【源氏物語】母の秘密を知った朝…【薄雲の巻】の画像1

こんにちは。国語教師の常田です。
紫式部は中国、日本の歴史書をよく読んでいたといわれますが、歴史書を記す時の、それぞれの歴史家の姿勢の違いも、当然理解していました。僧侶がたいてい、冷ややかに描かれていることにも注目です。

老僧から告げられた母・藤壺の真実

現在、光源氏(32歳)が後見している冷泉帝は14歳です。
母親は、源氏が生涯恋慕した、亡き藤壺でした。

母・藤壺の四十九日の法要も過ぎ、冷泉帝が心細い気持ちで起きていた夜明け頃のこと、70過ぎの老僧が近づいてきました。
亡き母が懇意にし、冷泉帝が慰めに呼び寄せている僧です。

彼は意味ありげに咳払いをします。

「実は…。帝がご存じないままでは重罪になりかねない、と思うことがございまして」

「何事か。幼少の頃からそなたとは分け隔てなく接してきたつもりだ。なのにそなたは、私に隠し事をしていたのか」

「まことに申し上げにくいことですが…。あなた様がおなかの中におられた時、お母様が非常に思い詰めた様子で相談してこられました。おなかの子の父親は源氏の君であると…。そして、かくかくしかじかで…」

「なんと…!ほかにそれを知る者はあるのか」

「ご心配は要りません。しかし、もし私がお話しせずに命果てたなら、あなた様はご存じないままとなりましょう。さすれば、どんな災いが振りかかるかと案じられまして。近頃相次ぐ天変地異は、そのためかと思われます」

光源氏が実父?悩む冷泉帝

光源氏が実父とは…。

衝撃を受け、思い悩んだ冷泉帝は、日が高くなっても寝所から出ていくことができません。
驚いて駆けつけてきた源氏の姿に、思わず涙を流します。

“母を亡くした悲しみから立ち直れないのだな”

事の次第を知らぬ源氏は、そうとしか思えません。

「何となく心細い気持ちですよ。これからは安楽な境地で過ごしたいものです」
とこぼす冷泉帝。
自分と瓜二つの源氏の容貌をまじまじと見つめ、複雑な思いになるのでした。

実父を臣下にしていることがいたたまれず、帝は解決策を探して書物をひもときました。

自分のような、臣下の実父を持つ皇帝の存在は、中国の歴史書には記されていました。
ですが、日本の歴史書にはありません。
日本では書き残せないことなのだ、と知らされます。

思案苦慮した冷泉帝は、源氏に帝位を譲ろうと決めます。
しかし、「さらにあるまじきよし(全くもってあってはならぬことです)」と源氏にいつもと変わらぬ口調できっぱりと拒まれ、肩を落としたのでした。

一方、平静を装っていた源氏ではありましたが、帝の態度の変化や、突然の譲位の意向に、
「さては…、あの秘密が漏れたのか」
と内心ドキリとしたようですが、まさか帝がはっきり聞いていようとは、思いも寄りませんでした。

◆ ◆ ◆ ◆

当時、僧侶は学徳を備えた存在として、非常に尊敬されていました。
ところが『源氏物語』に出てくる僧は、どうも軽薄な言動が多いのです。

かつて光源氏18歳の時、療養で立ち寄った北山という所でも、必要もないのに女ばかりで暮らす家族の話を源氏にしたのは、やはり僧侶でした。
好色心をかき立てられた源氏が、すぐさま垣間見したのは言うまでもありません。

物語の中で唯一、高徳の僧として描かれているのは、終盤の「宇治十帖」に登場する横川の僧都(よかわのそうづ)のみといっていいでしょう。

そのモデルは、紫式部と同時代に活躍した高僧・源信僧都だといわれています。

源氏物語全体のあらすじはこちら

源氏物語の全体像が知りたいという方は、こちらの記事をお読みください。

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