日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #199

  1. 人生

歎異抄の旅[新潟]何のために、戦ったのか? 源氏の武将と『歎異抄』

古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

新年早々、地震や事故など想定外のニュースに驚きました。謹んで震災のお見舞いを申し上げます。昨日は想像もしていなかったことが、今日、起きてしまう現実に、古典『平家物語』「諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり」の一文を思い出さずにおれません。

『新・平家物語』の著者・吉川英治(よしかわえいじ)は、平家に勝利し、地位、名誉、財産などを得たはずの源氏の武将の中に、鎧(よろい)や刀を捨てて、浄土仏教の門へ入った豪傑が何人もあったことに注目しています。そして、「人間の幸福とは、どこにあるのか」を問いかけています。

今回の「歎異抄の旅」は、その問いを探るべく、源氏の武将と親鸞聖人(しんらんしょうにん)のエピソードが伝わる新潟を旅します。木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)

(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅[新潟]何のために、戦ったのか? 源氏の武将と『歎異抄』の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

「頼朝は、大ウソつきだ!」怒りの佐々木高綱に届いた手紙

鎌倉幕府を開き、初めて武家政権を樹立したのが源頼朝(みなもとのよりとも)です。

13歳頃から伊豆へ流刑になっていた頼朝が、天下を取ることができたのは、多くの源氏武者による命懸けの働きがあったからでした。
中でも、佐々木高綱(ささきたかつな)の活躍は、頼朝にとって、一生、忘れられないものだったのです。

──佐々木高綱といえば、宇治川(うじがわ)の先陣争いで有名ですね。

頼朝が平家打倒を掲げ挙兵して間もなくのこと。石橋山の戦いで、絶体絶命のピンチに陥りました。味方の兵数300に対し、平家軍は3000だったといいます。10倍の数の敵に囲まれたのですから、勝ち目はありません。
この時、頼朝の命を救うため、佐々木高綱が一人で敵の中へ打って出たのです。大軍勢を蹴散らしては引き返し、また出撃すること7度に及びました。
この高綱の奮戦によって、頼朝は、無事に危機を脱し、逃げることができたのです。

感激した頼朝は、高綱に、
「もし私が、平家を滅ぼして天下を掌握することができたならば、そなたに、日本の半分を与えよう
と約束しました。

──それは高綱も喜んだと思いますし、一層、頼朝のために尽くそうと奮起したのではないでしょうか。

その後、源氏は勢いに乗り、驚くほどの短期間で、平家を滅ぼします。
頼朝は、悲願がかなって征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、日本を自らの支配下に置くことができました。

──いよいよ高綱が表舞台に登場するのですね。

ところが頼朝は、高綱には中国地方の7カ国を与えただけで、約束を守りませんでした。
面白くないのは高綱です。

国主となり、広大な領地を手に入れても、日本の半分には、ほど遠い報酬です。酒を飲んでは「約束違反だ!」と、頼朝を非難していました。

──荒れる気持ちはわかります。

相当、荒れていたらしく、「高綱は謀反(むほん)を企てている」といううわさが、越後にいる西仏房(さいぶつぼう)にまで聞こえてきたのです。
西仏房も、元は源氏の武将でした。高綱とは戦友でしたが、早い時期に戦場から身を引き、親鸞聖人の弟子になっていたのです。

歎異抄の旅[新潟]何のために、戦ったのか? 源氏の武将と『歎異抄』の画像2

『二十四輩順拝図会(にじゅうよはいじゅんぱいずえ)』によると、西仏房は高綱にあてて、

「残水の小魚
食を貪って時に渇くを知らず
糞中(ふんちゅう)の穢虫(えちゅう)
居を争って外の清きを知らず」

と書き手紙を送ったといいます。
この短い文章が、高綱の肺腑を突くのですが、どういう意味なのでしょうか。
吉川英治が、この伝承を基に小説を書いていますので、その一部を紹介しましょう。
◆    ◆
「──沙門西仏、沙門西仏、はてのう──どうも覚えのない名じゃが」四郎高綱はつぶやいた。
手にとった書面の名に、酔眼をぼうとみはって、小首をかしげているていであったが、やがて封を切ってみると、中の書状には、太夫房覚明(たゆうぼうかくみょう)という別名が記してあった。
「なんじゃ、あの覚明か」大きく笑ったのは何か懐かしい者を思い出したものであろう、玄蕃のほうをちらと見てこういった。
「そのむかし木曾殿(きそどの。源義仲のこと)の手についておった荒法師じゃ。今では西仏と名を変えて北越におるものとみえる。……何を思い出して書面をよこしたか」杯を片手に、気懶(けだる)い体を脇息にもたせかけながら高綱はそれを読んでいた。
初めは、昔なつかしい戦場の友を偲(しの)んで、微笑をたたえてこれに向っていたが、ふと、苦いものでも噛みつぶしたように唇をむすんでしまうと、同じ所を何遍もくりかえしつつ、
「ウーム……」と、心を抉(えぐ)られたように呻(うめ)いているのであった。
さっと酔のひいた眉には、深い苦悶と自省の皺(しわ)が彫り込まれていた。引き裂いて嘲笑(あざわら)ってしまおうとする気持と、そうできない本心の重圧とが、ややしばらく彼の顔いろの中に闘っていた。
  残水の小魚
食を貪って
時に渇くを知らず
糞中の穢虫
居を争って
外の清きを知らず

達筆にかいてある西仏の手がみの中には、そういう文句などもあった。高綱は幾度も、その一章をくりかえしては見入っていた。
「──残水の小魚、糞中の穢虫とは──心憎くも喩(たと)えおったな。忌々(いまいま)しい奴、北越でもこの高綱のうわさは伝えられているものとみえる」睨(にら)むように天井を仰いだ。その顔にはもう酒の気はなかった。充血していた眼には涙があふれかけていた。
「……だが、違いない! 西仏に喝破されたとおり、思えばこの高綱も糞中の穢虫、世の中にうごめく蛆(うじ)の中にもがいていたこの身もまた蛆であった。……ああつまらぬ物に、永いあいだ業を煮やしたものよ」卒然と彼は身ぶるいした。涙のすじが頬を下って止めどなかった。
「──蛆、蛆、蛆。……ああ外の清きを知らぬ蛆」
ふいと、彼は起(た)ち上がった。
(吉川英治 『親鸞』より)
◆    ◆
高綱はこのあと、一人で城を出て高野山(こうやさん)へ登り、金剛峯寺(こんごうぶじ)で出家してしまったのでした。
しかし、怒りや愚痴(ぐち)の煩悩(ぼんのう)を抑えて修行に励もうとすればするほど、心の奥底から醜い心がわいてきます。周りに目を向けると、煩悩を断ち切って修行をせよと教えている僧侶が、派閥争いをしたり、陰で欲に走ったりしている姿が見えてきました。

ああ、ここも糞中の穢虫の世界だ」と落胆した高綱は、越後(えちご。現在の新潟県)へ向かう決意をします。手紙をくれた西仏房が生涯の師と仰ぐ、親鸞聖人の教えを聞きたいと思ったのでした。

浮世にあって、唯一、変わらないものとは

『二十四輩順拝図会』には、
「高綱は急いで高野山を出て、険しい野山と万里の海川を越えて越後へ向かい、親鸞聖人にお目にかかった」
と書かれています。

──道を急ぐ高綱の心境が伝わってくるようです。

高綱は、これまでの経緯を、親鸞聖人に告白します。

「私は、頼朝が約束を破ったことを、ずっと恨んでおりました。しかし、『有為転変(ういてんぺん)は世の習い』といわれるように、この世のことは、移り変わっていくものばかりです。自分で『こうしよう』と決めたことでも、その思いが続かずに変わってしまうのに、どうして他人が約束を破ったからといって恨むことができましょうか。私は、本当に愚か者でした。
たとえ天下を手に入れて、歓楽の限りを尽くしても、それはただ夢の中の戯れにすぎないでしょう。死ねば地獄に堕ちることは間違いありません。五欲の肴(さかな)を貪り、三毒の酒に酔って生涯を過ごすよりも、仏の教えを求めて、浄土に往生(おうじょう)したいのです」

親鸞聖人は、高綱に、次のように教えられたといいます。

「あなたが仏教を求めようとされるのは、まことに尊い志です。これは過去世からの仏縁に違いありません。
この世のことは、すべて夢であり、幻です。しかし、変わりやすい浮世(うきよ)にあって、唯一、変わらないものは、阿弥陀仏(あみだぶつ)の誓願(せいがん)なのです。
阿弥陀仏は、『すべての人を、ありのままの姿で、必ず助ける』と、命を懸けて約束されています。現在、生きている時に、無上の幸せに救ってくださり、死んだあとは極楽浄土へ往生させていただけるのです。仏教を聞き求めて、一日も早く、真実の信心を獲得しなさい」

佐々木高綱が、頼朝の命を救うために奮戦したのも、国主になったのも、高野山で出家したのも、
「人間の幸福とは、どこにあるのか」
を探し求める人生の旅だったといえるのではないでしょうか。ついに、その答えを見つけた高綱は、親鸞聖人の弟子となり、名を「了智房(りょうちぼう)」と改めたのです。

【「歎異抄の旅」[新潟]我が人生は、一酔の夢〜上杉謙信と『歎異抄』】で取材した春日山城跡(かすがやまじょうあと)から、日本海の方向へ車で10分ほど進むと、上越市国府の道路脇に「小丸山(こまるやま)御旧跡」と刻まれた大きな石碑がありました。

歎異抄の旅[新潟]何のために、戦ったのか? 源氏の武将と『歎異抄』の画像3

この辺りに、高綱が訪ねてきた時の、親鸞聖人の住まいがあったのです。そこには、西仏房、了智房だけでなく、かつての源氏の武将が何人もいたといわれています。
親鸞聖人は弟子たちに、次のように語ったと『歎異抄』に記されています。

(原文)
煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常の世界は、万(よろず)のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします。
(『歎異抄』後序)

(意訳)
火宅(火のついた家のこと)のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ。

この言葉は、命懸けで戦場を駆け巡った武将たちの心に、深く響いたに違いありません。

歎異抄の旅[新潟]何のために、戦ったのか? 源氏の武将と『歎異抄』の画像4

──木村耕一さん、ありがとうございました。「この世のことは、移り変わっていくものばかり」の高綱の言葉が、心に沁みます。「幸せとは何か」を考えずにおれなくなりました。

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