心がきらめく仏教のことば #22

  1. 仏教

蓮華と仏教の深い関係とは?泥の中に咲くきれいな花の意味

人気の名前第1位は「蓮」

今回のテーマは「蓮華」です。

令和3年に産まれた男の子の名前の表記で一番多かったのが「蓮」(れん)だそうです。
蓮は植物のハスのことで、泥水の中から育ち美しい花を咲かせます。
周囲に染まらない清らかさやたくましさを感じさせ、「れん」という響きが涼しげで洗練されたイメージがあることから人気だと紹介されていました。

そんな「蓮」、実は仏教とは大変なじみの深い花です。
仏教で花といえば蓮華というくらい、切っても切れない関係にあります。

たとえば、仏像や仏様の姿を描いた絵ではよく仏様が蓮華の台の上に座っておられたり、立っておられる姿が描かれます。
また仏の世界である浄土に咲く花も、みな「蓮華」です。

ですから仏教で花といえば、蓮華なのです。
それは一体なぜなのでしょうか。

蓮華は喜び・幸せをあらわす

そもそも花は、華やかさ、喜び、幸せといったものをあらわすときに使われます。
「パッと花が咲いたように表情が変わった」といえば急に笑顔になった、喜びであふれたことでしょう。
また結婚式では、幸せの象徴として「花嫁」ともいわれます。

このように幸せを「花」であらわすことはよくあります。
仏教でも、蓮華の花であらわされるのは、喜び・幸せです。

仏教で教えられる、無上の喜び、本当の幸せを蓮華の花であらわされています。
なぜなら、蓮華の花の特徴が無上の喜び・本当の幸せの特徴とよく似ているからです。

ではどのようなところが似ているのでしょうか。

「蓮華の五徳」:蓮華の5つの特徴

仏教では、蓮華の特徴を5つにまとめて「蓮華の五徳」といわれます。

  1. 汚泥不染(おでいふぜん)の徳
  2. 一茎一花(いっけいいっか)の徳
  3. 花果同時(かかどうじ)の徳
  4. 一花多果(いっかたか)の徳
  5. 中虚外直(ちゅうこげちょく)の徳

最初の汚泥不染(おでいふぜん)とは、蓮華の咲く場所の特徴です。

2番目の一茎一花(いっけいいっか)とは、蓮華は一つの茎に一つの花を咲かせるという特徴です。
ひまわりなどの花もそうですが、あさがおのように一つの茎からたくさん花を咲かせる植物に対して、特徴の1つにあげられています。

3番目は、花果同時(かかどうじ)です。
蓮華の花は、徐々に花開いていく植物に対して、つぼみからあっという間に花開く特徴があります。
そして花が開くと同時にタネ(果)もできているということです。

4番目は一花多果(いっかたか)で、1つの花から多くのタネ(果)ができることをいいます。

最後の中虚外直(ちゅうこげちょく)とは、茎の特徴ですが、蓮華の茎は空洞になっています。
いわゆるレンコンのようになっているのです。
空洞だらけですが、まっすぐ曲がらずに伸びていることを中虚外直(ちゅうこげちょく)といいます。

これら蓮華の特徴が仏教で教える本当の幸せの特徴と似ていることから、仏教では蓮華の花がよく出てくるのです。
今回は、この中の一つ、汚泥不染(おでいふぜん)ということについて詳しく紹介したいと思います。

蓮華の特徴:泥の中に咲く

蓮華には「淤泥不染」(おでいふぜん)という特徴があります。
蓮華の咲く場所の特徴です。

淤泥(おでい)とは、ドロドロの泥沼ということです。
蓮華は、高原の陸地や整備された花壇には咲きません。
あまり近づきたくない、関わりたくない、泥沼の中に咲く花です。

では泥沼に咲くから泥に汚れた花なのかというと、まったく泥に染まらないきれいな花を咲かせます。
これを「淤泥不染」(おでいふぜん)といいます。

さて仏教で教える本当の幸せとどのような関係があるのでしょうか。

人生は苦しみ悩みの連続

泥沼の中に咲くといわれる、泥沼とは、苦しみ悩み悲しみ嘆きの絶えない人生をあらわします。
私たちが生きることは、決して楽なことばかりではありません。

望んだものが手に入らない。
悲しい別れを経験したり、人から恨まれたり恨んだり。
将来に対する不安や心配で押しつぶされそうになることもあるでしょう。

苦しいことが次々とやってくるのが人生です。
誰も苦しみ悩みに関わりたくないものですが、欲望、悲しみ、怒り、うらみが絶えず泥沼のようなところが人生なのです。

そんな泥沼の中にこそ咲く花が蓮華であるとは、苦しみ悩みの人生の真っただ中に、本当の幸せの花が咲くことをあらわしています。

マガダ国の王妃・イダイケの悩み

ブッダがおられた2600年前にインドで一番力を誇った国がマガダ国でした。
その国の王妃は「イダイケ」という女性でした。

彼女は王妃として何不自由ない暮らしをしていましたが、長年子どもに恵まれずに悩んでいました。
苦労の末、やっとの思いでわが子「アジャセ太子」が生まれたものの、大きな問題があったのです。

アジャセは生まれつき狂暴で、手の付けられない子どもでした。
成長するとますます激しくなり、気に入らないと家臣を殺したり、乱暴をはたらくのが日常茶飯事となりました。
イダイケも夫の国王も日々、アジャセのことで頭を悩ます日々です。

そんな悩みの絶えない生活の中で、国王夫妻は巡教中のブッダに巡り合います。
教えの深さに感動し、ブッダの教えを熱心に聞くようになっていったのです。

牢の中で苦しむイダイケの心が一変

ところがアジャセは、質のよくない臣下からの「王夫妻はアジャセに王位を継がせる気がない」との流言にそそのかされ、王を牢に入れて殺してしまいました。
さらにイダイケも、王を手助けしていたことがアジャセに知られ、牢に入れられてしまいます。

イダイケは牢の中で、アジャセに対する怒り憎しみが爆発しました。
「あれだけ大事に育ててきたのに、どうして私がこんな目に」
「悪いのは全部、アジャセじゃないの」
「どうしてあんな子を私が持たねばならなかったの」

牢の中でもがき苦しむイダイケの心中を察知なされたブッダは、イダイケのもとに行かれ説法をされるのでした。

今までアジャセのことで苦しみ回っていたイダイケは、ブッダの教えを聞き、心に蓮の花が咲いたように人間に生まれてよかったという無上の幸せに生かされたのです。
それまでの一切の苦しみ悩みも怒りも憎しみも、この喜びの身になるためであったのかと喜びの涙へと変わり果てました。

アジャセは、母のあまりの変わりように驚きました。
母からブッダの教えを聞いて心が変わった彼は、イダイケを牢から出し、ともにブッダの教えを聞くようになったと仏典に記されています。

まとめ:蓮華は本当の幸せを表す花

イダイケの話からよく知っていただきたいのは、仏教は「どのような人のために説かれたものなのか」ということです。

ブッダの教えは、先ほどのイダイケのように人生の苦しみ悩み、悲しみの中にいる人のために説かれました。
苦しみに染まり、苦悩にあえぐ人たちに、人間に生まれてよかったという本当の喜びを教えているのが仏教です。

ですから仏教の教えを聞いていかれますと、「人間に生まれてよかった!」「この無上の幸せになるための人生だったのか!」と本当の幸せの花が心に咲く時がきます。
苦しみ悲しみの多い人生だったけど、生きてきて本当によかったと輝くのです。

無上の幸せになれば、どのような苦しみ悩みの泥沼の中にあっても「人間に生まれてよかった」という喜びは決して泥に染まりません。

そんな幸せが仏教に教えられていますから、仏教では本当の幸せを蓮華にたとえられています。
みなさんの心の中にもぜひ、どのような苦しみ悩み悲しみにも染まらない無上の幸せの花を咲かせてほしいと思います。

そこまで仏教を聞いてもらいたいと願ってやみません。

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