日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #116

  1. 人生

大岡忠相の名判決 〜「私が実の母です」言い張る2人の女性

日本にはいろいろな記念日がありますが、2月3日「大岡越前の日」なのだそうです。
大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)が町奉行に就任したのは、享保2年(1717)2月3日。
それから江戸南町奉行を20年間も務め、数々の「大岡裁き」が、時代劇ドラマや、歌舞伎などで演じられ、今日まで伝えられています。
その中に、「親心」の本質を見抜いた鮮やかな判決がありました。
木村耕一さんにお聞きしました。

──木村耕一さん、どのような事件が起きたのでしょうか。

この事件は、ある男が妻を離縁したところから始まります。
別に妻に悪い所があったわけではありません。好きな女ができたのです。
その後、かねて言い交わしていた女を後妻にめとりました。

──まあ、それは身勝手な話ですね。

はい。離縁された前妻は、親元に帰りましたが、すでに妊娠していました。
やがて女の子を産んだのです。

10年ほどたったある日、後妻が、この子を見て、うらやましくなりました。

なんて器量のよい娘だろうか。しかも頭もいい。これならば、どこへ奉公に出しても役に立つ」

早速、
「この娘を引き取りたい」
と、前妻の元へ交渉に来たのです。

──まあ、主人も身勝手ならば、後妻も身勝手ですね。

もちろん、前妻は、とても承服できる話ではありません。
前妻と後妻は激しく言い争い、ついに、奉行所へ訴えることになったのです。

──あらら、話が大ごとになってしまいました。

おかしなことに、この時、二人とも、
「この子を産んだのは、私に間違いありません。私が実の母です」
と言い張るのでした。

──ええー、それはおかしいです。

前妻は言います。
「離縁されたあとに、里に帰り、確かに私が産んで育てた子です」

また、後妻は言います。
「私が産んだあと、子どもの養育を前妻に依頼したのです。預けた子どもを返してもらいたいだけです」

どちらが本当の母親なのか。
物的証拠は何もありません。

──そうですよね。この時代にDNA鑑定はなかったですし……。

2人の言い争いは果てしなく続きます。
さすがの大岡忠相も、裁きかねているかに見えました。

やがて奉行は、意外なことを言います。

「そこまで言うならしかたがない。2人の真ん中に、子どもを置いて、双方から左右の手を引っ張りなさい。勝ったほうに、その子を与えよう」

白州で、前妻と後妻が、子どもの手を引き始めた。真ん中に置かれた娘は、
「痛いよう!」
と大粒の涙を流して泣きだした。

その瞬間、先妻は、ハッと驚いたように手を放しました。

最後まで、子どもの手を引き続けた後妻は、
私の勝ちだわ。この子は私のものよ」
と喜びました。

すかさず、大岡忠相、
「待て待て、そこの女。控えよ」
と大喝しました。

「おまえこそ、ニセモノだ。
誠の母ならば、わが子が苦しんでいる姿を見ておれるはずがない。
子どもの涙は、胸が張り裂けるほどの苦しみを親に与えるものだ。
先妻は、母だからこそ、とっさに手を放したのだ。
おまえは他人だから、子どもの苦しみより勝負のことしか頭になかったのだ」

奉行に、にらみつけられ、後妻は、ただひれ伏すばかりでした。
一切の悪だくみを白状し、娘は、晴れて、本当の母親の元へ戻ったのでした。

(新装版『親のこころ』木村耕一編著より)

今も昔も変わらない「親のこころ」

木村耕一さん、ありがとうございました。

大岡忠相の名判決に、スカッとしました!
また、子どもの苦しみを見ておれない、何とか苦しみを取り除いてやりたいという「親のこころ」は、今も昔も変わらないのですね。

私も子どもの頃、風邪を引いて寝ていると、温かい卵入りのおかゆを、親が作ってくれたのを思い出しました。親心は、とてもありがたいですね。

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