日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #2

  1. 人生

なぜ、無人島に一冊もってゆくなら『歎異抄』なのか

日本人に、生きる力を与え続けている古典『歎異抄』の魅力に迫る

『歎異抄』は、鎌倉時代に書かれた古典です。

 唯円が、師匠である親鸞聖人に、
「人は、なぜ生きるのでしょうか?」
「この孤独は、どこからくるのでしょうか」
「死んだら、どうなるのでしょうか?」
「釈迦は、どのように仏教を説かれたのでしょうか」
などと問いかけています。

 唯円と親鸞聖人の対話や、唯円が親鸞聖人から聞いた言葉が、そのまま記されているのです。

 とても自然で、リアルな会話を通して、人生や生き方を考えさせられるので、多くの人々を引きつけてきました。日本人に、生きる力と、心の癒やしを与え続けてきた古典といっていいでしょう。

作家、哲学者、思想家を魅了する『歎異抄』

『歎異抄』が、多くの作家、哲学者、思想家を魅了し、日本中に『歎異抄』ブームが巻き起こったのは、明治になってからでした。

 著名人たちは、次のような言葉を残しています。

哲学者・西田幾多郎
「一切の書物を焼失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる」

哲学者・三木清
「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」

劇作家・倉田百三
 大正時代の大ベストセラー『出家とその弟子』は、倉田百三が『歎異抄』から受けた深い感動をもとに描いた作品でした。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、『出家とその弟子』の翻訳本を読んで深く感動し、倉田に手紙を送って、絶賛したといわれています。
 倉田百三は、こう書き残しています。
「『歎異抄』は、真理のためには何ものをも恐れない態度で書かれている。文章も日本文として実に名文だ。国宝と言っていい」
「『歎異抄』は、私の知っているかぎり、世界のあらゆる文書の中で、いちばん内面的な、そして本質的なものである。コーランや、聖書もこれに比べれば外面的である。日蓮や、道元の文章も、この『歎異抄』の文章に比べれば、なお外面世界の、騒がしい響きがするのである」

「読んでみると真実のにおいがする」

司馬遼太郎(小説家)
 司馬遼太郎は、学生時代に、『歎異抄』に出会っています。
 太平洋戦争の最中、急に兵隊に行くことが決まり、大きなショックを受けたのです。
「死んだら、どうなるか」
 人に聞いても分かりません。
 書店を訪ね歩き、書物の中から、その根源的な悩みの解決を見出そうとしていました。
 そんな彼の目をひいたのが『歎異抄』だったのです。
 死亡率が高いといわれた戦車部隊に配属された司馬遼太郎は、戦争中、『歎異抄』を肌身離さず持ち歩き、暇さえあれば読み返していたといいます。
 その心境を、後に、講演で次のように語っています。
「非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね」
「理屈も何もありませんが、どうも奥に真実があるようでした。ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気になって、これでいこうと思ったのです」
(『司馬遼太郎全講演』第1巻より)

これらの人々の言葉に裏付けられるように、『歎異抄』の真価に気づいた人は、世界中の本の中から、1冊の『歎異抄』を選んでいます。

『歎異抄をひらく』の読者から、次のような葉書が、出版社へ届いています。

「もう何十年も前に、「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」という司馬遼太郎の言にふれて、人生、ある時期に達したら『歎異抄』を読みたいと、ずっと思っていました。私のあこがれの書でした」(東京都 70歳・男性)

 いつか『歎異抄』を読みたいと思っている人が、とても多いことを表しています。

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