大切なモノひとつ~線維筋痛症を乗り越えて #3

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痛みと共に生きる~目標を持って、動ける範囲で動くことがリハビリに

1、2回の記事はこちら↓

痛みと周りの無理解で、時には命を絶つ人も

私は大学生のころに、自身が慢性疼痛の代表的な病気である「線維筋痛症」という病気だと知り、治療を続けながら現在は社会復帰し、医療現場で働いています。

慢性疼痛を取り巻く問題は様々ありますが、日本でも有名な方が線維筋痛症を患い、その苦しみから、自ら命を絶たれたという痛ましい過去があります。

そんな中、ここ数年で慢性疼痛に関する日本の医療は少しずつ改善されてきています。

まだまだつらい思いをされる患者さんも少なくありませんが、理解ある医師に出会えた方も増えてきていると思います。

ただでさえ痛みがつきまとい、生活が制限され、仕事などやりたいこともできずに焦っているのに、「仮病だ」などと真正面から言われた日には、2次的に心を病むだろうことは想像に難くありません。

幸い、私はたくさんの理解者に恵まれました。

精神科の先生にも治療に介入していただきましたが、特にうつ的要素もなく、心は元気でした。ただ客観的に話を聞いてくれる医師の存在は大きかったと振り返って思います。

今では笑い話ですが、私を“線維筋痛症モデル”として覚えていた友人が、医師国家試験の模擬テストのときに、「線維筋痛症に随伴する症状を選べ」という問題で、「抑うつ」という答えをどうしても選べなかったそうです。

そのくらい、私には幸いにも精神症状がなかったのです。
主な症状は、疼痛と38℃前後の発熱、極度の疲労や記憶障害でした。

原田樹

医学生として、同じ痛みを持つ人に何をすべきか

線維筋痛症と診断され、周りを見渡したときに、医療者にも浸透していない病気になってしまったことに気づきました。

理解者も多い中、心ない言葉を聞いたことももちろんありますし、直接言われなくても空気で感じることは多々ありました。

「医学生である私がそんな病気になって、患者さんがたくさんいることを知り、何もしないでいいのだろうか?」という思いで始めたのが、闘病記のブログです。

ここでは線維筋痛症をはじめ、さまざまな痛みを持つたくさんの人たちと知り合いました。

頑張っているのは私だけではない、ということは大変な励みになり、啓蒙活動を始めました。

ブログがきっかけで地元のテレビ局や新聞社の取材を受けることとなり、地元では線維筋痛症という病気を耳にする機会が増えるようになったと思います。

インターネットのすごさを知ったのは、当時アメリカに単身赴任していた夫が、現地で私のブログの読者に出会ったということです。

日本だけでなく、世界中に痛みを抱えている人がいると改めて知る出来事でした。

大切なリハビリは、目標を持って行動すること

痛いのになぜそんなことができるのか?と疑問に思われる方もいらっしゃるかと思います。

それが仮病と思われる原因なのかもしれないのですが…。

皆さんも何かに集中すると、痛みや悩みを忘れてしまうことはありませんか?

ちょっと風邪気味のとき、自分の中のスイッチを入れて、いつもどおりの自分を装って、仕事に行くことはありませんか?

痛みを抱えていても、やりたいこと、やらなければならないことがあります。
休むことはいいことばかりではありません。
目標を持って行動することは大切なリハビリになります

私にとっては啓蒙活動や学生生活がいい刺激になっていました。

ある種、使命感のようなものを感じていたのだと思います。

こういった刺激によって、痛みが強くても寝たきりになることなく、動ける範囲で動くということを続けた結果が今につながっています。

線維筋痛症

失うものではなく、できたことに目を向ける

痛みと共に生活するうえで、痛みにとらわれて生きるのはよいことではありません。

人は失うものばかりに目が行きがちです。

あれができなかった、これができなかった。今までできたことができなくなれば、なおさらショックを受けます。

でも、そんなときこそ、できたことに目を向けてみましょう
どんなに小さなことでも構いません。

自分にしたことでも、誰かにしたことでもいいでしょう。

家族に笑顔を向けられた。
これだって痛みの中でできた、大変なことだと思うのです。

自分を責めてもいいことはありません。
あなたは生きていていいのです、大切な人なのですよ。

下を向いてしまいたくなるようなときこそ、どうか自分をほめてあげてください。

そして少しでもいいのです、空を見上げて顔晴って(がんばって)みませんか?

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