日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #148

  1. 人生

『徒然草』からの生きるヒント〜それを、屁理屈というのです(徒然草 第209段)

10月7日は、語呂合わせで、盗難の日なのだそうです。
他人のものを盗むのは、昔も今も悪いこと。
ですが『徒然草』には、驚きの屁理屈(へりくつ)を並べる人たちが書かれてありました。
木村耕一さんの意訳でどうぞ。

それを、屁理屈というのです

(意訳)
他人が所有している田を指して、
「そこは、もともと俺の土地だ」
と言って訴えた男がいました。

ところが裁判の結果、負けてしまったのです。

敗北した男は、悔しさのあまり、使用人に、
「あの田に実っている稲を、全部、刈り取ってこい」
と命じました。

すると使用人たちは、目的の田へ行き着くまでの道すがら、関係のない田の稲まで、どんどん刈り取っていくではありませんか。

誰かが見かねて、
「ここは訴訟になった田ではないぞ。どうして勝手に、他人の田の稲を刈っていくのか」
と注意すると、彼らは、こう言ったそうです。

「もともと我々が、裁判に負けた田の稲を刈り取ってもいいという道理は、どこにもない。どうせ、道理に外れたことを命じられて行くのだから、どこの田の稲を盗もうと同じじゃないか」

おかしな屁理屈を並べる人たちです。

【原文】
人の田を論ずる者、訴えに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣わしけるに、まず道すがらの田をさえ刈りもてゆくを、「これは論じ給う所にあらず。いかにかくは」と言いければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理(ことわり)なけれども、僻事(ひがごと)せんとてまかる者なれば、いずくをか刈らざらん」とぞ言いける。理、いとおかしかりけり。
(第209段)

『徒然草』からの生きるヒント〜それを、屁理屈というのです(徒然草 第209段)の画像1

(『月刊なぜ生きる』令和3年6月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト 黒澤葵 より)

理不尽なことが多い世の中

こんな理不尽な事例を書きながら、兼好法師は、あえて説教していません。

──では、悪い行為を黙認しているのでしょうか?

そんなはずはありません。

「もろもろの悪を為(な)すことなかれ、つつしんで善を修めよ」
と教えるのが仏教です。

兼好法師は、私たちに「こんな人を、どう思いますか」と投げかけているのでしょう。
そして、心の中で、こうアドバイスしているはずです。

「理不尽なことが多い世の中ですが、周りに流されたり、やけっぱちになったりして、悪い行いをしてはいけませんよ。自業自得です。そんなことをしたら、必ず悪い結果が自分の身に現れて不幸になると、お釈迦さまは教えられているのですよ」

──確かにそうですね。理不尽な目に遭うのは、昔も今も変わりません。その時、私がどう行動するのかが大切なんですね。兼好さん、生きるヒントをありがとうございました♪

意訳で楽しむ古典シリーズ 記事一覧はこちら