心がきらめく仏教のことば #26

  1. 仏教

なぜ孤独を感じるの?仏教の「業界」から考えるすれ違いの原因

今回のテーマは「業界」です。
ふつうは「業界」と書いたら「ぎょうかい」と読むでしょうが、仏教では「ごうかい」と読みます。

業界の意味がわかると、人間関係の見方も変わり、より相手を知ることにつながるでしょう。
ひいては私たちが本当に欲しているものも見えてくるはずです。

わかってもらえないからこそ寂しい

「うちの息子が小さいころは、学校であったことなど何でも話をしてくれていたんだけど、大きくなって口数も減って、何を考えているのか全然わからない」

「結婚した当初は、夫婦仲もよく息もぴったりあっていたと思っていたのに、最近は、なんだかすれ違ってばかりで心通いあっているように思えない」

こんな話を聞くことがあります。

私たちは、身近な人のことを少しでも知りたいですし、自分のことをわかってもらいたいという気持ちをもっています。
身近にいる人のことがわからないというのは、大変寂しいですし、孤独を感じてしまうのではないでしょうか。

著名な哲学者が残した次のような言葉があります。

『孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである』

誰もいない山の中で一人いるのも孤独です。
しかしそれ以上に、少しも相手にわかってもらえない、心が通わないことを寂しいと感じるのではないでしょうか。

業界(ごうかい)が違うから見える世界も違う

なぜ孤独を感じるのでしょうか?
仏教では一人ひとり「業界(ごうかい)」が違うからだと教えています。

誰しも、私たちはお互いに同じ世界に生きていると思っているでしょう。
ところが、同じ世界にいて、同じものを見たり聞いたりしていても、感じていることや思っていることは人それぞれ違います。
10人いれば10通り、100人いれば100通りの感じ方や受け止め方があるのです。

たとえば、同じ映画を観たとしても反応はさまざまです。
「すごく面白かった!また見たい」という人もあれば、「この映画のどこがいいの?」と首をかしげる人もいます。

同じ言葉や話を聞いても受け止め方はそれぞれ。
「とても感動的な話だった、すごく共感しちゃった」という人もあれば、「そうかしら?なんか作り話っぽくて、うすっぺらい気がするわ」という冷ややかな人もいます。

同じものを見たり聞いたりしていても、人それぞれまったく違う思いを抱いたり、異なる反応を示します。
私たちは同じ世界に生きているようで、実は一人ひとり見ている世界がまったく違うのです。
これを「業界が違う」と言われます。

業とは私たちの行いのこと

では、「業界」とは何でしょうか。

業(ごう)とは仏教の言葉で、私たちの行いを表します。
身体でやること、口で言うこと、心で思うことも業(行為)です。

過去の行為によって、私が見る世界や感じ方が生まれてきます。
別の言い方をすれば、過去に経験したきたことや学んできたこと、育った環境などによって、私の見ている世界が生み出されているのです。
ですから、これからの行いによって、価値観や物事の捉え方、感性も変わってきます。

10代のころ好きだった音楽や服装なども年齢と共に変わってきたと思うことはないでしょうか?
独身の頃に好きだったものと結婚してから好きになるものは違っていたりします。

また子どもがいなかった頃と子どもが生まれた後では、価値観や物事の捉え方、興味を持つものが変わるでしょう。
それは業がかわってゆくからです。

業は一人ひとり違いますから、同じものを見ていても実はみんな違う世界に生きているのだよと言われたのが「業界」という言葉なのです。
ですから、いくら夫婦・親子・兄弟・親友といえど、他の人の「業界」をのぞき見ることはできません。

自分が感じていること、思っていることを当然相手も感じていると思ったら大間違いです。

みんなそれぞれの立場で悩んでいる

車イスを利用する人への理解を深めようと、ある市では車イスの体験会が行われました。
参加した人は、実際に自分が乗る側や押す側を経験してみて、ちょっとした段差の大変さや乗っている人へ声かけが大切なことなどを学んだと話していました。

このように、自分が同じ状況や立場を経験してみないと理解できないことは、たくさんあります。
家庭では夫が、仕事での上司との関係やノルマの悩みなどを抱えているかもしれません。

「いくら説明しても、妻にこの大変さはわからないだろうな。
あいつは家で好きなことできるんだから気楽だよな」

と思っていることもあるでしょう。
妻は妻でこう思っているのではないでしょうか。

「毎日、献立考えたり、洗濯に掃除、ママ友との付き合いを休みなくやってる私の大変さは夫にはわからないでしょうね。
会社員はいいわよね。つらいことがあったら飲みにいって憂さを晴らせるんだから」

子どもは子どもで

「毎日、宿題もあるし、クラスにいじわるする子がいてほんと嫌だな。
大人はいいよな。いじめっ子もいないし、自分の好きなことができて」

と思っているかもしれません。
それぞれがそれぞれの立場でいろいろなことを考えているのです。

すれ違いが生まれる原因

お互いに相手の世界を見ることはできないからこそ、すれ違いが生まれるのです。
さらに、自分の意見や考えを否定されたり、ないがしろにされたら、お互いの溝は深まっていきます。

たとえば好きな芸能人がいて、応援していたとしましょう。
ところが親から「この人のどこがいいのよ?」とか「テレビばっかり見てないで、勉強しなさいよ」と言われたらどうでしょうか。
「親は自分の気持ちを全然わかってくれない」と感じると思います。

そういうことの積み重ねが徐々に心の溝をあけていき、気づいたときには、相手が何を考えているのか全然わからないということにもなりかねません。
これは親子だけでなく、夫婦の間でも職場の同僚との関係でも同じことが言えるでしょう。

家族や身近な人といえど、違う世界に生きていることを自覚して、相手の気持ちを知ろうと努力することはとても大事なのです。

まとめ:孤独に気づくことは安心への第一歩

また、相手を知ろうとすればするほど、一人ひとり違う世界に生きていることも実感させられます。
わかりたいと思っても本当にはわからないことがいくらでもありますし、わかって欲しいと思っても本当にはわかってもらえないことがたくさんあります。

そんな誰にもわかってもらえない孤独感が私たちの心の奥底にあるとブッダは説かれました。
孤独な心に気が付くのは決して悪いことではなく、仏教では本当の安心・満足への第一歩となると教えられます。

誰にもわかってもらえない孤独な心を見抜いてわかってくださるのがブッダです。
だから仏教を聞いていかれますと、仏さまが私の心の奥底までわかってくださり、あたたかくしっかりと抱きしめてくださる時が必ずやってきます。

孤独な心が、常に仏さまにあたたかく抱きしめられる安心・満足・喜びで生きぬかせてもらえるようになるのです。
そこまでよくよく仏の教えを聞いてもらいたいと思います。

これまでの連載はコチラ

話題の古典、『歎異抄』

先の見えない今、「本当に大切なものって、一体何?」という誰もがぶつかる疑問にヒントをくれる古典として、『歎異抄』が注目を集めています。

令和3年12月に発売した入門書、『歎異抄ってなんだろう』は、たちまち話題の本に。

ロングセラー『歎異抄をひらく』と合わせて、読者の皆さんから、「心が軽くなった」「生きる力が湧いてきた」という声が続々と届いています!

なぜ孤独を感じるの?仏教の「業界」から考えるすれ違いの原因の画像1

なぜ孤独を感じるの?仏教の「業界」から考えるすれ違いの原因の画像2