1. 人生

人生を変えた出会いとは~諸行無常の世の中で、続く幸せを求めて

4月25日は、源氏と平家の最後の合戦「壇ノ浦の戦い」があった日です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で始まる、平家の没落が描かれた平家物語からは、どんな栄耀栄華も続かない、無常の現実が切々と伝わってきます。

会うは別れのはじめ」の言葉もあるように、心躍る出会いにも、ふと終わりが見えて物悲しくなったことはないでしょうか。

平安末期にも、そんな世の無常をなげき、滅びない幸せを求めた人物がいました。
壇ノ浦の前、一の谷(現在の神戸市)に平家一門が集結していたときのことです。

どんなエピソードがあったのでしょう。
ベストセラー『歎異抄をひらく』の著者、高森顕徹先生からお聞きしたいと思います。
(編集部より)

手にかけたのは、息子と同じ十六歳の少年

その人物とは、元の名は熊谷次郎直実といい、武蔵国(埼玉県)大里郡熊谷の郷族で、平家を攻めた源氏の一方の大将でした。

義経の率いる源氏の精鋭が、「鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし」で、一挙に一の谷で平家軍を蹴散らし、総くずれとなった平家は、海上の軍船へと敗走しました。

そのしんがりに、錦の着物に鎧兜(よろいかぶと)もあでやかな一人の武将が、静かに馬で沖に向かっていました。

敵将と見た先陣の熊谷次郎直実は、馬上から大声で呼びとめました。

敵に後ろ姿を見せるとは卑怯千万。我こそは坂東一の剛の者、熊谷次郎直実なり
人生を変えた出会いとは~諸行無常の世の中で、続く幸せを求めての画像1ハタと海中に立ち止まった相手は、馬首一転、勝負を挑んできました。

もとより、強力無双の熊谷に勝てるはずがありません。たちまち組み伏せて兜を剥ぎ取って熊谷が驚いた。すでに覚悟の薄化粧した花も恥じろう美少年であったからです。

にっこり見返した瞳に、さすが千軍万馬の熊谷も一瞬たじろぎました。彼に同じ年頃の十六歳の子、小次郎がいたからです。

誰かは知らねど名門の方と見た。せめて名前だけでも聞かされい
と言うけれど、相手は

早く討って、手柄とせよ
と言うばかり。

源・平両軍注視の手前、今はこれまでと熊谷は、心を鬼にして首を刎ねました。

後で平清盛の弟、経盛の末子、敦盛十六歳と知り愕然とするのです。寿永三年二月七日。熊谷四十四歳の時でありました。
人生を変えた出会いとは~諸行無常の世の中で、続く幸せを求めての画像2加えて頼朝などに対する不信からも、一徹な彼は、世の無常と救われようのない自己の犯した罪の恐ろしさに震えて、かつて、人伝いに聞いた京都の法然上人のもとへと馳せ参じたのです。

多くの人を殺した私に、救われる道がありましょうか

阿弥陀仏の本願(約束)は、そんな悪人のために建てられたのです。一心に弥陀の本願を聞信しなさい。善人でさえ救われるのです。悪人が救われないはずがありません

筋骨たくましい熊谷が、赤子のように法然上人の膝によよと泣きくずれました。

八つ裂きにされても、私ごとき者が助かる術はなかろうと覚悟してまいったのに。こんな者を救ってくださる阿弥陀仏のご本願があったとは……

熊谷次郎直実は、号泣せずにおれなかったのです。そして彼は、蓮生房と生まれ変わり、法然上人のお弟子の一人となりました。

荒武者の心は、なぜ180度変わったのか?

後日、久しぶりに妻子の待つ関東へ帰ったとき、西方のお浄土へ尻を向けてはもったいないと、馬を逆さに乗りました。馬は東を向いて進むのに、蓮生房は西を向いているのです。

奇妙な旅姿に人々は驚きましたが、

浄土にも 豪の者とや 沙汰すらん 西に向かいて うしろ見せねば
と、蓮生房は旅を続けたと『勅修御伝』に記されています。

そんな逆馬道中、「下に、下に」と、いかめしい大名行列に出会いました。かつての自分を想起しながら、彼は路傍に伏しました。

ところが、あろうことか馬上の男が、その蓮生房めがけて痰ツバを吐きかけました。

無礼者、なに奴か
と馬上を見ると、なんと、かつて源氏に仕えていた時、共に武勇を競った宇都宮弥三郎頼綱でありました。

弥陀に救われても、煩悩具足の凡夫に変わりはありません。坂東の荒武者が、どうしてこの恥辱に耐えられましょう。

怒髪天を衝き、
まて、頼綱
と立ち上がった蓮生房が、なにを感じてか、その場に崩れるように両手をつきました。

ああ、もったいないことよ。有り難いことか。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。戦友からさえ軽蔑される蓮生房、阿弥陀如来なればこそ助けてくだされたとは……。かたじけなや

歓喜と懺悔の念仏にむせび泣いたのです。

驚いたのは、宇都宮弥三郎です。あたら蕾を須磨の嵐に散らした、あの熊谷が、どうしてここまで変わったものかと感動し、前非を詫びて、詳しく訳を聞いて感激しました。

逆縁空しからず、宇都宮弥三郎もまた、法然上人のお弟子になったといわれています。

『興善寺文書』に、法然上人は、こう記していられます。

くまがえの入道のこと、くわしく申つかわして候。まことにありがたく、あさましくおぼえ候

「ありがたく、あさましくおぼえ候」というのは「めったにない、驚くべきことだ」という意味ですが、法然上人は彼を坂東の阿弥陀ほとけ、と言っておられたとも伝えられています。

* 壇ノ浦の戦い……和暦では元暦2年3月24日、長門国(現在の山口県下関市)で行われた源氏と平家との最後の合戦。
* 聞信……「まことだった」と聞いて知らされること。
* 煩悩具足の凡夫……煩悩の塊である、人間のこと。

(『親鸞聖人の花びら 藤の巻』高森顕徹著より)

高森先生の最新刊のご案内

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古今東西の人物の成功談、失敗談から、面白くてためになるエピソードを集めた、100の小話集です。

一ノ谷の合戦では、源義経の無鉄砲な「ひよどり越えの逆落とし」が平家を敗走させましたが、その勝利の秘訣はどこにあったのでしょう。

『新版 光に向かって100の花束』には、このように紹介されています。

(41)満点主義の秀才でなかったから、起死回生の勝利を生んだ

戦いで奇襲が、起死回生の勝利を生むことがある。

幼名・牛若丸。悲劇の武将として知られる源義経は、奇襲の名人といえよう。

兄、頼朝の命を受け、摂津一ノ谷、讃岐の屋島、長門の壇ノ浦に平家を追いこみ、ついに滅ぼした。

彼の戦歴を検証するとき、その無鉄砲さに、あきれかえる。

一ノ谷の合戦でも「兵法に、そんなむちゃはない」という軍師・梶原景時の諫めも聞きいれず、ひよどり越えの逆落としで、急な崖を駆けおりて、平家の本陣を裏から攻めて潰走させている。

いくら誇張されているにしても、壇ノ浦の八艘飛びなど、一軍の大将のすることではない。

奇襲は好機をとらえ、少数で敵の大軍に突入する。

沈着冷静な相手だと危険千万だが、成功すれば、びっくり仰天、戦わずして敵は逃げだしてしまうのである。(後略)

(『新版 光に向かって100の花束』(41)より)

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