言葉にすることができませんでした。
『源氏物語』が書かれた平安時代は、夫が妻の家に通う「妻問い婚」という形が主流です。
しかし、光源氏は葵の上の家へなかなか訪れません。
葵の上は、自分が大切にされないのが許せませんでした。
あるとき、光源氏が若紫(わかむらさき)という女の子を自宅に引き取ったという噂が葵の上の耳に入ります。
他の女性を大切にしていると聞けば、おもしろくありません。
こんな時、他の女性であれば素直に伝えるでしょう。
ところが葵の上は、浮気を隠そうとしない人には何を言っても仕方ないと理性的に考えてしまうのでした。
プライドの高さもあり、そっけない態度で素直にやきもちをやけない。
そんな不器用さは、彼女の愛すべき点かもしれません。
葵の上の出産と夫婦の別れ
そんな、最初こそすれ違いばかりだった葵の上と光源氏も、葵の上の妊娠を機に少しずつ距離が縮まっていきます。
葵の上は初産の不安もあって心細く、普段のツンとした態度は影をひそめていました。
光源氏は妻のはじめての妊娠を喜び、葵の上を愛しく思いはじめます。
ところが、葵の上の容態が悪くなり、彼女は寝込んでしまうのです。
光源氏は我が子を身ごもる妻が心配で付き添い、看病していました。
産気づいた葵の上はとても苦しそうな様子でしたが、難産の末に男の子が生まれました。
周囲はたいへんな喜びに包まれ、夫婦の心も通いはじめます。
葵の上は母となり、光源氏と温かな関係が築けるかもしれない、と希望を抱いたのではないでしょうか。
数日後、葵の上の父・左大臣や兄弟たちが宮中に出かけることになりました。光源氏もです。
光源氏は出発前に葵の上のもとへ行き、寄り添います。
葵の上をじっと見つめ、「早く帰ってくるから、こんなふうにずっと近くにいられたら嬉しい。元気になっておくれ」と言葉を残して出かけました。
そのあとの葵の上の様子が次のように書かれています。
葵の上は横たわったまま、光源氏の後ろ姿をいつもよりじっと見つめて見送りました。
【原文】
常よりは目とどめて見いだして臥したまえり。
そしてその夜、人気のないひっそりした屋敷の中で葵の上の容態が急変、息を引き取ったのです。
まとめ:不器用さが心に残る葵の上
永遠の別れとなった“見送り”の場面で、葵の上が珍しく光源氏をじっと見つめていたのは、予感するものがあったからでしょうか…。
または少し素直になりかけた葵の上自身、何か「あなたのお帰りを待っています」くらいは語りかけたかったのでしょうか。
少なくとも、光源氏を引き止めたい気持ちは伝わってきます。
いつもツンとした態度の葵の上は、多くの人から冷たい女性のように思われてきましたが、本当は光源氏と心を通わせたかったのではないでしょうか。
あまりにも理性的で、コミュニケーションがうまくとれないために、他の女性のような弱さを出せない。
そんな気丈さと不器用さが心に残るヒロインです。
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では、なぜ葵の上は亡くなってしまったのでしょうか。
実は、光源氏は出産の際に苦しむ葵の上が六条御息所そっくりの声を発するのを聞いています。
まるで六条御息所が葵の上にとりついたような様子でした。
葵の上が急死したのも、物の怪のせいではないかと言われているのですが、真相はどうなのでしょうか。
次回、六条御息所を紹介しながら迫ってみたいと思います。
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