古典の名著『歎異抄』ゆかりの地を旅する

今回の『歎異抄(たんにしょう)』ゆかりの地を旅する連載は、夏目漱石(なつめそうせき)と『歎異抄』。
『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』など、今も愛読されている明治の文豪・夏目漱石と、鎌倉時代の古典『歎異抄』とは、どんな関係があるのでしょうか?
木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』ゆかりの地を旅します

(「月刊なぜ生きる」に好評連載中!)

夏目漱石が感嘆した親鸞聖人の大革命

──夏目漱石は明治の文豪、一方『歎異抄』は鎌倉時代の有名な古典。この二つが結びつくのは、意外な感じですが……。

そうですね。『歎異抄』には、親鸞聖人(しんらんしょうにん)と、お弟子の唯円(ゆいえん)の対話が書かれています。
夏目漱石は、親鸞聖人に、このような賛辞を贈っています。

「大革命」を断行した人──。

──大革命とは、すごいですね。漱石が言う「大革命」とは、何だったのでしょうか?

はい、漱石は何に感動したのか、再び京都へ向かって確認してみましょう。

──ここは京都の円山公園(まるやまこうえん)ですね。

歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像2

法然上人(ほうねんしょうにん)は、京都の東山(ひがしやま)のふもとに寺を建立され、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)を説いておられました。その寺は「吉水草庵(よしみずそうあん)」と呼ばれ、現在の円山公園の辺りにありました。
吉水草庵跡は、公園のもっと奥にあります。

歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像3

東山へ向かって坂道を上っていくと、広場に出ました。

──石垣で囲まれた寺があります。

はい、吉水草庵の跡地に建つ安養寺(あんようじ)です。室町時代に、宗派が「時宗(じしゅう)」に変わった寺ですが、門前には、
「法然親鸞両上人御旧跡吉水草庵」
と刻まれた石碑が建っていました。

歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像4

今から約800年前、法然上人は、この地で、弥陀(みだ)の本願を説いておられたのです。

親鸞聖人は、
「死んだらどうなるのか分からない」
という真っ暗な心を解決したいと、雨の日も、風の日も休まれず、この吉水草庵へ通い、法然上人のご説法を真剣に聴聞されたのでした。

歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像5

さて、夏目漱石が「大革命」と驚いた事件は、親鸞聖人31歳の時に起きました。
公然と結婚されたのです。

──結婚? それがどうして事件なのですか?

はい、そのように、疑問に思う人が多いと思います。
当時は、天台宗(てんだいしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)などの旧仏教は、僧侶が「肉食妻帯(にくじきさいたい)」することを固く禁じていたからです。

──肉食妻帯とは、どういうことですか?

「肉食妻帯」とは、動物の肉を食べたり、結婚したりすることです。この戒めを破った者は、「破戒僧(はかいそう)」として仏教界から追放されたのでした。

一般の人も、「寺の僧侶が結婚するなんて、ありえない!」と思っていた時代です。それが常識だったのです。

──えー、そんな時代があったのですね。

親鸞聖人が結婚されたのは、「女性への煩悩に打ちかつことができなかったからだ」と言う人がいます。禁断の恋物語として小説に書く作家もいます。

しかし、親鸞聖人の肉食妻帯の断行は、そんな個人的な問題ではなかったのです。苦しんで生きている人々、そして未来の私たちのためだったのです。

その重大な意味を感じ取ったのが夏目漱石でした。

──未来の私たちのため……。

大正2年12月、漱石は、母校である第一高等学校(東京大学の前身)で行った講演で、次のように述べています。

坊さんというものは肉食妻帯をしない主義であります。それを真宗(しんしゅう)の方では、ずっと昔から肉を食った、女房を持っている。これはまあ思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢(こんてい)のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。
(『漱石文明論集』岩波書店刊)

すべての人が、平等に救われる教え

夏目漱石は、親鸞聖人の肉食妻帯を、「思想上の大革命」「大改革」と位置づけています。その当時、僧侶が肉食妻帯をすれば、迫害を受けることは、火を見るよりも明らかでした。

──いかなる非難、弾圧をも恐れず突き進まれたとは、驚くばかりです。
「思想上の大革命」とは、どういうことでしょうか?

親鸞聖人は、『歎異抄』に、
「弥陀の本願には老少善悪(ろうしょうぜんあく)の人をえらばず」
とおっしゃっています。

「弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切差別はない」
という大宣言です。
ここが、それまでの天台宗、真言宗などの旧仏教と、まるっきり違うところです。

天台宗の比叡山(ひえいざん)は、女人禁制(にょにんきんぜい)でした。つまり女性は救いの対象から外されていたのです。
しかも、山へ入って難しい学問や厳しい修行のできる人でなければ仏教を求めることができませんでした。文字の読めない人、体の弱い人は除外されていたのです。

──仏教は、特別な人のためのものだったのですね。

ところが、弥陀の救いには、男女の差別はありません。能力の差別もありません。完全に平等なのです。
結婚しているとかいないとか、肉を食べているとかいないとか、そんなことは弥陀の救いには関係ないのです。
貧富や身分による格差も、全くないのです。

──完全に平等。それは、女人禁制の旧仏教とは、まるっきり反対ですね。

ここに、誰でも、平等に救われる教えがあるのに、まだまだ世の中に伝わっていないことを嘆かれた親鸞聖人は、一大決心をされます。

弥陀の本願を明らかにするために、自ら公然と仏教界のタブーを破壊し、釈迦の教えを明らかにしようとされたのでした。それが、法然上人の勧めもあって断行された肉食妻帯だったのです。

──それで、ご結婚なされたのですね。「思想上の大革命」と言われた訳が分かりました。

親鸞聖人は『歎異抄』に、次のようにおっしゃっています。

(原文)
「弥陀の誓願(せいがん)不思議に助けられまいらせて往生(おうじょう)をば遂(と)ぐるなり」と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にあずけしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要(よう)とすと知るべし。
(『歎異抄』第一章)

(意訳)
〝すべての衆生(しゅじょう)を救う〟という、阿弥陀如来の不思議な誓願に助けられ、疑いなく弥陀の浄土へ往く身となり、念仏称えようと思いたつ心のおこるとき、摂め取って捨てられぬ絶対の幸福に生かされるのである。
弥陀の救いには、老いも若きも善人も悪人も、一切差別はない。ただ「仏願に疑心あることなし」の信心を肝要と知らねばならぬ。

歎異抄の旅⑲[京都編]夏目漱石と『歎異抄』の画像6


木村耕一さん、ありがとうございました。夏目漱石の言葉を通して、『歎異抄』の深さが知らされました。次回もお楽しみに。

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