心がきらめく仏教のことば #15

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「諦める」には前向きな語源がある!諦観を実践してよりよい毎日に

「諦めなければ夢はかなう」

東京2020オリンピックが終わりました。
今回はメダル獲得数が過去最多の58個だったそうですね。
選手達の日ごろからの努力とオリンピックにかける思いが結実した形となりました。

今回もさまざまな感動を与えてくれたオリンピックにおいて、2008年の北京オリンピック以来、13年ぶりの金メダルを獲得したのがソフトボールでした。
北京大会以降、オリンピックの正式種目からはずされ、東京大会で13年ぶりに復活。
その間、投手の上野由岐子さんは、またいつかオリンピック種目になるよう、地道にソフトボールの普及活動に力を入れていました。
そして再び、オリンピックの舞台に立ち、悲願を遂げることができたのです。

上野由岐子投手は、インタビューの中でこう語っていました。

『13年という年月を経て「最後まで諦めなければ夢はかなう」ことを、たくさんの方々に伝えられたと思う。
ソフトボールはまた次回(のオリンピック)からなくなってしまうが、また諦めることなく前に進んでいけたらと思う』

この上野選手のコメントの中にある「諦めなければ夢はかなう」という言葉は多くの人に夢や勇気、元気を与えたのではないでしょうか。
今回は、この「諦める」という言葉について取り上げたいと思います。

諦めるの語源は「諦観(たいかん)」

「諦める」という言葉は、普段の生活の中でもよく耳にしますね。
ものごとを途中で放り出すことや投げ出すことの意味で使われ、「諦めないで」とか「諦めずにやろうよ」などと励ますことがあるのではないでしょうか。

この「諦める」という言葉、実は仏教由来だといわれています。
仏教に「諦観(たいかん・ていかん)」という言葉があります。
これは「あきらかにみる」という意味です。

仏教では、どんな結果にも必ず原因があり、原因なしにおきる結果は絶対にないと教えます。
詳しくはこちらの記事で解説しています。

「諦観」とは、なぜそのような結果になったのか、どうしてこうなったのかその原因をあきらかにみなさいということです。

原因をあきらかに見て、自分にできることを

最初に紹介した上野投手のことで考えれば、オリンピック種目から外されて、大変ショックで落胆したでしょう。
ここで上野投手は、なぜオリンピック種目から外されてしまったのか、またオリンピック種目になるためにはどうしたらいいのか、「原因をあきらかに見た」と思います。

オリンピック種目から外されてしまうということは、まだまだソフトボールの普及がなされていない、人気や魅力が伝わっていない。
それならどうしたらいいのか、自分にできることは何かを考えて地道に普及活動に力を入れられました。
その地道な活動が実を結んだのが、今回の東京オリンピックだったといえるでしょう。

もしオリンピック種目から外されてしまった時に、上野投手が「仕方ない」「どうしようもない」と諦めていたら、東京オリンピックで追加種目に選ばれることはなかったかもしれません。
上野投手は「諦める」ことではなく、「原因をあきらかに見て」自分にできることを地道にしていきました。
まさに「諦観」をされたのです。

日常で取り入れられる諦観

スポーツ選手や偉業を成し遂げた人たちというのは、みな「諦観」をしてきた人だといえるでしょう。
それは立派な人たちだからこそ、できたことではないかと思うかもしれません。

しかし、そうではありません。
実は「諦観」は、日常生活の中でも取り入れられることなんです。

以前、高校時代のちょっとした同窓会に参加した時のことです。
結婚し子育てをしている同級生の女性が言っていました。

「結婚した最初のころから、ずっとうちの夫は家事とか全然やってくれないし、家ではだらしないし、どうしてこうなんだろうと思っていた。
だけど、結婚して10年以上経って、最近ようやくうちの夫はこういう人なんだっていい意味で受け入れられるようになった」

この言葉はとても印象的でした。

物事には「変えやすいこと」と「変えにくいこと」があります。
とくに人の性格や考え方、その人の長年の習慣などを変えようとすることは、簡単なことではありません。
「変えにくいこと」を変えようとするのは大変な精神力と忍耐力がいります。

変えやすいことと変えにくいことをあきらかに見る

ですが「変えやすいこと」もあります。
先ほどの同級生のことでいえば、ご主人が「家事を手伝わない」とか「家ではだらしない」といったことは、できれば変えてほしいことでしょう。
ただ、ご主人の性格や長年の習慣もあるので、変えるのは難しいかもしれません。

しかし、接し方なら「変えやすいこと」ではないでしょうか。
主人への接し方・言動を変えるのは、自分が気をつければできることだからです。

家事を積極的に手伝ってもらうのは難しくても、「これだけはお願いね」と具体的にお願いしてやってもらう。
そして「やってくれてありがとう、本当に助かったわ」などと少しずつでも、家事に参加してもらうように対応していくことはできるかもしれません。

ですから「変えやすいこと(自分の言動)」と「変えにくいこと(人の言動)」を諦観(あきらかに見て)して、自分にできることから始めていくのが大事ではないでしょうか。

同級生も、ずっと変えにくいこと(ご主人の言動)にばかり目がいっていたことから、イライラしたり、ストレスがたまっていたのだと思います。
それが「あきらかに見ること」ができるようになったので、気持ちも落ち着いてきたのでしょう。

自分にできることは何かを考えていけるとよりいっそう、よい方向に向かっていくのではないでしょうか。

まとめ:諦観を実践して、よりよい毎日に!

ですから「諦観」という言葉は本来、大変前向きなのです。
これを実践していけば、どんな大変な状況や問題も少しずつ変えていける、そんな力を持ったブッダの教えです。

ところが「あきらかにみる」というこの言葉が、いつの間にか「あきらめる」に変化してしまいました。
ただ言葉が変わっただけならよかったのですが、意味まで大きく変わってしまい、途中で投げ出したり、考えるのを放棄する意味になったのです。

失敗した時やうまくいかなかった時に、どうしてそうなってしまったのかという原因を「あきらかに見つめる」ことは簡単ではありません。
誰しも、言い訳や人のせいにすることを考えて目をそらしたい気持ちになるでしょう。

そんな中自分としっかりと向き合い、原因をあきらかに見たならば、自分にできることは何かを考え、実行に移します。
やがて問題はよい方向に向かっていくことでしょう。

「諦観」してよりよい毎日への一歩を踏み出していただきたいと思います。
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