カフェで楽しむ源氏物語-Genji Monogatari #36

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源氏物語(36)愛しているのに分かりあえない…ヒロイン・紫の上の苦悩①【若菜下の巻】

こんにちは。国語教師の常田です。
黄金は紫に重ねると最も輝きを放ち、紫の深さも格別なものになります。光源氏と紫の上は、そんな2人でした。しかしお互いの心はどのようなものだったのでしょうか。

今回から最も有名なヒロイン・紫の上の話をいたします。

10歳で源氏に引き取られ、14歳で結婚した彼女も、もう30代後半です。
話は、女三の宮(源氏の正妻)の密通事件の前にさかのぼります。

すれ違う心

光源氏47歳、梅の盛りの頃、六条院に華麗な楽の音が響きました。
女楽が行われているのです。
近日に迫った朱雀院(源氏の兄)50歳の祝宴で披露するためのリハーサルでした。

六条院の女性は名手ぞろいですが、中でも紫の上の和琴の調べは優しく魅力的で、源氏も感嘆します。
一方、朱雀院の愛娘である女三の宮は、父親の期待を裏切らないようにと源氏がつきっきりで琴(きん)を伝授したかいがあって、まずまずの出来でした。
女三の宮の上達ぶりを満足げに褒める源氏の姿に、紫の上は寂しさをつのらせます。

翌朝、部屋でくつろぐ源氏は、ふと自身の半生を顧みて、紫の上に語りかけます。

「私はかつてない栄華を極めたが、その分つらい目にも遭ってきた。その点、あなたは幸せだったな。私が都を離れた時には苦労をかけたが、私に庇護されて生きる気楽さはほかにはない。后ほどの高貴な人でも気苦労は絶えないのだから、あなたがいかに恵まれた境遇か分かるだろう」

その言葉に、紫の上は深い孤独に沈みました。

「気楽」なんて、とんでもない。夫の愛情だけを頼りに、薄氷を踏む思いで生きてきたのに、少しも分かってくださらないのね…と。

「あなた様が仰るとおり、後ろ楯のなかった私には、今の境遇は分に過ぎた幸せだと見えましょう。しかし、私の心にはいつも、堪えきれない悲しみばかりがついてまわるのです」

紫の上の心にまた一つ増えた悲しみ。
脳裏には、かつての日々がよみがえるのでした。

紫の上の回想

幼くして母と死別し、育ててくれた祖母も10歳の時に亡くなった。
継母を恐れて実父の元へも身を寄せられず、心細い状況だった時、さらわれるようにして光源氏に引き取られた。
14歳になると、父のように慕っていた源氏からいきなり契りを強要された。驚きと嫌悪感のあまり、汗びっしょりになって震え続けた。

いつだって突然に、合意もなしに事は進んだ。それでも紫の上は前向きに耐え忍び、源氏のよき妻になりたいと努力する。

ところが、心安らぐどころか、嘆きは深まる一方だった。

紫の上18歳の時、源氏がスキャンダルで都を追われる。
夫の無事を念じ、不安と寂しさにさいなまれる日々に、夫から届いた無遠慮な手紙。流離の地で別の女性と結ばれたという告白だった。

夫が都に戻ってきてからも、幾度となく浮気にハラハラさせられた。

しかし何より衝撃を受けたのは、源氏が女三の宮を正妻として迎えたこと。
それまでの浮気相手とは違い、女三の宮は自分よりはるかに身分が高くて、たいそう若い。
子どもも実家の後ろ楯もなく、衰えていくばかりの自分は、この先どうなるのか…。
足元が崩れていく思いがしたのだった。

せめて来世は明るく

まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御ゆるしあらば
(本当のことを申し上げると、とても先の短い思いがしますので、今年もこのように何気なく過ごしていくのはとても不安です。前にもお願いしましたこと、お許しいただければ…)

と紫の上は出家を願い出ました。

実は今回が初めてではありません。

この世の幸せはいつか崩れてゆく。残りの人生は仏道を一筋に求め、せめて来世は明るく心安らかな世界へ往きたいと願うのです。
しかし、夫の許しは得られませんでした。

源氏にすれば、最愛の妻に突然「離婚したい」と言われたも同然なのです。
彼女なしではとても生きていけない源氏が、許すはずがありません。

この夜、源氏は女三の宮の部屋に泊まりました。

「このまま終わるなら、空しい一生であることよ」と思いながら床に就いた紫の上は、明け方、急に胸の痛みに襲われ、高熱にうなされます。

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  • 六条院:光源氏が暮らす大邸宅。春夏秋冬の四つ。町に愛する女性たちを住まわせている。
  • 女楽:女性中心の演奏会
  • 和琴(わごん)、琴(きん):いずれも弦楽器の一種

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