心がきらめく仏教のことば #8

  1. 仏教

お彼岸の意味とは?娑婆との関係から見る、我慢してでも生きる意味

お彼岸にはどんな意味が?

今回のテーマは「お彼岸と娑婆」です。

年2回、春と秋にやってくるお彼岸。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われたり、墓参りや彼岸花、おはぎなどが思い浮かびますね。

お彼岸とはもともと仏教由来の言葉です。
彼岸とは「かの岸」という意味で、向こう岸のこと。

この彼岸に対する言葉として、「此岸(しがん)」という言葉があります。
此岸とは、こちらの岸という意味です。
大きな川を挟んで、自分のいる岸辺を此岸と言い、反対側の向こう岸を彼岸というのです。

彼岸とは、仏教で極楽浄土をあらわします。
極楽浄土は西にあると教えられるので、ちょうど太陽が真西に沈む春分と秋分の時期を「お彼岸」と呼ぶようになりました。
西に沈む太陽から極楽浄土へと思いをはせる日という意味があるんですね。

ですから仏教は、「此岸にいる私たちを彼岸へと導く」ための教えということです。

娑婆とは「辛抱しなければならない世界」

一方此岸とは、昔のインドの言葉で「娑婆(シャバ)」と言われ、中国では「堪忍土(かんにんど)」とも言われました。
仏教はインドから中国に伝わりましたので、娑婆という言葉が中国では堪忍土と言われるようになったのです。

堪忍土とは、こらえ辛抱していかねばならない世界という意味があり、私たちの頭を悩ます問題が次々やってくるこの世界を表しています。

会社や上司から理不尽な要求や命令が出たり。
やりたくないことでも、耐えてしなけばならないこともあるでしょう。

憧れて入った世界だけど最初のうちは下積みばかりで、辛抱しなければならない時期もある。
夫や子ども、親に対して言いたいことがあってもぐっとこらえることも必要です。

そんな様々なことをこらえ辛抱していかねばならないのが此岸であり、娑婆であり、堪忍土なのです。

この世は思い通りにならない

こんな言葉があります。

「ままにならぬと おひつを投げりゃ そこらあたりは ままだらけ」

おひつとはご飯を入れておく桶のことですが、ご飯が硬過ぎるとかやわらかすぎるなど、思うままにならないからといっておひつをひっくり返せばどうなるでしょうか?
当然、そこら中がご飯だらけになってしまいます。
結局、片付けなければならないので余計苦労するでしょう。

生きていれば、思うようにいかず、すべてを投げ出してひっくり返したい気分になることもあります。

小さいお子さんのいるご家庭なら、せっかく作った食事を子供が食べたがらないとか。
もう出かけないといけないのに、まだ子供が着替え終わっておらず、イライラしてしまったり。
急いでいるのに、信号が赤になったり、電車が目の前で発車してしまったり。

夫や会社の同僚が思ったように動いてくれず、苛立ったりと思った通りにいかないことだらけかもしれません。
1年のうちで思い通りに事が進む日がいったいどれだけあるでしょう。

家庭や会社の中でも、お互いに言いたいことを我慢したり、やりたくないことでも辛抱していきませんと、うまく回っていきません。
思ったことを何でも口にしていたら、ケンカになったり、険悪な雰囲気になってしまいます。
家事が面倒だと思っても、辛抱してやらねば、散らかり放題になるでしょう。

忍耐を実践するために大切なことは?

仏教では、耐え忍ぶということは「忍辱(にんにく)」といわれ、大変善いことだと教えられています。

手を抜いたり、怠けたりするのは耐える必要なくできるでしょう。
ところが、家事や仕事、育児、人間関係をうまく保つためには耐え忍んでやっていかねばなりません。

それが堪えきれずに投げ出したり、やめてしまう人もいる中で毎日耐えて続けているのは、すばらしい善行を実行しているのだよとブッダは教えておられます。

ただ、口で言うのは簡単でも、実践していくのは楽なことではありません。
そこで、少しでも実践していく上で心にとどめておいていただきたいことを2つ紹介したいと思います。

お互いに我慢している私たち

1つは、忍耐しているのは自分だけではないということです。

時としてこんなことを感じることはないでしょうか?
「私ばかりが耐えて我慢している」「私だけ損している」と。

耐えることが多いのが人生ですから、特に身近な人が自由に振舞っているように見えると、そう感じますよね。
しかし、忍耐しているのは本当に自分だけなのでしょうか?

サラリーマンの気持ちを歌った川柳にこんなものがありました。

「耐えてきた そういう妻に 耐えてきた」

奥さんは奥さんで、いろいろ我慢してこられたのでしょう。
ですがそういう奥さんに、実はご主人も耐えてこられたという川柳です。
お互い様なのですが、意外と自分だけが苦労していて、他の人は楽しているように思えてしまうのはよくあることです。

私も子どものわがままに振り回され、イライラしてしまうことがあります。
しかし、自分も小さいとき、言うことをコロコロ変えて親を困らせたことがどれだけあったかわかりません。

自分ばかりが耐えているように思ってしまいますが、周りの人も私の色々なことに目をつぶり、堪えてくださっているのでしょう。
お互いさまと思えば、今より少しは辛抱できるのではないでしょうか。

我慢しているんじゃなく、我慢してもらっている。
そんな風に思えると、景色は変わって見えます。

辛抱して生きていくのは何のため?

心にとどめてもらいたいことの2つ目は、「辛抱をして生きていくのは何のためなのか」ということです。

さまざまな辛抱を強いられるのが此岸であり、娑婆世界です。
その辛さに耐えて頑張る目的は何なのかハッキリしていれば、いろいろな困難がやってきても乗り越えていけるでしょう。

試験勉強や毎日のトレーニングは辛いものがあります。
我慢を強いられることも多いでしょう。

では、この学校へ行きたいとか、この資格をとりたい、この大会でいい成績をおさめたいなど目的がハッキリしていたらどうでしょうか。
目的を達成したいという思いが強いほど、途中のさまざまな困難を乗り越えて進んでいけます。

ところが目的を見失ってしまったり、わからなくなると、そこまで辛抱して頑張る意味が見出せなくなってしまうのです。

それと同じように、この娑婆世界で一番大切なことは、さまざまな困難や苦難、辛いことに耐えて生きていくのは何のためかをハッキリさせることだとブッダは教えます。

マラソンならゴールのテープを切ったときに、それまで苦しみに耐えて走ってきてよかったと今までの苦労がすべて報われます。
同様に、生きてきて本当によかったと心から喜べる、そんな生きる目的がハッキリし、達成してこそ苦しみや辛いことに耐えてきて本当によかったと言えるのです。

生きていると、よく辛抱や我慢を強いられますが、それらの苦しみや苦労が報われる、そんな道を歩みたいものです。
そのためにも、自分は「何のために生きているのか」という一番大切なことをよくよくハッキリさせてもらいたいと思います。

まとめ

「彼岸」は此岸に対して言われる言葉で、西にあると言われる極楽浄土を表しています。
ですから、年に2回太陽が真西に沈む春分と秋分の日をお彼岸と言われるのです。

それに対して、此岸とは娑婆とも言われ、私たちの住むこの世界のことを指しています。
娑婆には、「忍耐しなければならない世界」という意味があり、まさに思い通りにならないこの世界そのものです。

辛抱することが続くと、すべて投げ出してしまいたい気持ちになります。
忍耐を続けていくためには、次の2つのことをぜひ知っていただきたいと思います。

➀忍耐しているのは自分だけではない
➁辛抱をして生きていくのは何のためなのか

年2回、お彼岸の日に自分を振り返ってみるのもいいかもしれません。

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