心がきらめく仏教のことば #2

  1. 仏教

「袖触れ合うも多生の縁」の感動的な意味!「ご縁」を知ると人間関係が変わる

私の人生を作ってきた「ご縁」

「心がきらめく仏教のことば」、今回のテーマは「」です。

縁という言葉は、日常生活の中でもよく耳にされるのではないでしょうか。
「これも何かのご縁ですね」と言われたり、他にも縁結び、縁談、血縁、文豪〇〇さん縁(ゆかり)の地、くされ縁、金の切れ目が縁の切れ目など、いろいろ使われています。

この「縁」という言葉はもともと仏教思想から来たもので、それが今ではすっかり日常で使われる言葉として定着しました。
「縁」には、めぐりあわせ、きっかけ、つながり、関係というような意味がありますね。

今までを振り返ってみると、自分の人生は数々の縁(出会いやつながり)によって作られてきたと言えるでしょう。
親や兄弟、友達、先生、恋人、上司、同僚などなど。
それらの人たちとの出会いによって様々なことを学んだり、覚えたり、経験して、今の自分があるのではないでしょうか。

もしあの日、あの時、あの場所で、あの人と出会っていなければ今とは違った人生になっていたはずです。
そんな数々の出会いが今の私の人生に影響を与えてきました。

落ち込んだとき相談にのってもらえたとか、迷ったときに励まして背中を押してもらえたとか。
辛く苦しいときに陰ながら応援し支えてくれたとか。

一つ一つは小さなことかもしれませんが、それがなかったらもっと違った人生になっていたのかもしれません。
そう思うと縁というのは不思議なもののように思えます。

「袖触れ合うも多生の縁」の深い意味

仏教思想では「袖触れ合うも多生(他生)の縁」と言われます。
袖と袖が触れ合ったということは過去世からの縁があってのこと、という意味です。

今は着物のような袖ではありませんが、例えば肩と肩が触れ合ったと考えてみてください。
電車、バスの中や街中で、ときどき見知らぬ人と肩や手が触れ合うことがあります。

そんなことはしばしばあるでしょうから、あまり気にも留めないかもしれません。
しかし、考えてみると地球上には何十億という人がいます。
ほとんどの人とは一生顔を合わせることもなく、すれ違うこともなく過ぎてゆくでしょう。

そんな中一瞬ではあっても肩が触れ合うというのは、よほどのことです。
同じ日本に住んでいても、すれ違うこともない人がほとんど。

しかし、例えば普段は北海道に住んでいる人が東京に遊びに来ていたとします。
一方、普段名古屋に住んでいる私もちょうど同じ日に東京に来ていた。
そんな2人が街中でぶつかる、ということがあったかもしれません。

普段ならぶつかるはずもない人であり、二度とすれ違うこともないかもしれない人です。
それなのに東京で見知らぬその人とぶつかったというのは、昔からの縁があったからだと仏教では言われます。

身近な人と私の間にある多生のつながり

では、どれくらい昔からの縁なのかを表したのが「多生」という言葉です。
一生に対して多生という言葉があります。

一生なら生まれてから死ぬまでの、長くて100年くらいの間のことです。
ですが仏教では、私たちの生命は一生くらいではないと言われます。
この人間に生まれる前の過去、様々な生き物やいろいろな世界に生まれては死に、生まれては死にを繰り返してきたのです。

2回や3回くらいではなく数え切れないほど生死を繰り返してきたから、「多生」だと仏教では教えられます。
そんな多生からのつながり・関係があるのだよ、と言われたのが「袖触れあうも多生の縁」という言葉なのです。

そんな見ず知らずの人でさえそうですから、夫婦、親子、兄弟などの近い間柄や、親友などの深いつながりのある人とは、遠い過去からよほど縁があってのことでしょう。
はるか過去には、今親友のこの人とは別の生き物で兄弟だったかもしれません。
現在恋人のこの人とは、過去別の世界で親子だったのかもしれません。

自分と深いつながりのある人は実は現在だけのつながりではなく、果てしない過去から縁のある人なのだよ、懐かしい人達と再会しているのだよ、と仏教では言われています。

人間関係の考え方が変わる言葉

そんな懐かしいご縁のある人たちですから、いつまでも一緒にいたい過ごしたいと思います。
しかし、この世はみな「しばらくの縁」です。

しばらくの縁

この世は皆、しばらくの縁である。
しばらくの間、夫であり妻であり、子供であり親なのである。
そうと知れば、一瞬一瞬のご縁を大切にせずにおれなくなる。
(『光に向かって123のこころのタネ』より)

ずっと一緒にいたいと心底思う人とも卒業や引越し、転勤、結婚、死別など、さまざまなことで別れていかねばなりません。
ですから縁あって一緒にいられるのも一時のことです。

反対に嫌いな人、会いたくない人、そんな人とずっーと一緒にいなければならないのかと思うと辛くなります。
しかし、そんな人と顔を合わせているのもしばらくの間のこと。
やがてはその人とも別れるときが来ます。

だからこそ好きな人ともずっと一緒にはいられないので、決して当たり前と思わず、今ご縁のあるこの時を大切にしてほしいのです。
反対に「嫌いな人ともしばらくの縁だ。いつか二度と会うこともなくなる」と思えば、いつもと違った気持ちで接することができるかもしれません。

まとめ

さまざまな「縁」により今の自分の人生があります。
そしてこれからの人生もまた「縁」によって変わっていきます。

ですから縁とはとても大切なものなのです。

人生にはいろいろな縁がありますが、特に仏教との縁は「仏縁」と言われ、とても良い縁だと教えられます。
仏教とのご縁も大切にしてもらえたら嬉しく思います。

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