私たちは、うまくいかなかったとき、つい自分を責めてしまいがちです。
「あのときは自分が悪かった」
「もっとちゃんとできたはず」
そうした反省は、一見まじめで誠実に見えます。
しかし、ちゃんと反省するのは意外と難しく、反省の仕方を教わる機会もあまりないのではないでしょうか。自己否定にならないように、「健全に振り返る」ためのヒントをお伝えします。
そのカギになるのが、「免責から引責へ」という順番・プロセスを知ることです。
反省するのは、意外と難しい
前回の記事では、「公正世界仮説」という認知バイアスを紹介しました。
いいことをすればいいことがある。悪いことをしたら、その報いがある。
その落とし穴として、「悪いことがあったのは、悪いことをしたからだ」という被害者非難や自己責任論につながりやすく、ただでさえつらい人を追い詰めてしまうことがあります。
誰かに無理に反省させられると、「どうせ自分が全部悪いんだ」とヤケになったり、「悪いのは自分だけじゃない、あの人だって」と他人のせいにしたくなったりもします。
実際に、ケアや理解してもらえないまま頭ごなしに反省を促されると、人はかえって防衛的になり、言い訳をしたくなったり、逆に自分を強く責めてしまったりして自己否定や他者非難が強まってしまうことも指摘されています。
散り乱れる心を、まずは少し落ち着けることが反省の第一歩です。
トイレなどで1人になる、深呼吸をする、数を数えるなど、小さなリセットから始めてみるのが良いかもしれません。
「免責」と「引責」――健全に振り返る2つのステップ
健全な振り返りには、2つのステップがあります。
①免責
責任問題をいったん脇に置いて、何が起きたのかを冷静に見渡すことです。
自分の気持ちも外在化して、自分に何が起きていたのか、なぜそういうことをしたのかを、自分を責めずに振り返る。
これは「自分は悪くない」と開き直ること(無責)とは違います。
②引責
自分を責めることなく振り返ることができると、その結果、自分のしたことの責任を引き受けられるようになってきます。

この順番が大切なのは、免責がないまま引責に進むと、「やはり自分が悪い」という自己否定に戻ってしまうからです。
逆に、免責だけで止まると「仕方がない」で終わり、無力感につながりかねません。
免責があるからこそ、引責できる。この流れが健全な振り返りを支えます。
責任追及を急がず、何が起きたかを見る
免責するとはつまり、「急いで結論を出さない」ために一時停止し、何があったのかを客観的に振り返ることです。
多くの場合、出来事は「自分だけのせい」で起きているわけではありません。
体調、環境、関係性――さまざまな要因が重なり合って、出来事は生じています。
仏教では、間接的な要因を「縁」、自分の側にある要因を「因」と呼びます。お米を得るには、モミダネという「因」だけでなく、土壌・水・日光などの「縁」が揃わなければなりません。

以前の回でも触れたように、私たちの行為は環境や体調の影響を強く受けており、余裕がないときには考えて応答するよりも、防衛反応としてのイラだちやシャットダウンとして出ることがあります。
それにもかかわらず「全部自分のせいだ」としてしまうと、現実を正しく捉えられなくなります。
縁(間接的な要因)を知ることで、「全部自分のせいだ」という重さが少し緩み、「あのときの自分は、あの条件の中で精一杯やっていたのかもしれない」と見え方が変わってきます。
また、何か失敗したとき、周りに迷惑をかけた面があったとしても、自分自身も傷ついていることは少なくありません。
自分のケアを後回しにして、さらに自分にダメ出しすると、心の余裕はさらに失われ、反省どころではなくなってしまいます。
きちんと責任を引き受けるためにも、まず免責・ケアが必要なのです。
具体例①:仕事でミスをしたとき

よくある反省(自責が強い状態)
「こんなミスをするなんて、自分はダメだ」
「周りに迷惑をかけた」
「もっとちゃんとしていれば防げたはずだ」
免責してから引責する反省
・体調が少し悪く、集中力が落ちていた
・業務量が多く、確認の時間が足りなかった
・確認フロー自体にも抜けがあった
・忙しいときほど、確認を一つ増やす工夫はできたかもしれない
・体調が悪いときは、早めに共有することもできた
具体例②:人間関係ですれ違いが起きたとき

よくある反省(自責が強い状態)
「自分は人を傷つける人間だ」
「やっぱり自分は関わらない方がいい」
「全部自分が悪い」
免責してから引責する反省
・相手も余裕がなさそうだった
・タイミングが悪く、誤解が生じやすい状況だった
・自分も疲れていて、言葉が少し強くなっていた
・あの場面では、もう少し言い方を選べたかもしれない
・必要なら、後から一言フォローすることはできる
縁の中で、自分ともう一度出会い直す
免責によって「いろいろな条件が重なってこうなったんだな」と理解できるようになると、視界が広がります。
出来事は個人の問題から、縁の中の出来事として見えてくるようになるのです。
そのうえで引責へと進むことで、「自分はダメなんだ」という無力感ではなく、「できないこともあるけれど、できることもある」という、周囲と関わり続ける主体としての自分を取り戻せます。
とはいえ、「自分だけのせいじゃない」と頭で理解しようとしても、それでもなお「いやいや、自分が悪い」としか思えないこともあるでしょう。
むしろ人は、苦しいときほど原因を自分に引き受けることで、世界を分かりやすくしようとする傾向があります。(そういった考え方のクセについては、前回の記事で紹介しました)
だからこそ、まず責める流れから距離をとり、ゆっくり「次につながる反省」を行う必要があります。
苦しい中にあって自分の種まきを振り返るのは、なお苦しいことです。
だからこそ、支えてくれる縁――信頼できる関係や安心できる環境――が必要であり、免責とケアがあればこそ、引責できるのです。
自分を裁くのではなく、理解しようとする。
「免責から引責へ」――この流れの中で、自分は責める対象から、関わり続ける存在へと変わっていきます。
それは、自分を一方的に責めるのではなく、関係の中で応答していく自分として見つめ直すことでもあるのかもしれません。
振り返りとは、自分を罰することではありません。
縁の中で、自分ともう一度出会い直す機会にできるといいなと思います。
反省の順番を身につけるためのワークシート
参考文献;
國分功一郎・熊谷晋一郎 著、『<責任>の生成-中動態と当事者研究』、2020、新曜社