心がきらめく仏教のことば #18

  1. 仏教

「縁起」の意味が分かると明るい未来がひらける!仏教由来の意味を解説

「縁起」は仏教が由来の言葉

今回のテーマは「縁起(えんぎ)」です。

「茶柱が立つとは縁起がいいね~」
「そんなこと言わないでよ、縁起でもない」
「これは縁起物だから玄関に置いとくといいよ」
など、ときどき縁起という言葉を聞くことがあります。

この縁起という言葉、実は仏教が由来といわれているのです。
ところが、本来仏教では「縁起がいい」「縁起が悪い」という使い方はされません。
もともとの意味が変わってしまったのです。

そこで今回は、仏教で本来言われる「縁起」とはどんなことか、ご紹介したいと思います。
本来の意味がわかりますと、より前向きに心豊かに生きていくことができるでしょう。

「縁起」の本来の意味とは?

縁起とは「因縁生起(いんねんしょうき)」ともいわれます。

「生起(しょうき)」とは、生じ起こるという意味で、私の身に起こるさまざまな結果・出来事のことです。
仏教では、起こったことには必ず「因」と「縁」があり、「因」と「縁」がそろってはじめて「結果」が生じ起きるのだと教えています。

ですから「因縁生起」のことを「因縁果」とも言われます。
「因」とは「原因」のことです。そのような結果が起こった直接の原因のことを「因」といいます。
「縁」とは、原因と結びついて結果を起こすもので、間接的な条件のことです。

わたしの身に起こるすべての出来事は、自分の行いが原因であり、よくも悪くもすべては自業自得なのです。
自業自得という言葉について、こちらの記事で解説していますのでご参照ください。

受験生ならば、一生懸命勉強するのは、志望校に合格するためでしょう。
また資格試験に向けて、勉強されるのも、資格がほしいからでしょう。

合格という結果は、自分が勉強するという行い(原因)によって生み出されると思うからこそ、みんな一生懸命頑張るのです。

縁によって結果は大きく変わる

また、結果を生み出すもう一つの大事な要素として「縁」が教えられています。
この縁というのは、自分以外のすべてです。

たとえば、周りの人や環境、場所、状況などは縁です。
勉強でいえば、どんな人から教えてもらうかや、どこで勉強するかは「縁」で、これによって結果は変わります。
教える先生や指導者によって理解がぐっと深まったり、やる気が高まることもあれば、反対になることもあるでしょう。

また、勉強するときに図書館や自習室でする方もあるかもしれません。
どこで勉強してもいいのですが、自分の家だとついつい怠けてしまうので、図書館や自習室を利用するのです。
環境(縁)が影響を及ぼすことをよく知っているからでしょう。

しかし、どんなにすばらしい先生や環境が用意されていても、本人が勉強しなければ、よい結果は望めません。
ですから、自分の身に起こるさまざまな結果・出来事は因と縁が結びついて生じ起こっており、これを「因縁生起」とか「縁起」といわれるのです。

周囲のサポートで、金メダルを獲得!

2020東京五輪スケートボード女子パークで金メダルを獲得した四十住さくら選手を例に見てみましょう。

四十住選手は、小学6年生のときにお兄さんからスケートボードをもらったことで、練習をはじめたそうです。
真剣に練習する姿を見た両親は、自宅の庭に手作りの練習場をつくりました。

さらに上達するにつれ、四十住選手はもっと向上したいという思いから県外に練習場を求めます。
なぜならその頃、住んでいた和歌山には練習場がなかったからです。

学校のあと、三重・大阪・神戸へ連日練習に通い、往復5時間かけることも珍しくありません。
負担は大きかったものの、「スケートボードで日本一になる」という娘の言葉に、ご両親はフルサポートを決意したそうです。

そのような甲斐もあり、四十住選手は大きな大会で次々と優勝していきます。
ところがコロナの感染が広がり、大会がなくなったり、思うように練習できなくなってしまいました。

そんな状況を聞きつけた地元の老舗企業が協力を申し出て、倉庫を無償で提供し、特設の練習場ができたのです。
自宅から5分で行けるところに最高の練習環境を手にし、見事オリンピックで金メダルを獲得したのでした。

強い想いと努力がいい縁と結びつく

四十住選手のことを通して見てみると、両親が手作りの練習場を作ってくれたり、全面的にサポートしてくれたこと、また地元企業が練習場を提供してくれたことは「縁」です。
恵まれた縁が、金メダルという結果に大きな影響を与えたことは間違いありません。

ただ、そのようなよい縁に恵まれたのは、ひとえに四十住選手の「スケードボードで日本一になりたい」という強い想い、そしてひたむきな努力があったからでしょう。
これを仏教では「因」といわれます。
なんとしてもの思い、そして努力という「よい原因」が周りの人たちを動かし、よい縁(環境)を得ることにつながっていったのです。

もし四十住さくら選手にそこまでの想いや努力がなければ、両親や地元企業も協力してくれなかったかもしれません。
強い想いやひたむきな努力は、やがて必ず「よい縁」と巡りあい、すばらしい結果をもたらすことになるのです。

周りの人の助けや環境といった「縁」に感謝して、さらなる努力(因)につとめていけば、ますます恵まれ、よい循環が生まれていくことでしょう。

うまくいかない時、どう考える?

ですが人生には、よい結果に恵まれる時もあれば、反対にうまくいかないこともあります。
そんな時には、どんなふうに心がけてゆけばいいのでしょうか。
日常の例で考えてみましょう。

車を運転していて一時停止違反をしてしまい、警察に呼び止められてしまったという話を聞くことがあります。
つまり、悪い結果が起こったわけです。

こんなとき、どうしても

「なんでこんなところに警察がいるのよ!」
「私よりももっと違反している車たくさんいるじゃない」
「大事な用事があって急いでいたんだから、ちょっとぐらい許してよ」

などの思いは出てこないでしょうか…。

もちろん、この出来事にも原因と縁があります。
原因は何かといえば、焦っていて、ちょっとぐらいいいでしょうと思って運転していたことではないでしょうか。
他の誰でもない、自分が一時停止違反していたからです。

では縁は何かといえば、警察です。
交通ルールさえしっかり守っていれば、どこに警察がいても捕まるようなことにはなりません。

悪いことが起きたときの大事な心がけ

私たちはひどい目にあったり、思わぬ悪い結果が起きると、ついつい縁のせいにしたくなります。
あの人のせいでこうなった、あの先生の教え方がよくなかった、こんな職場環境・家庭環境だからこんな目にあったんだ、などなど。

たしかに、「縁」は結果を生み出す上でなくてはならないものですから、無関係ではありません。
しかし縁がすべて悪いと思い、自分の行動(原因)に目がいかないと、また一時停止違反で捕まってしまうのではないでしょうか。

一時停止違反で捕まったのはつらいことですし、嫌なことです。
しかし、運転の仕方や余裕のない行動をしていた自分の行い(原因)に目を向け、反省できれば、今後はそのような結果にはならないでしょう。

警察が捕まえてくれたおかげで、大きな事故を起こす前に自分の運転や行動を見なおすことができた。
そう思えれば、明るい未来が待っているでしょう。

反対に、警察のせいで罰金もとられたし、大事な用事にも間に合わなかったと縁をうらんだり憎んだりしていては、明るい未来は望めません。

まとめ:明るい未来を切り開く「縁起」

このように仏教では、すべてのことは因縁がそろって生じ起こると教えられています。
だからこそ、原因となる自分の行いによくよく気をつけなさい、反省と努力に心がけなさいと言われるのです。

そして、縁となる周りの人や環境に感謝して大切にしていくことで、明るい未来が切り開かれてゆくのですよと教えられています。
反対に、怠けてばかりで自分の言動を省みず、縁のせいにしていては、暗い未来になってゆきますよと戒められます。

「縁起」という言葉には、何か縁起を担いだりとか縁起物を置くことで明るい未来がやってくるというイメージがあるかもしれません。
しかし、本来の「縁起」からすれば、因(行い)と縁(環境や周りの人)によって結果が起きるのです。

いい結果が得られるかどうかは、自分次第。
お互い、よい因縁がそろうように心がけてゆきたいものですね。

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