カフェで楽しむ源氏物語-Genji Monogatari #52

  1. 人生

【源氏物語 椎本の巻】父娘を引き裂いたものは…【宇治十帖】

こんにちは。国語教師の常田です。
永遠に寄り添っていたい、と思う人とも別れていかねばなりません。
源氏物語でも繰り返し語られます。
非情な現実ですね。
今回も椎本の巻(しいがもとのまき)を解説します。

八の宮父娘の別れ

秋深まり、いよいよ死が迫っていると感じた八の宮は、山寺に籠もって勤行に専念しようと決意します。
出発前、二人の娘に、懇ろに言い聞かせました。

「永久の別れが避けられないのは世の習い。だが、他に頼る者のないあなた方を残していくのは耐え難いことであるよ。

しかし、こんな思いが仏道修行の妨げとなって、未来永劫、苦から苦、闇から闇へと迷うことになれば、人間に生まれたかいがない。

後生(来世)明るい身になれるよう、山寺に籠もって仏道に専心しようと思う。

どうか娘たちよ、この先、くだらぬ男になびいて、親の名を汚さないでおくれ。
本当に信頼できる男がなければ、この山里で一生を送る覚悟を持つように…」

いつになく遺言じみた父の言葉に戸惑い悲しむ姫たちを、何度も振り返り、八の宮は山荘を後にしたのでした。

父・八の宮の死

数日後の夕暮れ、「山寺での勤行が今日で終わるはず」と父・八の宮の帰りを待つ娘たちの元に、手紙を携えた使者がやってきました。

「今朝から体調が悪くて帰れない。いつにも増して、あなたたちの顔が見たくてならない…」
娘たちは胸潰れる思いで、晩秋の寒さを思い、綿入れの着物を差し入れます。

だが、二、三日しても父は帰ってきません。
再三再四、山寺へ使いを送ると、
「どこというわけでもなく苦しい。少しでも楽になったら、無理してでも下山しようと思う」
との伝言です。
八の宮は筆を執る力もないようでした。

そして…。
その日も娘たちは不安な思いで、山寺の方角の蔀戸(しとみど)を上げて外を眺めていました。そこへ使者が訪れ、泣く泣くこう告げたのです。
「八の宮様が、昨日の夜中、亡くなられました」
姫たちはあまりの衝撃に涙も出ませんでした。

娘たちに会いたい…八の宮を冷酷にひきとめる阿闍梨

仏法に一途で”聖”とまで呼ばれた八の宮。そんな彼の最期の願いはただ一つでした。

「一目、娘たちに会いたい」

ところが、八の宮が永年師事してきた宇治山の阿闍梨(あじゃり)(僧)が、それを許さなかったのです。

「もう最期かもしれませんから、娘のことをあれこれ思いなさるな。悩んでどうにかなるものでもありますまい。執着してはなりません」
と何度も八の宮を諌め、

「この期に及んで、山を下りませぬように」

と厳しく戒めたために、八の宮はとうとう、愛しい娘たちの顔を見ることなく息を引き取ったのです。

また阿闍梨は、父の臨終に会えず「せめて亡骸だけでも見せてほしい」と請う二人の娘にも、
「今更対面すべきではありません。生前の八の宮様にも、二度と娘に会わぬように諭してきたのです。まして今は親子の執着を持たぬこと」
と、願いを聞き入れません。
娘たちは阿闍梨を憎みました。

当時、仏教は、”この世に執着があると極楽往生できない”と、臨終に心を乱さないことが重要視されていました。
冷たい阿闍梨の言動も、そんな当時の常識に従っていたためでしょう。

“仏教って本当にこんなに非情な教えなの?”と思わず首をかしげたくなりますね。
作者の紫式部が、阿闍梨の言動の冷酷さや、悲しみに暮れる娘たちを丁寧に描いているのは、そういう疑問を抱いていたからかもしれません。

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  • 蔀戸:格子の裏に板を張り、引き上げれば釣り金具でとめられるようにした戸
  • 阿闍梨:弟子の規範となり、法を教授する僧

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