「日本人ならば、一度は読みたい古典」と言われる『歎異抄(たんにしょう)』

「歎異抄って? 中華料理ですか?」という、若い世代の声を聞きました。
なるほど〜、「抄」と「炒」……、似ていますね。

『歎異抄(たんにしょう)』は、中華料理では、ないんです。

「日本人ならば、一度は読みたい古典」と言われている、古典文学作品です。

これまで多くの文学者、哲学者が、『歎異抄』の魅力を語っています。
中でも、司馬遼太郎さんの、
「無人島へ一冊持っていくならば歎異抄だ」という言葉は有名です。
『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を書かれた司馬さんの言葉には、重みを感じました。

『歎異抄』は鎌倉時代後期に書かれた書物。
意訳で楽しむ古典シリーズでおなじみの、『方丈記』や『徒然草』と、ほぼ同じ時期です。

『歎異抄』というタイトルは、「異なるを、歎く」
作者は、鎌倉時代に活躍された親鸞聖人のお弟子・唯円とされています。
親鸞聖人亡き後、聖人の教えが、間違って伝えられていることを歎き、正しく伝わることを願って書かれた、という、タイトルどおりの本なのですね。

その『歎異抄』が、昨年5月、初のアニメ映画化で、話題になりました。
それが、劇場版アニメ「歎異抄をひらく」です。

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劇場版アニメでは、親鸞聖人の声を、なんと、あの方が……。(古典 編集チーム)


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意訳で楽しむ古典シリーズの著者・木村耕一が、『歎異抄』ゆかりの地を旅します
(「月刊なぜ生きる」1月号に掲載した内容です)

石坂浩二さんが語る『歎異抄』

俳優の石坂浩二さんに会いに行ったことがあります。
映画プロデューサーが、劇場版アニメ「歎異抄をひらく」への出演を依頼する時に同行したのでした。

石坂さんは、親鸞聖人役を快諾!

台本を読んでから、石坂さんの口から出た言葉に驚きました。

「この映画は、親鸞聖人の60歳以降のドラマだから、セリフも穏やかなものばかりですね。しかし、親鸞聖人ほど波瀾万丈の生涯を送られた方はない。穏やかなセリフの奥に、それまでの60年間の、想像以上のご苦労がある。その思いを込めて演じたい」

さすが博識な石坂浩二さん。
アニメ映画の親鸞聖人役の演技が、多くの人々に感動を与えている理由の一端が、ここにあるように思います。

親鸞聖人は、どのような生涯を送られた方なのか、それをよく知ったうえで、映画「歎異抄をひらく」を見たり、古典『歎異抄』を読んだりすると、より深く理解できるようになるはずです。

そこで、各地の旧跡を旅しながら、親鸞聖人90年のご苦労をたどってみたいと思います。

わずか9 歳で出家?! 京都・東山の青蓮院へ

親鸞聖人の生涯を語る時、まず最初の驚きは、わずか9歳で出家されたことです。
「出家得度」ともいいます。
「出家」とは「家を出る」と書くように、家族とも親族とも別れ、世間との縁を絶って、たった独りで仏道修行の道へ入ることです。
「得度」とは、戒律を授かり、髪をそって、僧侶になることです。親鸞聖人は9歳で、比叡山延暦寺の僧となられたのでした。

なぜ、わずか9歳で、そんな孤独で厳しい道へ進まれたのでしょうか。
仏教に関心があったとしても、修行をするのは大人になってからでもいいのではないでしょうか。
まず、この疑問を晴らすために、京都へ向かいました。

東京から新幹線で約2時間。京都駅へ着いたら、最初に青蓮院を訪ねました。「親鸞聖人得度聖地」として有名だからです。
祇園四条で電車を降りると、鴨川にかかる四条大橋は観光客でいっぱいでした。美しい川の流れ、岸辺の紅葉が目をひきつけるので、橋の上からスマートフォンで写真を撮る人が多いのです。

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東にそびえる山へ向かって歩くと、そのふもとが円山公園。北隣が知恩院です。

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観光バスがズラリと並んでいる知恩院の前を通り過ぎると、道路の空を覆うようなクスノキに囲まれた寺院が見えてきます。ここが青蓮院です。クスノキは高さが最大で26メートルに達するものもあります。この木は親鸞聖人が植えられたと伝えられているとか……?
門前には「親鸞聖人得度聖地」と刻んだ石碑が建っています。

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ここも、平日なのに観光客が多く、外国人の姿も。
拝観料を払って中へ入ると「親鸞聖人お得度の間」。庭園には、幼い日の親鸞聖人の銅像がありました。
青蓮院は、天台宗の寺院なのに、ここまで親鸞聖人の旧跡であることを強調しているとは! 驚きました。
しかし、「なぜ、わずか9歳で出家されたのか」という疑問に答える説明は、どこにもありません。
庭園には、一つの歌碑が建っています。

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「明日ありと
思う心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは」

9歳の親鸞聖人が、得度を受けられる時に詠まれたものです。この歌の中に、幼い日の親鸞聖人の気持ちが込められているはずなのに、歌碑があることにさえ気づかない人が多いのではないでしょうか。

絶世の美人・小野小町は、幸せだったのでしょうか?

次に、親鸞聖人が幼少期を過ごされた「日野の里」を訪ねましょう。新たな発見があるかもしれません。

親鸞聖人は、承安3年(1173)の春、藤原有範の長男として生まれられました。
日本の政界で、一大勢力を誇った藤原氏には、多くの支流があります。
その中でも、日野(京都市伏見区)に法界寺を建立した藤原氏は、「日野」を姓として名乗ることもありました。観光案内などに、親鸞聖人の父君の名が「日野有範」と書かれているのは、そのためです。

地下鉄東西線の小野駅で降り、旧奈良街道を歩いて法界寺を目指すことにしました。

駅名のとおり、そこは小野小町ゆかりの地でした。
駅から徒歩5分の随心院は、小野小町の屋敷跡に建てられたといわれています。

小町は、平安時代の歌人です。絶世の美人で、熱い恋心を表した歌が多く残されています。
その美しさゆえ、小町の元には、数多くの男性から恋文が届きます。小町が千通の恋文を埋めたという場所に、今も「文塚」が築かれています。

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それだけもてはやされていた小町は、幸せだったのでしょうか。
彼女の代表作として百人一首に載せられている歌は次のようなものでした。

「花のいろは
うつりにけりな
いたずらに
わが身世にふる
ながめせしまに」

(美しかった花の色も、すっかり衰えてしまったな。私も、むなしく年をとってしまいました)

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美しい花が、日ごとに色あせていくように、人間も、一年一年、老いを重ねていきます。その厳粛な事実を、美しく歌ったものです。
この歌のテーマである「老い」と「無常」は、小町だけでなく、全ての人が、やがて直面する、悲しき現実なのです。(次回は、法界寺を訪問します)


あれ? なぜ小野小町が出てくるのでしょうか。
「『歎異抄』と関係ないじゃないか」と思われるかもしれません。
その謎解きは、次回をお楽しみに。(古典 編集チーム)