日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #53

  1. 人生

「美しいなあ」。こんな感激がわいた時、人は歌を詠みたくなる 〜九月廿日あまりのほど、長谷に(枕草子 第211段)

「月」は、秋の季語

秋は、月がきれいです。
春の「花」に対して、秋は「月」が、俳句の季語なのだそうです。
秋は比較的、空気が乾燥しているので、夜空にさえ渡って、美しく見えるのだとか。
そんな「月」の美しさを『枕草子』の意訳で味わってみましょう。
木村耕一さん、よろしくお願いします。

「美しいなあ」。こんな感激がわいた時、人は歌を詠みたくなる(枕草子 第211段)

九月二十日過ぎに、長谷寺へ参詣した時に、小さな家に泊めてもらいました。
とても疲れていたので、私たちは、ぐっすりと寝入ってしまったのです。
真夜中に、ふと目が覚めると、月の光が、窓から、サーッとさし込んでいました。しかも、その光は、一緒に寝ている人たちの着物を、白く輝かせているではありませんか。「美しい光景だなあ」と、思わず見とれてしまいました。
こんな感激がわいた時、人は、歌を詠みたくなるのですね。

「美しいなあ」。こんな感激がわいた時、人は歌を詠みたくなる 〜九月廿日あまりのほど、長谷に(枕草子 第211段)の画像1

(『こころきらきら枕草子』木村耕一著 イラスト 黒澤葵 より)

月を愛でる

木村さん、ありがとうございました。
ふと目を覚ました時に、月の光の美しさを感じるなんて、素敵ですよね。
ふと目を覚ました時、私だったら、目に入るのは、車のヘッドライトか、外灯でしょうか……。
電気のなかった時代の月明かりは、格別だったんだろうな、と思います。
清少納言が、歌を詠みたくなるほどに、感激した月の光。
中秋の名月に開かれた、発句の会のエピソードを、『光に向かって心地よい果実』(高森顕徹著)の中からご紹介しましょう。

本末

中秋の名月、四、五人の町の俳人たちが、発句の会を開いていた。
そこへ一人の旅人が通りかかったので、
“これこれ旅の衆、今宵は名月、月見の題で発句の会を開いているんだが、そなたも一句詠んでみなさらんか”
と呼びかける。

快く応じて旅の男は、
“三日月の”と上の五文字を書くと、
“これこれ旅の人、今宵はあの通り中秋の満月ですぞ。三日月とは寝とぼけていられるのではござらんか”
と、腹を抱えて一同が笑う。

だが次に、男が黙ってしたためた、
“頃より待ちし、今宵かな”の名句に一同あっと驚く。
最後に小さく芭蕉と書き入れたのを見てみんな深く恥じ入り、心から前非を謝したという。
(『光に向かって心地よい果実』高森顕徹著 より)

芭蕉の名句に、感動しました。
物事には「本末」があり、本から末まで聞かないと、わからないものなんですね。

月の光に感動して、歌を詠み、詠んだ歌に、また感動する……。
月を愛でる日本の習慣は、素敵だなと思いました。

“三日月の 頃より待ちし、今宵かな”(芭蕉)

今の「満月」の美しさだけに注目するのではなく、三日月の頃から、毎晩見上げては、「中秋の名月」を心待ちにしていたのですね。
心にかけていた、その時間の流れに、思いの深さを感じました。

ふと、人生にも「満月」のような時があるな、と思いました。
仕事が成功したり、大会で優勝したり、お金が儲かったり……という華やかな結果を「満月」としてみます。
その結果(満月)を、注目されるのもうれしいですが、そこに至るまで(三日月の頃から)をも見ていてくれた、評価してくれたら、その人の愛情を感じて、喜びが一層深まりますよね。

月を見上げながら、そんな、色々な思いを巡らせるのも、心地よい時間。
清少納言さんは、今夜の月を、どう味わっていますか?

「美しいなあ」。こんな感激がわいた時、人は歌を詠みたくなる 〜九月廿日あまりのほど、長谷に(枕草子 第211段)の画像2

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