カフェで楽しむ源氏物語-Genji Monogatari #42

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【源氏物語】栄光の人生に下された鉄槌─光源氏と藤原道長【御法の巻】

こんにちは。国語教師の常田です。
源氏と道長には、共通点があります。源氏がこれまで歩んできた人生と、その時の心情を振り返りながら、比較してみたいと思います。

源氏物語の中でも、歌(短歌)は大きな意味を持ちます。
ストーリーの柱であり、登場人物の思いの結晶でもあります。

紫の上の死後、光源氏は次の歌を詠みました。

のぼりにし 雲いながらも かえり見よ われあきはてぬ 常ならぬ世に
(わが最愛の妻・紫の上よ、昇っていった、はるか遠い空から、私を顧みてくだされ。この秋が果てるとともに、私はこの無常の世に飽き果ててしまいましたよ)

最愛の妻・紫の上を失って知る現実

最愛の妻・紫の上の葬送を終えた光源氏は、時間が止まってしまったように、寝ても覚めても彼女を想い、涙の乾く時がありません。

「過去にも将来にも二つとない悲しい目に遭ってしまった。
幼い頃から幾度も、私に無常の世を思い知らせんとなされてきた仏さまの御心に、強情に目を背けて過ごしてきたばかりに…」
と人生を振り返って嘆きます。

彼はこれまでも、大切な人に先立たれるたび、仏道一筋に生きようかと何度も悩んだことがあったからです。

初めは10代の後半です。
仕事も手につかぬほど夢中になった、恋人・夕顔の急死がきっかけでした。
病の治療で北山を訪れた時、僧侶から、世の無常、後生の話を聞き、出家したいと思いました。
しかし、ふと昼に見た少女(幼い紫の上)の面影が浮かんだ途端に、気持ちは失せました。

次は20代前半の頃です。
正妻と父を相次いで亡くし、「泡沫の人生、仏法しかない」と思いましたが、幼い子どもや結婚して間もない紫の上が愛しく、たちまち決意は鈍りました。

一途に出家を考える光源氏

30代になると、帝の後見人として政界のトップに立ち、全てが思いどおりのわが世の春を謳歌します。
ところが、望みがかなうほど、諸行無常が知らされてきます。

憧れ続けた継母・藤壺の死に接し、悲しみのあまり「このまま出家を」と考えましたが、子どもたちの成長に未練が残り、またもあと一歩が踏み切れませんでした。

40代には、交際した女性たちが次々と出家し、源氏にも「私の後生はどうなる?」と焦りが出てきます。

政界を引退し、子どもも立派に成人したのに、それでも出家を決断できなかったのは、紫の上と離れたくなかったからです。

こうして時間だけが過ぎ去り、襲ってきた最愛の人との死別。

「ついに鉄槌が下された」と身にしみた源氏は、一途に出家を考えるようになりました。

仏の御前に人しげからずもてなして、のどやかに行いたまう。-中略- 今は蓮の露も他事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つことたゆみなし。
(源氏は、仏の御前に人が多くならないよう配慮し、静かに勤行をしている。極楽往生の願いが他のことで紛れるはずもなく、明るい後世を、と一筋に仏道を求める思いに揺るぎはない)

藤原道長と光源氏の共通点

このような光源氏の姿は、平安時代中期の最高権力者・藤原道長と重なります。

道長といえば、権力欲の塊のイメージがありますが、実は若い頃から病弱で、後生を不安に思い、仏道を求めたいと願っていたそうです。

30歳で政界で一番の実力者になりますが、その後、大病を患い、何度も出家の意を表していました。

出家のこと、年来の宿念により遂ぐべきなり。今病みすでに危急、存命すべからず。ただ後世の善縁を結ぶなり。
(出家というかねてからの念願を遂げたいと思います。病気で命も長くありません。後の世が明るくなるよう、善い縁を求めたいのです)

しかしこの時は出家を思いとどまりました。
その後も権力を求め続けた道長は、絶頂だった53歳の時、かの有名な歌を詠みます。

この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば

しかし、誰よりも幸福の崩壊におびえ、後生を恐れていたのでしょう。

翌年には出家し、「極楽浄土がこの世に現れた」と評される大寺院・法成寺を建立しています。

還暦を迎えた頃には、2年間で4人の子どもに先立たれ、持病も悪化し、法成寺で屏風を立てて人を近づけず、阿弥陀如来像の前にひざまずいて、ひたすら念仏を称えるようになりました。

この「御法の巻」が書かれた正確な年代は分かっていませんが、道長30代の頃ともいわれています。
とすれば、まるで彼の晩年を予言したかのような内容ですね。

次回から、光源氏が物語の舞台を去るまでの、最後の1年を描いた「幻の巻」に入ります。

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法成寺:無量寿院ともいわれた。現存はしていない。

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