古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、当時、絶対的な権力を握っていた平家への不満から、ドラマが展開していきます。平家に付くか、源氏に付くか、人間模様が面白くてハラハラドキドキしますね。
今回の『歎異抄』の理解を深める旅は、『平家物語』ゆかりの祇王寺(ぎおうじ)を訪ねます。平清盛が絶頂の頃、どんなことがあったのでしょうか。
木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅㉙[京都編]『平家物語』ゆかりの祇王寺1の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)

『平家物語』ゆかりの祇王寺は「悲恋の尼寺」として有名です。
20歳前後の女性が中心となって開いた寺です。

──今から約800年前に何があったのでしょうか。「悲恋」とは? 気になりますね。

祇王寺に伝わる4人の女性の生き方を見つめ、『平家物語』『歎異抄』の関係を確認する旅に出ましょう。

──よろしくお願いします。

JR京都駅から、電車で18分ほどで嵯峨嵐山(さがあらしやま)駅に着きました。
駅の南側が、京都を代表する観光地・嵐山です。国内だけでなく、世界から大勢集まる超人気スポットです。

──祇王寺は、どこにあるのでしょうか?

はい、祇王寺は、そんなにぎやかな観光地の反対側、駅から北西へ約2キロ進んだ静かな山のふもとにありました。

嵯峨嵐山駅から祇王寺へ向かって歩いていると、人力車に追い越されました。

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「はて、明治時代に戻ったのかな?」と錯覚しそうになりました。
それは、今はやりの「観光人力車」でした。車夫が解説をしながら名所・旧跡を案内してくれるのです。

──わぁ、風流ですね。

古都の風を肌で受けながら、ゆったり旅をするなんて、うらやましいな……と感じた次第。

──はい、取材、お疲れさまです。

祇王寺の前に着いて驚いたのは、「寺」というより、小さな「草庵(そうあん)」というイメージだったことです。

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広い庭園があります。緑の苔に覆われ、カエデの落ち葉が敷き詰められていました。
祇王寺は、紅葉の名所としても知られています。私が訪れたのは11月下旬だったので、最も美しい時期を過ぎていました。

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それでも、庭園を一周する小道を歩くと、心が落ち着いてきます。慌ただしい時間の流れから解放され、自分の心を見つめるには、とてもいい場所です。
夕暮れ時だったので、草庵には、温かい明かりがともっていました。4人の女性と平清盛の像が置かれています。

──この4人の女性と平清盛と、どんなことがあったのでしょうか。

では、『平家物語』の「祇王」の章を要約してみましょう。

     ※    ※

平清盛が、天下を思いどおりに動かす権力を握っていた頃のことです。

宴会などで歌謡や舞を披露する芸能人(白拍子)の中で、最も評判がよかったのが、祇王と祇女という名の姉妹でした。
姉の祇王が、平家の屋敷を訪れた時のことです。天女が羽衣をまとったような可憐(かれん)な17歳。その美しさは、武者の多い邸内で、輝きを放っていました。

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清盛は、一目見るなり、祇王に惚れ込んでしまい、そのまま屋敷にとどめてしまったのです。その代償として、祇王の母に、りっぱな家を造って与えただけでなく、毎月、百石の米と百貫の金銭を贈り続けたのです。

貧しかった祇王の家族は、一躍、裕福になり、楽しい日々を過ごすようになりました。
都には、
「祇王御前は、えらい幸運をつかんだものだ」
「玉の輿に乗るとは、このことだ。今や、清盛公の側室だからな」
と、たちまちウワサが広がりました。

それから3年たった頃、芸能界に、キラリと光る新人が現れました。加賀国の出身で、名は仏御前(ほとけごぜん)。16歳の女性です。
都では、
「これまで、こんな上手な舞は見たことがない」
と、彼女の人気は高まる一方でした。

仏御前は、積極的な女性です。
「誰に褒められようと、この国を動かしている清盛殿に評価されなかったら一番とは言えないわ。お招きがなければ、こちらから押しかけて、私の舞を見ていただきましょう」
と、祇王に負けないほど美しく装って、平家の屋敷へ向かったのです。

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清盛は、
「都で評判の仏御前が参りました」
と聞き、激怒します。
「厚かましいにもほどがある。ここに、祇王がいることを知らないのか。追い返せ!」

すると、そばにいた祇王が、清盛をなだめます。
「そんなに冷たく追い返されては、若い彼女が、どんなに落胆し、恥ずかしい思いをするでしょう。私も、芸の道に生きていますので、人ごととは思えないのです。どうか、会うだけでも会ってやってください」

心を動かされた清盛は、
「そうか、おまえが、それほど言うなら、会ってやろう」
と、態度を変えたのでした。

仏御前は、追われるように車に乗って、門から出るところでしたが、呼び戻され、広間へ連れてこられました。

遠い上座から、清盛は言います。
「今日は、会うつもりはなかったが、祇王が、あまりにも勧めるので、会ってやるのだ。顔を見るだけでは、つまらん。今様(歌)を一つ、歌ってみよ」

仏御前は、「承知しました」と清盛に一礼したあと、そっと祇王を見つめ、瞳で感謝の気持ちを伝えました。

彼女の澄み切った声が、広間に響きわたります。

歌い終わると、シーンと静まり、誰もが、心地よい余韻を味わっていました。

仏御前を見る清盛の目が変わってきました。
「そなたは、今様が上手だな。舞もきっと素晴らしいだろう。誰か鼓を打て。仏御前の舞を見ようではないか」

舞こそ、彼女の得意中の得意。鼓に合わせて、艶(あで)やかに舞い始めました。その美しい姿には、16歳の少女とは思えない気品があります。

恍惚(こうこつ)とした顔つきで見入っていた清盛は、仏御前に、この屋敷にとどまるよう命じました。祇王から仏御前へ、完全に心が移ってしまったのです。

しかし、仏御前は喜びませんでした。
「何をおっしゃいますか。もともと私は、勝手にやってきて、一度は追い返された身です。お願いですから、早く帰してください」

清盛は、
「そんなことは許さん。ははあ、祇王に遠慮しているのだな。よし、それなら、祇王に暇をやろう。直ちに実家へ帰らせることにしよう」
と無造作に言い放ったのでした。

祇王は、いつか、こういう日が来ることは覚悟していました。
しかし、まさか今日が、その日になるとは夢にも思っていなかったのです。

清盛から、「早く出ていけ」と、しきりに催促が来ます。

彼女は、自分に与えられていた部屋を片付けていました。3年もの間、住み慣れた屋敷を追い出されるのは、名残惜しいだけでなく、恨みや悲しみが込み上げ、涙が止まりません。
いつまでも泣いているわけにもいかないので、祇王は、襖(ふすま)に一首の歌を書いて出ていきました。

萌(も)え出ずるも
枯るるも同じ野辺の草
いずれか秋に
あわではつべき

(新しく芽を出す草も、枯れていく草も、同じ野原の草です。やがて秋になれば、枯れてしぼんでいくのです)

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祇王が去ったあと、襖に残された歌を見た人たちは、しんみりと考え込んでしまいました。

「萌え出ずる草」とは仏御前
「枯るる草」とは祇王自身
を例えています。

「青々と勢いよく伸びる草花も、やがて茶色に変わって枯れていきます。私にも、その時が来たのです」
無常の世を悲しんでいるのです。

また、「いずれか秋に」「秋」には「飽き」の意味がかけられています。

「仏御前よ。いずれあなたも、私と同じように飽きられて捨てられるのですよ」
と言い残したのでした。

──続けてお聞きしたいところですが、長くなりましたので、続きは次回にお願いしたいと思います。祇王はどうなってしまうのでしょうか。

木村耕一さんが意訳する『平家物語』

「歎異抄の旅」をレポートしている木村耕一さんは、『平家物語』を意訳しています。
黒澤葵さんのイラストが随所に挿入され、文字が大きく、読みやすいと評判です。
こちらから、試し読みができます。

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