心がきらめく仏教のことば #3

  1. 仏教

「慈悲」ってどんな心?慈悲に込められた2つの深い意味を解説!

「慈悲」は仏教と関係が深い言葉

今回のテーマは「慈悲」です。
「慈悲深い人だ」とか「どうかお願いします。お慈悲をください」など、ときどき耳にされることもあるかと思います。

「慈悲」とは「あわれみ、情け」という意味で使われます。
もともと仏教から由来した言葉なので、慈悲と聞くと仏教を連想される方もあるのではないでしょうか。
それほど仏教と慈悲とは関係が深く、仏教は「慈悲の教え」とも言われます。

では仏教で言われる、慈悲とはどんなことなのでしょうか?
仏教では、「苦しみを抜いて喜びを与えてやりたい」という心のことをいいます。

「慈」=苦しみを抜いてやりたい

慈悲の「慈」とは、「苦しむ人の苦しみを抜いてやりたい」という心です。
苦しんでいる人を見て、かわいそうだな、何かしてやれないだろうかと思ったり、困っている人をほっておけないという思う気持ちです。

家族や友達、同僚が暗い表情をしていたり、元気がないとき、あなたならどうされるでしょうか。
何か心配事でもあるんだろうか、何か力になれないだろうかと思われ、相談にのったり、力を貸したりされることと思います。
これが慈悲の「慈」の心です。

親であれば、子どもが病気で苦しんでいると、自分が代わってやりたいと思います。
どんなに治療費が高くつこうとも、何とか子どもの病気を治したいとお金を工面するのも、慈悲の「慈」の心なのです。

「悲」=喜びを与えてやりたい

次に慈悲の「悲」とは「喜びを与えてやりたい」という気持ちです。
相手を喜ばせたい、楽しませたい、笑顔にさせたいという心です。
相手が幸せだと、自分も幸せな気持ちになる、そんな心のことです。

親が子供を動物園につれていったり、子どもと一緒にままごと遊びをすることがあります。
大人からすれば、子供の喜ぶようなことは大人には楽しめないことも多いでしょうし、バカバカしいと思うかもしれません。

しかし子どもが楽しそうにしている、喜んでいる姿を親は見たいものです。
子どもの喜ぶ顔が親の喜びだからです。
これが慈悲の「悲」の心です。

友達や恋人同士が、サプライズを企画したり、プレゼントを贈るのも、相手に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいからでしょう。

慈悲の心がよくわかるエピソード

慈悲とは、苦しんでいる困っている人をほおっておけず、また相手を少しでも喜ばせたいと思う気持ちです。
中でも親の子どもに対する慈悲の心が表れているエピソードを紹介したいと思います。

「お母さんだって熱があるのに……」東京都 28歳・女性

ある時、母と私は一緒に風邪をひいてしまいました。
自分も熱があるのに母は、私の心配ばかりして、早速病院へ連れていってくれました。
家には車がなく、母は私を自転車の後ろに座らせました。
雨が横なぐりに降る、ひどく寒い冬でした。
後ろから母のポケットに手を突っ込み、背中に顔をうずめた時の温かさが、今でもずっと忘れられません。
一人正面からまともに雨を受けている母の姿に、
「お母さんだって熱があるのに……」と泣きそうになりました。
(『親のこころ』より)

「お魚の煮つけ、お父さんはとっても骨が好き」神奈川県 66歳・女性

もう遠い昔のことです。幼いころは物のない時代でした。皆貧しかった時代でした。一生懸命に働いてきてくれる父親の晩ご飯は、私たち家族より遅く、ほとんど一人で食事をしていました。
父が帰ってきたうれしさで、一人食べるテーブルの周りには母親をはじめ、私たち姉妹がおりました。
本当においしそうに食べる父親に、「おいしそうっ!」と、とっくに食事の終わった姉妹が言うと、「おいしいぞ、ホラ食べてごらん」と、おかずをつまませてくれました。
「お父さんのご飯でしょ。またおねだりして」と母親に諭されても平気で口にしていた私たちでした。そのおいしかったこと!
ふだんは何とはなしに怖い存在、威厳を感じる父でしたが大好きでした。
そんな父は、お魚の煮つけの時には、いつも「骨湯」をして、私たちにおいしい「身」のほうを食べさせてくれました。「お父さんは、とっても骨が好きなのだな」と、私はずっと思っていました。
子供たちにおいしいところを食べさせたい親心と知ったのは、悲しいかな、ずっと後のことでした。ただただ家族を思ってのことだったに違いありません。
何一つとっても、子を思う親の心情がいつでもどこにでもありました。孫を持つ年になっても、とても両親には及ばない気がします。
(『親のこころ』より)

私たちの中にある「鬼」の心

これが慈悲の心のあらわれですが、反対に苦しんでいる人を見てもなんとも思わない人もいるかもしれません。

特に自分の嫌いな相手には、もっと苦しめばいいのにと思ったり、いい気味だと喜んだりすることもあります。
幸せそうな人を見るとどうも面白くない、失敗すればいいのにと、相手の不幸を願う気持ちはないでしょうか。

こんな心は大変恐ろしく、冷たい心なので「無慈悲」といいます。
お釈迦さまは、無慈悲では決して幸せにはなれないよと教えられるのです。

この無慈悲な心を仏教では「オニ」と言います。
オニは今日、「鬼」という字を書きますが、「遠仁」とも書きます。
「仁に遠い」という意味です。

「仁」とは優しさや思いやりの心のこと。
優しさや思いやりからほど遠い心の持ち主が「遠仁」であり、無慈悲な人のことなのです。

今日でも、優しさのかけらもなく、血も涙もない厳しい人を「鬼」と呼んだりしますね。
鬼コーチとか鬼教官とか、仕事にとても厳しい人を「仕事の鬼」とか。
また厳しい借金の取立てをする人に対して「この鬼!人でなし」などと叫んでいる場面もドラマなどで見かけます。

鬼と聞きますと、角や牙を生やし、金棒を振り回しているそんなイメージが一般的でしょう。
ですが仏教でいわれる鬼とは、無慈悲な心のことであり、それを映像化したものが鬼の姿なのです。

人間関係がうまくいく秘訣

鬼のような冷たい厳しい人とは距離をおきたくなります。
ですから無慈悲な心で生活していたら、みんなから嫌われ孤立し、寂しい人生になっていくことでしょう。
反対に、慈悲深い人は周りの人からも慕われ、愛され幸せな生活になっていきます。

仕事やプライベートで、トラブルに巻き込まれたり人間関係がこじれたりするきっかけはさまざまでしょう。
しかしよくよく考えてみると、周りの人への配慮に欠けた言動や相手を気遣う思いがなかったために衝突することが多くはないでしょうか。
無慈悲な心が生み出したものだと言えないでしょうか。

さまざまな悩みや苦しみを抱えて生きている私たちを哀れまれ、何とか本当の幸せにしてやりたいと仏は願われています。
私たちの心の中にある鬼(遠仁)を退治して、更正させ、感謝と喜びの人生へ転ずる道を示されたのが仏教です。

ですから仏教の教えを「慈悲の教え」ともいわれるのです。

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