古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

前回は、「悲恋の尼寺」として有名な『平家物語』ゆかりの祇王寺(ぎおうじ)を旅していました。
祇王寺の草庵(そうあん)には、4人の女性と平清盛の像が置かれています。
4人の女性の1人・祇王は、平清盛の寵愛(ちょうあい)を受け、楽しい日々を過ごしていました。
ところが3年後、仏御前(ほとけごぜん)が現れ、清盛が心変わりしてしまったのです。
その後、祇王はどうなったのでしょうか。
木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅㉚[京都編]『平家物語』ゆかりの祇王寺2の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

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この世は、仮の宿

──祇王が、平清盛の屋敷を追い出された時に詠んだ歌「萌(も)え出ずるも 枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋に あわではつべき」は、とても心に響きました。その後、祇王は、どうしたのでしょうか。

はい、実家に帰った祇王は、そのまま倒れ伏して、ただ泣くばかり……。
母や妹が、「どうしたの、何があったの?」と尋ねても、何も答えません。送り届けてくれた人に聞いて、やっと事情を知ることができたのでした。
それ以来、毎月、実家へ贈られていた米百石、銭百貫も、止められてしまったので、急に、生活を切り詰めなければならなくなりました。
逆に、今度は、仏御前の家族が、富み栄えるようになっていったのです。

──清盛の周りの人たちにも、栄枯盛衰があったのですね。

その後、祇王には、悲しいこと、悔しいことが続きました。
「この先、生きていたら、また苦しい目に遭うに違いない。もう、身投げをして死んでしまいたい」
祇王が言うと、妹の祇女も、
「お姉さんが身投げをするならば、私も死にます」
と同意します。

母は、これを聞いて悲しみ、祇王を諭します。

「おまえが身投げをすれば、妹も一緒に死ぬと言っている。2人の娘を失ったら、母一人、どうして生きていけましょう。私も一緒に身投げをします。
でも、考えてみておくれ。親に身投げをさせるのは、親を殺すのと同じことになるのですよ。お釈迦さまは、親殺しの罪はとても重いので、来世は、必ず苦しい世界へ堕ちると教えられています。
この世は、仮の宿のようなもの。長い長い生命の流れからいうと、人生50年としても、一瞬の間でしかないのです。
だから、この世で、どんな恥ずかしい目に遭っても、苦しい目に遭っても、来世で受ける苦しみと比べたら、どうでもいいような、ちっぽけなものでしかないのですよ」

母は、こう言って、さめざめと泣くのでした。

祇王は、
「申し訳ありません。自殺は思いとどまります。しかし、都にいると、またつらい目に遭うでしょう。今は、ただ、都の外へ出たいのです」
と言って、そのまま髪を切って尼になったのでした。この時、祇王、21歳でした。

妹の祇女(19歳)も、母(45歳)も髪を切り、3人で一緒に、嵯峨野(さがの)の山里に粗末な庵(いおり)を結び、浄土往生(じょうどおうじょう)を願って、念仏の生活を送るようになったのです。

歎異抄の旅㉚[京都編]『平家物語』ゆかりの祇王寺2の画像2

たった一度しかない人生を

かくて春が過ぎ、夏の盛りが過ぎて、秋の風が吹き始めました。
彼女たちは、夕日が西の山の端にかかるのを見ても、
「日の沈んでいく所は、西方浄土。いつか私たちも浄土に生まれて、つらい思いをせずに過ごしたい」
と願わずにおれません。

ある日、夜が更けてから、トントントンと玄関の戸をたたく音がしました。

こんな時間に訪ねてくる人がいるはずがありません。祇王が、おそるおそる戸を開けてみると、そこに立っていたのは、なんと、仏御前ではありませんか。

「あなたは、清盛殿の屋敷にいるはず。どうして、ここへ……」

驚く祇王に、仏御前は、涙を抑えて語り始めました。

「私は、薄情な人間になりたくないので、これまでのことを、お詫びにきました。
もともと私は、清盛殿から呼ばれてもいないのに、勝手に推参して、追い返された身です。それを、祇王御前のお執り成しで呼び戻されたのに、私の気持ちに反して、強引にお屋敷にとどめられました。私は、ずっと、あなたに申し訳なく、心が苦しかったのです。
あなたが襖(ふすま)に書き残された歌を見るたびに、まことの言葉だな、と思う日々でした。
今は、天下を取った清盛殿のそばで、豪邸に住んで、美しい服を着て生活しているけれども、こんな喜びは、いつまで続くのだろうか、と疑問がわいてきたのです。
お釈迦さまは、
人間の命は尊い。たった一度しかない人生を無駄にしてはならない。いつまでも変わらない幸せになりたければ、仏教を聞きなさい』
と教えられています。
もし、生きている間に、弥陀(みだ)の本願に救われることがなかったら、この世も、未来も、苦しみの連続になってしまうでしょう。
それなのに、一時の楽しみにごまかされて、生きる意味を考えようとしない自分が、とても情けなく思えてきたのです。今朝、思い切って、清盛殿の屋敷を飛び出し、このような姿になってまいりました」

こう言って、仏御前は、頭からかぶっていた衣を取りました。

なんと、髪を切って、尼になっていたのでした。

仏御前は、泣きながら訴えます。
「これまでのことは、どうか、お許しください。私をここに置いてください。皆さんと一緒に、弥陀を深くたのんで念仏して、往生の願いを遂げさせていただけないでしょうか」

祇王も涙を抑えて答えます。
「私は、あなたのことを、恨んでばかりおりました。しかし、今の話を聞いて、日頃の恨みは消え去りました。
私の出家の動機は、あなたに比べれば、取るに足らぬものでした。わが身の不幸を恨み、逃げるように山にこもってしまったのです。
あなたは違う。わずか17のお年で、この世の儚(はかな)さを見つめて、浄土往生を願っています。仏教を求める者の、本来あるべき姿を、あなたから教えてもらいました。さあ、中へ入ってください」

4人は、この庵で一緒に暮らし、朝夕、仏前にお花、香を供え、心安らかな日々を送るようになりました。法然上人(ほうねんしょうにん)から仏教を聞かせていただくことを楽しみとし、弥陀を深くたのんで念仏を称えていたのです。
遅い、早いの違いはありましたが、彼女たちは、みな、浄土往生を遂げたといわれています。
(『平家物語』 巻一「祇王」より)

     ※    ※

4人の女性が、念仏を称えて暮らした草庵は、後に「祇王寺」と呼ばれるようになりました。
祇王御前や仏御前が、清盛に見初められて、豪邸に住み、経済的に恵まれるようになったことを、都の人々は「幸運をつかんだ」と、うらやましく思っていました。
果たして、それは幸運だったのでしょうか。

──幸運とは何か、考えさせられますね。

祇王寺は、「悲恋の尼寺」と呼ばれています。しかし、『平家物語』の原典を読むと、権力者に翻弄された悲しい女性たちが、生きる意味を見つめ、いつまでも変わらない幸せを求めた場所であることが分かります。

『平家物語』の作者が、祇王のエピソードを通して伝えたかったことを、『歎異抄』は、次のように言い切っています。

(原文)
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もってそらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。 (『歎異抄』後序)

(意訳)
火宅(*)のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである。

*火宅……火のついた家のこと

歎異抄の旅㉚[京都編]『平家物語』ゆかりの祇王寺2の画像3

──木村耕一さん、ありがとうございました。『平家物語』も『歎異抄』も、今を生きる私たちに大切なメッセージを伝えているんだなと思いました。次回もお楽しみに。

木村耕一さんが意訳する『平家物語』

「歎異抄の旅」をレポートしている木村耕一さんは、『平家物語』を意訳しています。
黒澤葵さんのイラストが随所に挿入され、文字が大きく、読みやすいと評判です。
こちらから、試し読みができます。

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