日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #4

  1. 人生

災害大国ニッポンに生きる『方丈記』の知恵

自分がどんな所に住んでいるのか、まず現実を受け入れると、生き方がみえてくる

『方丈記』は、日本初の災害文学ともいわれています。

鴨長明は、京都を襲った火災、竜巻、地震などの災害を取材し、まるで新聞記者のように、被害状況をリアルに記載しました。

鴨長明が災害を記録した目的とは?

しかし、長明の目的は、災害の記録ではありませんでした。

まず、私たちが、どんな所に住んでいるのかを、明らかにしようとしたのです。

それは、ある日、突然、予想もしなかった災難や災害に襲われる所です。

また、大切な人の死、人間関係の破綻、裏切り、絶望など、いつ、どんな不幸に遭うかしれない所です。

そんな不安に満ちた世界に住んでいることを、ごまかさず、真っ正面から見つめて、
「人間とは」「幸せとは」「生きる意味とは」と、私たちに問いかけているのです。

この問いに、関係ない人はありません。

誰もが一度は悩むテーマを、名文で、ズバリ示しています。

だからこそ、いつまでも古くならず、多くの人を引きつけているのです。

『方丈記』に魅了された人々

江戸時代の松尾芭蕉も『方丈記』を愛読していました。

『奥の細道』の旅を終え、滋賀県の大津に滞在している時に、鴨長明が住んでいた庵の跡を訪ねてみたいという衝動にかられます。

明治の文豪・夏目漱石は、『方丈記』が投げかけるテーマに、自己の人生を重ね合わせ、
「とかくに人の世は住みにくい」と、小説『草枕』に書いています。

昭和の詩人・佐藤春夫は、『方丈記』を読んで圧倒され、いかに生くべきか、を力説した珍しい古典だと感動を語っています。

日本初の自己啓発書、人生論だといえるでしょう。

アニメの巨匠・宮崎駿も、自分の作品の世界観に、『方丈記』が大きな影響を与えていると語っています。

挫折と絶望の連続だった一生

『方丈記』は、鴨長明が、58歳の時に、挫折と絶望の連続だった一生を振り返って書いたといわれています。

彼は、京都の下鴨神社の神官の家に生まれました。

父は最高の地位でしたから、その御曹司として育てられます。

わずか7歳で、朝廷から「従五位下」の位階を授けられたほどです。

成長したら、父の跡を受け継ぐことも夢みていたでしょう。

ところが長明が18歳の時に、父が急死するのです。

長明は、後追い自殺を考えるほど、大きなショックを受けました。

しかも、親族の間で、ゴタゴタがあり、長明の前から、将来の地位も、財産もなくなってしまうのです。

頼りにしていた父が亡くなり、親族にも裏切られ、この世の儚さを知らされるばかりでした。

今も昔も変わらない、災害大国ニッポンの姿

しかし無常は、人の命、人の心だけではありません。

長明が暮らしていた京都が、「まさか!」の大災害に、次々に襲われるのです。

長明23歳の時、大火災、26歳の時には、竜巻、遷都、27歳、大飢饉、31歳、大地震。

いずれも、建物が崩壊し、燃え尽き、大地が割れ、伝染病が蔓延するなど、「この世の地獄」が現れたのです。

こんな激しい無常と絶望を、長明は、わずかな期間に体験したのです。

現実逃避から、才能が開花

彼は、音楽と和歌に没頭して、現実から逃避していきます。

長明は、有名な琵琶の師匠に入門し、一流の腕前を身につけました。

師匠が自分の後継者にと期待していたほどです。

しかし師匠は、長明に「秘曲」を伝授する前に亡くなってしまうのです。

長明は、和歌の勉強にも励んでいきます。

努力が実を結び、長明が詠んだ歌が一首、勅撰和歌集に採用されました。

大喜びしたのは当然です。

人生で一番、花ひらいた時

真っ暗だった人生に、ようやく明かりがさし始めたのです。ますます、歌人としての修練に情熱を傾けていきました。

長明が47歳の時に、思いがけないことが起きます。

国家プロジェクトである『新古今和歌集』の編纂メンバーに任命されたのです。

時の最高権力者・後鳥羽上皇が、大抜擢したのでした。

後鳥羽上皇は、全力で任務にあたる長明の姿に感心し、恩賞を与えることにしました。

それは、長明の父が、かつて務めたことのある神官のポストだったのです。

「父が歩んだ道を行ける!」長明にとって、これほどの喜びはありません。

感激の涙があふれたといいます。

50歳の挫折、ありのままに見つめる

しかし、よりによって、長明の親族から猛反対が起き、中止になってしまいました。

絶望した長明は、神職への復帰をあきらめ、失踪してしまうのです。50歳の挫折でした。

長明は、京都の、どこをさまよっていたのか、明らかではありません。

ただ、法然上人にお会いし、浄土仏教「阿弥陀仏の本願」の教えをお聞きして、生まれ変わったのです。

絶望し、悲しんでいる時に、「大変ですね」と慰められても、心に負担が増すばかりです。

「頑張ってください」と励まされると、よけいに苦しくなります。

むしろ、ありのままの状態を、真っすぐに見つめることによって、心が救われることがあります。

「絶望的な災害や不幸に遭っても、どうか、命を大切にしてください」

鴨長明が、『方丈記』に残したメッセージは、災害大国ニッポンに生きる私たちにとって、大きな心の支柱になっているのです。

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