前回まで、自分を責めずに自分を見つめ直すヒントとして、中動態や外在化などの考え方を紹介しました。
つらいときに自分の行動をどう反省するかも、大切な「凹む力」です。
自己否定せずに、自分を大切にする振り返り方のヒントの続きとして、今回は、認知バイアス「公正世界仮説」を切り口に考えてみます。
「私が悪いんだ」と自分を責めてしまうあなたへ
人間関係がうまくいかなかったとき。
「あの言い方が悪かったかな」
「もっと別の伝え方があったかもしれない」
そうやって振り返ることは、決して悪いことではありません。
むしろ、人が成長するためには大切な姿勢です。
しかし、ときに振り返りは、別の形に変わってしまうことがあります。
それは、「うまくいかなかったのは、自分がダメなんだ」という受け止め方です。

一見すると似ていますが、この二つはまったく違います。
「原因がある」と「自分がダメ」は違う
「うまくいかなかったのは、自分に原因があるかもしれない」
これは、行動を振り返ろうとする考え方です。
- どんな言い方だったのか
- どんな状況だったのか
- 相手はどんな状態だったのか
こうして出来事を具体的に見ていくことは大切なことです。
ところが、「自分がダメ」と受け止めてしまうと、焦点は行動ではなく「自分そのもの(存在)」に移ってしまいます。
すると、「何がよくなかったのか」「どうすればよかったのか」を考えるのではなく、自分へのダメ出しで終わってしまいます。
つまり、「うまくいかなかった苦しさ」に加えて、「自分を責めてしまう苦しさ」が重なってしまうのです。

そうなると反省どころではなくなり、ただでさえ落ち込んでいるところに、自己否定、罪悪感にも押しつぶされ、二重に苦しくなっていきます。
公正世界仮説が生みやすい誤解
なぜ、このように自分を責めてしまうのでしょうか。
それをひも解くヒントの1つに、「公正世界仮説」という認知バイアスがあります。
過去の経験や思い込みによって生じる「考え方のクセ」のことです。認知バイアスは人間の性質上完全に消すことはできませんが、知識として知っておくことで、誤った判断の回数を減らすことができます。
「この世界は基本的に公正で、人は自分の行いに見合った結果を受けるはず」
つまり、
「よい行いは報われる」
「悪いことをすれば悪い結果が生じる」
というものです。
これは、努力や誠実さを支え、悪いことはしないようにブレーキになる面もあります。
これは本来、「悪いことはやめよう、幸せになりたければよい行いをしよう」という古今東西伝えられてきたメッセージです。

しかし、誤用もされやすいので注意が必要です。
典型的なのが、「被害者非難 (victim blame)」です。
苦しんでいる人を見て「悪いことがあったのは、あの人が悪いことをしたからだ」と思えてくる心理です。
一見すると因果関係の説明として語られることもありますが、現実はもっと複雑です。
他人から見て、悪い結果が起こっているからと言って、必ずしも、その人が全て悪いのだと、一言で片付けられるものではありません。
これは、「自分はそういう悪い行いをしていないから大丈夫なはず」と安心したい、不安の裏返しではないかと言われています。
ここに、公正世界仮説の落とし穴があるのです。
被害者非難と自責感
この被害者非難の矛先が自分に向くと、自責感になります。
つらい状況にある自分を、もう一人の自分が「お前が悪いからこうなったんだ」とダメ出ししてしまう。
ただ、こうして自分を責めてしまうのは、誰かにそう責められた経験が多かったからかもしれません。
その誰かの声が、内在化(自分に刷り込まれてしまった)し、自分を攻撃してくることもあるのです。
このようにタイミングを間違う(評価・責任追及が早すぎる)と、公正世界仮説を根拠とした正論が、被害者を非難することになり、傷ついている人を更に追い詰めることになってしまいます。
責任の検討は必要でも、それはケアの後に初めて意味を持つものです。

「全部自分が悪い」は、無意識な心の防衛
自責のループは、頭でわかっていてもなかなか止まりません。
自分を丸ごと否定してしまうことは、とてもつらいはずなのに、なぜくり返してしまうのでしょうか。

1つには、「関係を守るため」かもしれません。
誰かを責めれば、関係はギクシャクしたり、衝突が起きるかもしれません。
嫌われてかえって問題が大きくなるかもしれないと心配にもなりますよね。
しかし、「私が悪かった」とすれば、とりあえずその場は収まります。
だから人は、「自分さえ我慢すれば」と自分に言い聞かせることがあります。
とくに、周囲に気を遣う人ほど、この傾向が強くなります。

もう1つは、「振り返りの苦しさ」です。
出来事を丁寧に振り返ると、「あの言い方はよくなかったかな」「あの態度も悪かったかも」「あのタイミングで言うべきじゃなかった」と、いろいろなことが思い浮かぶかもしれません。
でもそれはとても疲れる作業です。
だから心は、「私(そのもの)が悪いということにして、これ以上考えるのをやめよう」と、振り返りを強制終了してしまうことがあります。
自責とは、これ以上傷つかないための、悲しい「こころの防衛」なのです。
自責から自分のケアへ
「公正世界仮説」は、「説明のつく世界」でいたいという人間の願いの表れでもあります。
理不尽や、混沌とした現実に直面したとき、「なぜ自分がこんな目にあわないといけないの?」と何か理由が欲しくなります。
その理由が分からない、耐えがたい不安から逃れるために、最も近くて扱いやすい「自分のせい」にしてしまうのでしょう。
とはいえ、自分を責めるのはやっぱりつらいものです。
自分を責めるのではなく、原因をちゃんと振り返り、これからに活かせる「反省」をするためにはどうしたらいいのでしょうか。
本当の反省は、
「自分が悪かったのかどうか」ではなく、
「自分の中で何が起きていたのか」に目を向けることから始まります。
例えば、
- あのとき、自分はどんな状態だったのか
- 何に焦っていたのか
- どんなことを守ろうとしていたのか
そんなふうに問いを変えてみることで、少し違った見え方がしてくるかもしれません。
そして、反省するためにも、まずは自分のケアが大切です。
何かを反省すべきとき、私たちは「やってしまった」という驚きや後悔で、心は散り乱れ、余裕がなくなります。泥水が濁っている間は、底にある原因は見えません。
であれば、ちゃんと反省するためにも、まずはケアによって、心の濁りを鎮めることです。
自分を大切にする反省の仕方については、次回ご紹介いたします。