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【平家物語まとめ】読む前に絶対に知るべき6人の登場人物と重要テーマ

『平家物語』は、源平の合戦の前後の時代を描いた軍記物語です。
しかし、それだけではこんなに長く読み継がれないでしょう。
なぜ、『平家物語』はこんなにも多くの人に読まれているのか。
『平家物語』にはどんな内容が書かれているのでしょうか。
この記事では、『平家物語』を読む前に知りたいあらすじや魅力的な登場人物の存在、そして欠かすことのできない重要なキーワード「無常観」を解説します。

運命共同体!平家の命運を握る登場人物・清盛

『平家物語』は、平清盛がトントン拍子に出世していくところから始まります。
子どもたちも高位高官に就き、娘たちを皇室や上流貴族に嫁がせることで平家の全盛時代をもたらしました。
そのうちに高倉天皇に嫁いだ次女の徳子が、のちの安徳天皇を出産したことで、平家の地位は確固たるものとなっていきます。

ところが、大変な権力を手に入れた清盛は、怖いものはないとばかりにやりたい放題の悪行三昧。
ただでさえ「出る杭は打たれる」ものなのに、そこに輪をかけて傲慢な振る舞いをする清盛を良く思わない人が出てきます。
最初は権力に物を言わせて反抗勢力をつぶしていた清盛でしたが、源氏の棟梁・源頼朝が挙兵したことで、打倒平家の動きは強まっていきました。

そして、ついには権勢を誇った清盛が病に倒れ、壮絶な最期を迎えます。
それからの平家は坂を転がり落ちるように、衰退の一途をたどることになるのです。

平家討伐の英雄・義仲と義経の寂しいラスト

『平家物語』の中心人物である清盛の死後、打倒平家に動き出したのが、源氏の武将である木曽義仲、そして源義経でした。
義仲は平家との戦いで次々と勝利をおさめ、武功をあげますが、都での粗暴な振る舞いが原因で、次第に旗色が悪くなっていきます。
ついには、頼朝から義仲追討の軍が派遣されたのです。
多くの武将を率いていた義仲も、最後はたった数人の家臣とともに散っていきます。

さて、源平の合戦は一ノ谷の合戦、屋島の合戦をへて、壇ノ浦の合戦で決着を迎えます。
この3つの合戦で天才的ともいえる戦い方をしたのが、源義経でした。
奇想天外な作戦で平家を翻弄し、源氏の勝利に大きく貢献した立役者です。

ところが、この義経もまた、自身の才能を過信するあまり、勝手に官職を受けたり、仲間に横柄な態度をとったりしてしまうのです。
そのことが頼朝の不信にもつながり、最後は頼朝からの圧力に屈した藤原泰衡に討たれてしまいました。

『平家物語』は、平家の栄光から衰退していくまでの姿を描いた物語というだけではありません。
平家討伐に立ち上がっていた源氏の兵士たちにもまた、栄光と衰退があったことが、その姿をとおして語られているのです。

幸若舞の『敦盛』で有名!熊谷の武士として、父としての葛藤

政治の中心が貴族から武士に移り変わる大きな転換期にあって、人々はどのような思いを持ち、どのように行動したのか。
『平家物語』には、敵味方、主従、親子、兄弟、夫婦など、様々な人間ドラマも描かれています。
その名場面は、映画や小説、能や歌舞伎などの題材にされてきました。

織田信長が好んで舞ったという幸若舞の『敦盛』も、『平家物語』の名場面「敦盛最期」が題材となったもの。
一ノ谷の合戦で打ち取られた平敦盛と、源氏方の武将である熊谷直実のやり取りが描かれている『平家物語』の中でも有名な場面です。

熊谷は、海岸である敵将を呼び止めます。
戦いに応じた相手を馬から引きずりおろし、首を取ろうと兜をとってみると、なんとまだ16、7歳ほどの青年でした。
自分の息子と同じ年頃の青年の首をとることをためらう熊谷。
しかし、味方の軍勢がすぐそこまで来ているのを見て、「どちらにせよ他のものに討ち取られるくらいなら」と涙ながらにその青年の首をとりました。
その青年こそ敦盛だったのです。

武士としての立場を貫くことと、息子と同じ年頃の青年の命を奪うことへの葛藤がよくわかり、読む人の涙を誘う名場面です。
『平家物語』の中には、そのような場面がいくつもあり、自分だったらどうするだろうかと考えながら読んでみると、さらに面白くなるのではないでしょうか。

平家なしに『平家物語』は語れない!登場人物の名場面紹介

『平家物語』にはたくさんの登場人物が出てきます。
いずれも魅力的な人物たちではありますが、中でも主要人物の清盛やその子どもたちは、家族でありながら一人一人の個性が光っている存在です。

ただ、似たような名前が多いので、誰がどのような役割を担っていたのか分からなくなってしまうという人もあるかもしれません。
この記事では、清盛と主要な子どもたちの『平家物語』での名場面をとおして、どんな人物だったのか紹介したいと思います。

➀悪人と言われても人の子・平清盛

「あはれ浄海軍の陣ならば、さりともこれほどまでは臆せじものを」【御産】
(ああ、わしは、合戦の陣ならば、こんなに臆したりしないのに)

『平家物語』において、なんといっても欠かせないのは平家の棟梁である清盛の存在です。
それまで、政治といえば貴族が行うのが当たり前の世の中だったところを、武士中心の政治に変えたのがこの清盛でした。

『平家物語』の中では、徹底的に悪虐、非道、非情の人物として描かれているので、清盛に対しそのようなイメージを持っている人も少なくありません。
しかし、清盛には家族思いで情け深い一面もありました。

その人柄が垣間見えるのが、娘・徳子の出産の場面です。
難産で苦しむ娘に何もできず、屋敷の中でおろおろするばかりの清盛。
そして、徳子が無事に男の子を出産すると、嬉しさのあまり声をあげて泣いたと書かれています。
普段は棟梁として堂々とした立ち居振る舞いをしている清盛も、この時ばかりはどこか人間らしい、愛嬌のある姿を見せていたのですね。

他にも、宿敵・源氏の嫡男である頼朝を生かしたり、港の建設にあたり、迷信で人の命を奪ってはならないと人柱をやめさせたりと、家族以外の人にも情けをかける一面もあったのが清盛でした。

➁父と主君の間で苦しむ平家の良心・平重盛

「悲しきかな君の御為に奉公の忠を致さんとすれば迷盧八万の頂よりなほ高き父の恩忽ちに忘れんとす。痛ましきかな不孝の罪を遁れんとすれば君の御為には不忠の逆臣となりぬべし」【烽火之沙汰】
(悲しいことながら、法皇に忠義を尽くそうとすれば、須弥山の頂上よりも高い父の恩をたちまち忘れることになります。痛ましいことながら、親不孝の罪を逃れようとすれば、法皇に対して不忠の逆臣となってしまいます)

『平家物語』の中で、徹底的に悪人として描かれていたのが清盛なら、徹底的に善人として描かれていたのが長男の重盛でした。
頭がよく、武勇にも長けていて、正義感が強く、責任感もあるという、まさに非の打ちどころのない人物です。
清盛の悪行をいさめられる唯一の人でもありました。

重盛は、貴族・藤原成親の娘を妻に迎えていたことから、後白河上皇とは主君と忠臣の関係でした。
ところが、父・清盛と主君・後白河上皇の溝は次第に深まっていきます。
そして、打倒平家を画策する後白河上皇の陰謀を知ったことで、両者の対立は決定的になりました。
清盛の怒りはおさまらず、後白河上皇を幽閉するとまで言い出します。

重盛は、主君・後白河法皇と父・清盛の間で板挟みとなり、苦しい思いをすることとなります。
父への孝行と主君への忠義、どちらかをとればどちらかは果たせません。
ついには清盛に対し、「後白河法皇を幽閉するのならば、自分の首をはねてからにしてください」と涙ながらに訴え、父を思いとどまらせたのです。

そんな真面目で誠実な重盛は、貴族・武士双方からの信頼も厚く、平家の棟梁となるにふさわしい人物だったでしょう。
しかし、大変残念なことに病に倒れ、父・清盛よりも先に短い生涯を終えたのです。
もし重盛が元気でいたならば、平家の運命ももう少し変わったものになっていたかもしれません。

➂時代が違えば称賛されていた2代目棟梁・平宗盛

「抑も右衛門督は何処に候ふやらん。たとひ頭をこそ刎ねらるるとも骸は一つ席に臥さんとこそ契りしか。この世にてはや別れぬる事の悲しさよ。この十七年が間一日片時も身を離されず京鎌倉恥を曝すもあの右衛門督故なり」【大臣殿被斬】
(ところで清宗はどこにいるのだろう。たとえ首を刎ねられても、骸は同じ筵に横たわろうと約束していたのに。早くもこの世で別れてしまったとは悲しいことだ。この十七年間、片時も離れず、京、鎌倉と恥を晒してきたのもあの清宗のためなのだ)

平家の棟梁であった清盛が亡くなった後、代わって平家の棟梁となったのは三男の宗盛でした。
宗盛は、重盛とは異母兄弟で、清盛の後妻・時子の長男です。
次男の基盛は若くして亡くなっていたため、必然的に宗盛が平家を率いることになったのです。

ところが、この宗盛は全くと言っていいほど武将としての才能がない人でした。
性格は凡庸・臆病で、『平家物語』の中では無能ぶりが強調されています。
壇ノ浦の合戦で平家は滅亡しましたが、武将や女性たちが覚悟を決めて次々と海に沈んでいく中、宗盛は海に入ろうとせず、呆然と船の上に立っていました。
見かねた部下が宗盛を海へ突き落としますが、彼と息子の清宗は泳ぎがうまかったために助かってしまいます。

その後2人は源氏に捕らえられ、頼朝のところまで連れて行かれますが、多くの武将が見ている前で命乞いをします。
その様子は、情けないと嘲笑されてしまうほどでした。

しかし、最終的に処刑される段階になって息子の清宗と引き離されると、処刑されるその瞬間まで息子のことを案じる姿が描かれます。
武将としての能力はなかったかもしれませんが、平和を愛し、どんなときも息子を想う宗盛は、家庭人として立派だったと言えるかもしれません。

➃すべてを見届けた影の功労者・平知盛

「見るべきほどの事は見つ。今は何をか期すべき」【内侍所都入】
(見届けるべきことはすべて見た。もう何も思い残すことはない)

武将としての才能がない宗盛が棟梁となった平家。
それでもなお源氏と戦えていたのは、四男の知盛が支柱となって平家を支えていたからでしょう。

清盛最愛の息子であったと言われ、知謀の将として知られる知盛。
京都の防衛から壇ノ浦での滅亡に至るまで、平家一門の軍事面での中心的存在として活躍しました。

平家の多くの武将が命を落とした一ノ谷の合戦では、息子の知章が知盛をかばって討ち死にしてしまいます。
それを見捨てて海上に逃れた知盛が、親として息子を見捨てた自らを責め、「よくよく命は惜しいもの」と涙ながらに宗盛に語っている場面があります。
しかし、知盛は一門を支える実質的な総大将の立場であったことを考えると、まだ戦いが続いているこの場面では、なんとしても生き抜かなくてはいけなかったでしょう。
知章もそれがよくわかっていたからこそ、知盛をかばったのです。

最終的に、平家は壇ノ浦の合戦で滅亡することとなりますが、知盛は最期まで冷静に役目を果たしました。
海に沈む前に残した「見るべきほどの事は見つ」という言葉はあまりにも有名です。
平家の大将として、すべてを見届け潔く海へ飛び込んでいった知盛の姿は人々の胸を打ち、『平家物語』の名場面として歌舞伎の題材にもなっています。

➄源頼朝を感嘆させた武将・平重衡

「つらつら一生の化行を案ずるに罪業は須弥よりも高く善業は微塵ばかりも蓄へなし」【戒文】
(よくよく一生の行いを考えてみると、罪業は須弥山よりも高く、善業は塵ほどの蓄えもありません)

五男の重衡は、優しく、社交性もあって歌がうまかったと言われます。
また、教養豊かで軍略にも優れていたのだとか。
数々の合戦で勝利をおさめた経験もあり、武勇の将として知られていました。

重衡は、清盛存命のころ、平家に対して反発を強めていた興福寺に対する鎮圧軍の大将として派遣されます。
その鎮圧の際に起こったのが、南都焼き討ち事件でした。

源氏に捕らえられ捕虜となった重衡は鎌倉へ護送され、源頼朝と対面します。
南都焼き討ちについて、清盛の命であったのか、それとも重衡自身の判断だったのかと尋ねる頼朝に、重衡は毅然と事の経緯を述べた後、一言の弁解もしません。
その堂々とした態度に、その場にいた人々は感嘆し、敵である頼朝でさえも重衡を丁重に扱うよう家臣に命じたのです。

その一方、重衡は自分のした罪の重さに苦しんでいました。
出家したいと願うものの聞き入れられず、それならば最期にかねてから縁のある高僧・法然上人にお会いしたいと願い出て、許されます。
対面した法然上人に自らの心情を涙ながらに語った姿が、『平家物語』の中に描かれています。

➅諸行無常を物語る天皇の母・平徳子

「その昔あの人共の育みにてあるべしとは露も思し召し寄らざりしものを 」【六道】
(その昔、あの人たちの世話になるとはつゆ思いもしませんでした)

家族が次々と亡くなっていく中、最後まで生き残っていたのが建礼門院と呼ばれる次女の徳子でした。
後白河上皇と平滋子(清盛の義理の妹・建春門院)の間に生まれた高倉天皇の正妻で、安徳天皇の母。
平家一門の女性たちは、いずれも貴族や上流階級に嫁いでいましたが、その中で天皇の母という最も高い地位に就いたのが徳子です。

平家が滅亡した壇ノ浦の合戦では、母の滋子が息子の安徳天皇とともに海に沈み、自らも身を投げましたが、源氏の兵士に助けられてしまいました。
生きながらえた徳子は出家し、大原の寂光院で数人の女房たちと寂しく過ごすのです。
たまに訪ねてくるのは、妹たちだけ。
徳子は、平家の全盛期、何不自由のない生活をしていた頃は、こんな寂しい生活を送ることになるとは夢にも思っていなかったと涙しました。

『平家物語』は、徳子の晩年の様子が描かれ幕を閉じます。
その物寂しい様子からは、『平家物語』のテーマである無常観がひしひしと伝わってくるようです。

『平家物語』の重要なキーワード!「無常観」を解説

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」

有名な『平家物語』冒頭の文章です。
「諸行無常」とは仏教の言葉。
「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは常がなく続かないことを言われます。
つまり「諸行無常」とは、「すべてのことは続かない」ということです。

人は山の頂上に上ることはできるが、とどまることはできない」と言われます。
富も名声も手に入れ、どんなに順調にいっているように見えても、いつまでも続くものではないでしょう。
いずれ必ず色褪せ、失う時がやってくるのです。

平家の棟梁である平清盛は、最高の官職である太政大臣にまで昇りつめ、それとともに平家一門はどんどん栄えていきます。
その勢いは「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われたほどでした。
徳子も言っていましたが、栄耀栄華を誇っているときは、その生活を失う日が来るとは夢にも思わないものです。
「思わない」というよりは、「思いたくない」というのが心情かもしれません。
楽しい幸せな日々が続いてほしいというのは、すべての人の願いではないでしょうか。

しかし、私たちの命にもまた限りがあります。
権力を誇り、怖いものなしだった清盛も無常の命でした。
命が終わっていくときには、富も名声も権力も、持っていくことはできないのです。
そのことを決して忘れてはいけないよ、と『平家物語』の登場人物たちの姿が物語っています。

諸行無常はつらい現実ですが、その事実を知るからこそ生きることが輝くのだと、仏教では次のように言われます。

「無常を観ずるは菩提心の一なり」
(無常を見つめることは、幸せになりたいという心をおこす第一歩である)

限りある人生を見つめたとき、本当の幸せとは何かが初めて問題になるのだと思います。
ですから、幸せな人生を送るためには、諸行無常の現実を見つめることが不可欠なのです。
『平家物語』は、まさに「すべてのものは続かない」諸行無常の現実を、現代の私たちに教えてくれる物語と言えるのではないでしょうか。

まとめ

『平家物語』は多くの人が知る古典ですが、意外と内容を知らないという人も多いのではないでしょうか。
ただの軍記物というだけではなく、そこに描かれる登場人物たちの姿には考えさせられることばかりです。

全編にわたって描かれる「無常観」は、現代の私たちが生きる上でも、とても大切なテーマ。
『平家物語』を読んでみると、自分の人生をより深く考えるきっかけになるかもしれません。

美しき鐘の声 平家物語(一)

美しき鐘の声 平家物語(一)

木村耕一(著) 黒澤葵(イラスト)