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悪口や陰口を言われても傷つかない!心がけたい対処法

悪口や陰口を言われたときほど、落ち込むことはありませんよね?

学校でも、職場でも、ママ友の間でも、あることないこと言って、悪口を言う人は必ずいます。

そんなときの心の守り方と、どんなに腹が立ってもしてはならないことが、仏教でアドバイスされています。

登場人物

真理子
真理子
2人の子どもを持つ、会社勤めの主婦。快活な性格。お気に入りのカフェで行われている「仏教塾いろは」で学び始めたばかり。

 

智美
智美
真理子さんのママ友達で、在宅でデザインの仕事をしている主婦。仕事のトラブルで会社の人からひどいことを言われ…。
悪口や陰口を言われても傷つかない!心がけたい対処法の画像1
塾長
仏教塾いろはの塾長。アメリカの大学で仏教の講義をしていた。店長とは旧知の仲。

仏教塾いろは、登場キャラクターの紹介
カフェにて。深いため息をつく、智美。コーヒーを持って真理子が近づき声をかける。

  1. 真理子

    智美さん、どうしたの? なにかつらいことがあったの?

  2. 智美

    えぇ…。聞いてもらってもいいですか。この前、会社の人と仕事の進め方でモメて、言い争いになっちゃって。その人とは以前から反りが合わなかったんだけど、今回はいつにもましてひどいことを言われてしまって…。

  1. 聞いてあげる真理子

    なんて言われたの?

  2. 悪口に苦しんでいる智美

    「あなたなんて本当は会社から必要されてないのよ!」って。自分のことが全否定されて、とても悲しい気持ちになりましたし、「あなたこそ、できていないところばかりじゃない!」って言いたかったけれど、ショックのほうが大きくて、言えなかったんです…。

  1. 真理子

    そんなことがあったの……? ひどいことを言われて本当につらかったわね。でも、言い返していたら、もっと大変なことになっていたかもしれないわ。このあいだ、塾長に同じようなことを相談したことがあったの。

悪口は大変な悪

  1. 悪口への対処法を教えてくれる塾長

    悪口や陰口について仏教ではどう教えられているか、お話ししますね。

人から思いがけずに悪口を言われたり、陰で悪く言われているのを聞いたりして、悲しくつらい思いをされたことがある方がほとんどでしょう。

悪口を言えば、言われた相手は当然傷つき、苦しい思いをされます。そんな行為は当然悪い行為です。

仏教で悪口は語殺(ごさつ)といわれることもあります。人を精神的に殺してしまう、大変恐ろしい罪なのです。

語殺についての、このような話があります。

丹波の国(京都府)に、百二十歳をこえた老婆がいた。

ある人が、老婆を訪ねてきいた。

「長い一生にはどんなにか、珍しいことや、おもしろいことがあったでしょう。その思い出の一つをきかせてくださらんか」

老婆は、首を横にふりふり答えた。

「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた」

百二十歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、

「それでもなにか一つぐらい、思い出がおありにならんか」

再度、たずねた。

「そんなにまで言われれば、話そうか。二十四度殺された、つらい思い出だけは、あるわいな

しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。

現に生きている人が、二十四度殺されたとは、いったい、どんなことか、とたずねると、ポツリポツリと老婆は語り始めた。

「この年になるまで私は、たくさんの子供を産み、多くの孫ができ、ひ孫もできた。ところが老少不定のならいで、子供が先立ち、孫が死に、ひ孫が死んで、内より二十四人の葬式を出した。

そのたびに、悔やみにくる人たちは、私の前では言わんが、隣の部屋で“ここの婆さんとかわっておればよかったのに”と言っているのが聞こえてくる

他人さまは、まだ遠慮して陰で言っとるが、孫やひ孫は面前で言いよる。そのたびに、私は殺されたんじゃ

しみじみと、老婆は物語るのであった。

『口は禍の門』といわれるが、自覚のないところで我々は、どれだけの人を傷つけ殺していることか。三思三省させられることである。

高森顕徹著(2010).『新装版 光に向かって100の花束』より引用

悪口を言ったほうはすぐに忘れてしまいますが、言われたほうは死ぬまで忘れません。言われたほうは悪口を思い出すたびに苦しむことになります。さらには非難・中傷を苦にして自殺される方もいます。

まさに語殺であり、恐ろしいことと知らされますね。言動を常に慎まねばならないと反省させられます。

悪口を言われたときに、してはならないこと

では悪口を言われたときには、どうすればいいのでしょうか?

まず仏教の観点で、一番してはいけないことがあります。

それは悪口を悪口で返すこと、罵られたなら罵り返すことです

悪口を言ってきた相手に悪口で返せば、相手の怒りはさらに増し、もっとひどいこを言ってくるでしょう。へたをすれば、殴りかかってくるかもしれません。

そこをさらに応戦すれば、事態は取り返しのつかないことになるでしょう。

相手のレベルに合わせてはいけません。

こんな話があります。

二ューヨーク州地方検事のフランク・S・ホーガンは、こんなことを話している。

「私たちが法廷で扱う事件の半分以上は、とても些細なことに端を発する事件ばかりだ

バーでのいさかい、家庭での口論、言葉や行動による侮辱……。

そうした些細なことが、傷害事件や殺人事件へと繁がっているのだ。

むごたらしい、ひどい仕打ちを受けるなどということは、我々にはほとんどない。

世界にはびこる苦しみや悲しみの半分以上は、自尊心に対する些細な攻撃や侮辱を受けたり、虚栄心を傷つけられたりすることがきっかけで生まれているのだ

(D・カーネギー著『道は開ける』より引用)

口論や侮辱、いさかいをきっかけとして罵り合いに発展し、果ては傷害事件や殺人事件などにもつながってしまうのですね。

もちろん悪口を言われたならば自尊心が傷つけられ、苦しい思いをします。平気な人など誰もいません。周りから見れば些細と思われることでも、悪口を言われた本人には大きな問題です。

しかし悪口を言い返せばもっと取り返しのつかないことになり得ます

また陰口を言ったり、相手を恨み続けたりすることも決して良い方向には進みません

陰口や恨みもまた悪い行為である 信用を落とす

陰口を言えばスッキリするかもしれませんが、聞かされた方はどうでしょうか。

「この人は、ほかの人には私の悪口を陰で言っているかもしれない」と思い、疑惑を抱き、信用は失われるでしょう。

また相手を恨み続ければ、それは表情や態度で現れてきます。そんな人に接している人は気持ちがよくありませんね。次第に距離を置いて、離れていってしまうかもしれません。それに精神衛生的にもよくないですよね。

どんな人にも、他人を恨んだり、憎んだりする心(愚痴)があるとも仏教で教えられていますので、陰口を言ったり、恨んだりすることはやめられません。

しかし愚痴は悪いことだと知っていれば、ブレーキをかけたり、反省したりすることができますね

悪口を言われても、あなたの価値は変わらない

では悪口や陰口に適切に対処するにはどうすればいいのでしょうか。

まず悪口を言われたとしても、「私はダメな人間なんだ」と自分を責め過ぎないことです。

お釈迦様は法句経に

過去にも、今にも、未来にも、皆にて謗る人もなく、皆にて褒むる人もなし

と説かれています。

いつの時代にも、みんなから悪く言われる人もいなければ、みんなから称賛される人もいません。

どんなに優れているといわれる人であっても必ず悪く言う人もいますし、反対にどんなに評判の悪い人であってもその人をほめる人もいます。

あなたが悪口を言われたとしても、すべての人から悪く言われたのではありません。悪意を持つ人は必ずいるのであり、そんな人に悪く言われたからといって、あなたの人間としての価値はまったく変わりません。あなたを認めてくれる人は、ほかにもっといるのです。

また、悪口をいう人はそれだけ人を傷つける悪い行為をしているのであり、やがては自業自得で苦しむことになります。

あたたが悪口をいわれたときの対処法は、受け流すことです。

私に「悪口がどんなに人を傷つけるかを教えてくれたのだ。そしてかわいそうなことに、この人は自分の悪い行為で苦しむことになるんだ」と思えば、あなたは故意に悪口を言わなくなり、相手を傷つけずにすみます。その報いを受けることもないのですね。

  1. 智美

    悪口に悪口で言い返すことは恐いですね。たとえ悪口を言われたとしても、言わないように心がけないと。それと一人の人から悪口を言われたからといって、私の価値は変わらないって言葉に救われました。

まとめ

  • 仏教で悪口は「語殺」といわれ、相手を精神的に苦しめる恐ろしい行為です
  • 悪口を言われたからといって悪口で返すのはやめよう。さらなる怒りを買い、取り返しのつかないことになります
  • そして悪口を言われたからといって、あなたの価値はまったく変わりません

悪口や陰口を言われても決して夢を諦めなかったエピーソードがありますので、ぜひ下記をご覧ください。

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