古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がスタートし、鎌倉時代に注目が集まっています。
鎌倉時代の古典といえば、『歎異抄』『平家物語』『方丈記』などが有名です。800年たった今でも読み継がれ、漫画やアニメにもなっていますね。
さらに『小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)』も、この時代に誕生したのだとか……。
日本の歴史の中でも、鎌倉時代って、すごかったのですね。
今回は『小倉百人一首』の誕生秘話を、木村耕一さんがリポートします。

(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)


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「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

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意外な発見

──木村さん、京都で、何か意外な発見をしたそうですね。

はい、前回、紹介した祇王寺(ぎおうじ)の取材を終え、JR嵯峨嵐山駅(さがあらしやまえき)へ向かって歩いていた時のことです。

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道路脇に、
「中院山荘跡(ちゅういんさんそうあと・小倉百人一首ゆかりの地)」と題する立て札がありました。

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この辺りに源氏の武将であり、下野国(しもつけのくに。現在の栃木県)に領地を持つ宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)の山荘があったと記されています。

──宇都宮頼綱といえば、この連載で何回も紹介した熊谷直実(くまがいなおざね)の友人ですよね。

はい、宇都宮の山荘が、なぜ、「小倉百人一首ゆかりの地」になるのでしょうか?
なぜ、下野国の武将が京都に住むようになったのでしょうか?

──そうですよね。坂東武者が源平合戦に勝ったのですから、関東で勢力を誇っていいはずですが……。

まず、熊谷直実と宇都宮頼綱の関係を伝えるエピソードを紹介してから、京都の嵐山を訪ねて、「小倉百人一首」誕生秘話を探ってみましょう。

一谷の合戦で訪れた転機

源義経(みなもとのよしつね)に従って、平家と戦っていた熊谷直実は、一谷(いちのたに)の合戦で、平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取りました。

──それは、大手柄ではないでしょうか。

手柄を立てたものの、彼は深く考え込んでしまったのです。敦盛は、自分の息子と同じ17歳の若者でした。

「ああ、かわいそうなことをしてしまった。この子の親は、どんなに悲しむだろう。いくら戦とはいえ、俺はこれまで、どれだけ多くの人を殺してきただろうか。大変な罪を重ねてしまった。こんな者は、死んだら、どうなるのだろう……」

──冷静に自分の行ったことを見つめると、計り知れないものがあります。

この時から、熊谷直実は、出家して仏教を聞き求めたいと思い始めたのです。
やがて、居ても立ってもいられなくなった熊谷は、京都の法然上人(ほうねんしょうにん)の元へ走りました。

「恐ろしい罪を造ってきた私に、救われる道がありましょうか」

不安な心を訴える熊谷に、法然上人は、

「阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願は、そんな悪人のために建てられたのです。一心に弥陀の本願を聞きなさい。善人でさえ救われるのです。悪人が救われないはずがありません」

と教えられたのでした。

熊谷は、

「たとえ八つ裂きにされても、私ごとき者の助かる道はなかろうと、覚悟していましたのに……。こんな者を救ってくださる弥陀の本願があったとは……」

と泣き崩れ、真剣に仏教を聞き求めるようになったのです。彼は、法然上人のお弟子となり、「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」とも、「蓮生房(れんしょうぼう)」とも呼ばれるようになりました。

──法然上人にお会いできてよかったです。

熊谷直実の「逆さ馬」

熊谷直実は、武蔵国(むさしのくに。現在の埼玉県)に領地がありました。
仏教を聞きたい一心で飛び出してきたので、故郷に残してきた母や子供のことが気になってなりません。

──当時は携帯電話もスマホもないから、全くの音信不通ですね。

そこである日、法然上人に、

「仏教にあえた喜びを、家族や友人にも伝えたいと思います。しばらく武蔵国へ帰ってもよろしいでしょうか」

と願い出たのです。

法然上人は、

「そなたは短気だからな。くれぐれも、道中で、争い事を起こしてはならんぞ」

と念を押しながら許されました。

「心得ております。仏教の素晴らしさを、じっくりと話してまいります」

うれしそうに馬に乗って、京都から関東へ旅立ちました。

──いざ、関東へ出発ですね。

ところが、急に、

「これはいかん。俺は、西に背を向けている。何という恩知らずだろう!

と叫んで、馬から下りてしまったのです。

──急にどうしたのでしょうか?

東に向かって旅をしているのですから、当然、背中は西へ向きます。

──それが、なぜ、いけないのでしょうか?

熊谷は、こうつぶやきます。

「阿弥陀仏は西方にまします、と経典に説かれていることを忘れていた。救われた広大なご恩を思えば、どうして阿弥陀仏に背を向けて行けようか。バカだった、バカだった……」

そこで彼は、馬の背に、前と後、逆向きになって乗ったのです。

──すごいです!

体を馬の尻尾に向けて座っている姿は、いかにも奇妙でした。

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しかし、これなら、馬が東へ進んでも、自分の背が西へ向く心配はありません。馬を自在に操って戦場を駆け回っていた熊谷でなければ、とてもできない離れ業でした。これが世に名高い「逆さ馬」です。

熊谷は、道々、次のような歌を詠んだといわれています。

浄土(じょうど)にも 剛(ごう)の者とや 沙汰(さた)すらん
西に向かいて 後ろ見せねば

(意訳)
今頃、極楽では、俺のことを、「娑婆(しゃば)には、すごい豪傑がいるものだ。馬に乗っても、大恩ある弥陀に背を向けないとは!」と、うわさしているだろう。

こうまでせずにおれないほど、弥陀に救われた喜びが、大きかったのです。

どうする? 直実

やがて、東海道で武者行列に出会いました。
槍(やり)、弓などをそろえ、正々堂々とした行進です。

熊谷は、もはや武士ではありません。立場をわきまえて、道端で土下座をしていました。ところが、自分の前で、行列がピタリと止まったのです。

──え? どうしたのでしょうか?

見上げると、なんと馬上の者は、かつての戦友、宇都宮頼綱ではありませんか。彼は軽蔑したまなざしで、
子供一人殺したくらいで、なんだ、そのざまは。坊主になりやがって!」
と言うが早いか、熊谷の顔に、つばを吐きかけたのでした。

──わっ!? ひどいですね。

『歎異抄』には、人間の姿を、

煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ)」

と書かれています。
欲、怒り、愚痴(ぐち)の塊(かたまり)だということです。ただの塊ではありません。「人間は、100パーセント、煩悩でできている。煩悩以外に人間はない」という意味です。

弥陀に救われても、煩悩具足の凡夫に変わりはありません。
かつては戦場で、名誉を重んじ、手柄を競い合っていた熊谷が、この恥辱に耐えられるはずがありません。

「何をする!」
熊谷の怒りが爆発しました。

「ほう、まだそんな元気があったのか。来い、勝負してやる」
宇都宮は、熊谷に刀を投げ与えました。向かい合う二人。
辺りの空気はピーンと張り詰めます。

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──わっ!? 法然上人から「そなたは短気だからな。くれぐれも、道中で、争い事を起こしてはならんぞ」と念を押されていたのに、どうなってしまうのでしょうか? 来週に続きます!

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