戦国三英雄に学ぶ人材発掘法

こんにちは、歴史から学ぶ人生ナビゲーターの木口です。

有能な人材をいかに確保するか
会社で責任ある立場に就いている方は、お悩みの問題でしょう。
就職活動は、受ける学生の皆さんもしんどいでしょうが、迎える企業も大変です。
なにせ有能な人材を発掘できるかどうかに未来の社運がかかっているのですから、見る目が厳しくなるのも当然でしょう。

人材確保のための取り組みもさまざまです。
学生が、自分の情報を入力しておくと、目に止まった企業が学生に声をかけるサービスも登場したんだとか。
自社にぴったりな金の卵を他に先駆けて確保したい、ということでしょう。

戦国時代は、生き残りをかけた厳しいサバイバル。
そのために有能な人材は一人でも多くほしいはず。
向こうから勝手にやってきてくれればいいですが、そうはいきません。
戦国時代をリードしたあの3人は、どのように人材を集め、活用していったのでしょうか?

超成果主義! 信長の人材採用術

  1. あら? こちらのお方は?

  2. 明智光秀と申します。
    何やら楽しくやっていると聞き、私もご一緒させていただきました。

  1. これはこれは、ようこそ。

  2. 女将が大変な美人と聞き及んでいましたが、まったくそのとおりで。

  1. まあ、お口のうまいこと。
    今日はゆっくりしていってくださいね。

  2. こいつは頭の切れるやつでな。オレが見つけてきた。

  1. 見つけてきた?

  2. こいつは才能がありながらも主人に恵まれなくてな。
    長いこと諸国を放浪していた。
    将軍家に仕えているところをオレがスカウトして引き抜いたのよ。

  1. 光秀さん、確か来年は大河ドラマの主人公でしたよね。

  2. はい、お恥ずかしい限りで。

  1. オレのオヤジの代から仕えるじじいどもは、家柄がどうとか、素性が知れないやつはとか、いろいろうるさくてな。
    そんなものは知らん! と一蹴してやったのよ。
    家柄がよくても無能なヤツだったら、この乱世で役に立つものか。
    才能のある者は家柄や身分に関係なく採用する。それが信長流よ。

  2. さよう。信長様がおらねば、ワシは最後までただのサルでした。

  1. 秀吉さんは、信長さんの草履取りからスタートしたんでしたね。
    才能を見抜かれての、大抜擢ですね!

  2. ただし。
    用いるからにはしっかり働いてもらう。
    そうでない者はこの織田家にはいらん。

  1. いや~信長様のもとは、働きがいがありますな~。
    (あ~こわ。追放された佐久間様や林様のようにはなりたくないものよ・・・・)

  2. (過去どれだけ働いても、つねに功績を上げていかねば置いてくれぬということか・・・・)

  1. 徹底した成果主義ですね。
    (家臣の皆さんピリピリだったかも…。汗)
    そうそう、家康さんはどうですか?

秀吉は、適材適所で人材を「人財」に

  1. そうですな。
    わが徳川家はもう少しゆったりしているかもしれません。
    人はみな長所と短所があります。
    人それぞれの長所を用い、短所は見逃すのが良いかと。

  2. 家康さんは寛大なんですね。

  1. 「人は宝」というのが私の基本的な考えです。
    一度反目して出ていった者もいますが、その時は出戻りを許しました。
    まあ、その他の家臣の反発は少々くらいましたがな。

  2. おぬし、よくそんなゆったりしておれるの。

  1. そうでしたか、なんだか家康さんらしいですね。
    秀吉さんは何か人材活用の秘訣はおありですか?

  2. ワシか。
    そうじゃな、ワシは仕事のやる気はあるんじゃが、農民出身なもので学問も兵法も知らん。
    加えて細かいお金の勘定なんかも苦手でしてな、ハハハ。
    緻密な計算ができる光秀どのがうらやましい。

  1. それ、困るんじゃないですか?

  2. はっはっは、心配ご無用!
    頼れる助っ人を身近に置いておったからの。

  1. 助っ人ですか。

  2. そうじゃ。アドバイスをしてくれる軍師じゃよ。
    この前来た黒田官兵衛や、竹中半兵衛など聞いたことあるじゃろ。
    この者らは優秀での、いつもワシに知恵を授けてくれた。
    あとお金の勘定やら事務的なことは弟・秀長がきっちりやってくれての、助かった。のお、秀長。

  1. 兄者(あにじゃ)はいつも無茶ぶりだからな~。

  2. はっはっは! すまんがこれからもたのむ!

  1. なるほど、自分の苦手分野を補う工夫をされていたのですね。
    三者三様で、楽しく聞かせていただきました。

信長快進撃の裏に、斬新さと冷酷さあり

戦国時代は家柄がものをいう時代。
大名を社長に例えるなら、それを支える役員は、先祖以来の世襲制が一般的でした。
しかしそうした古い常識にとらわれなかったのが信長です。

たとえば明智光秀
彼は他家に使えていたところを、信長がその頭のよさに注目し、ヘッドハンティングしたのでした。
今のお金にして約4000万円の年俸で、一気に有力家臣と肩を並べることになりました。
中にはそれをねたむ者もいたでしょう。
しかし能力さえあれば、身分や前歴に関わらず、積極的に登用したのが信長でした。

光秀だけではありません。
農民出身の秀吉や、犯罪を犯して前の職場から追放になっていた滝川一益などを登用し、今でいう専務にまで抜擢します。
このあたり「人材マニア」と言われる三國志の曹操と通じるところがあります。

同時に信長は、徹底した成果主義者でもありました。
林と佐久間という家臣は、代々織田家に仕える家柄の生まれで、信長の父の代から長年仕える重役でした。
しかし突然、信長は二人を解雇します。
減給などではなく追放です。

特別大きな失敗をしたわけではありません。
30年間高禄をもらいながら、大した働きをしていない」というのがその理由でした。
うち一人には「30年前、自分が織田家を継ぐ時に反対した」という理由も突きつけています。
そんな昔のこと、もはや言いがかかりともいえます。
信長にとっては、高給取りでありながら、さしたる成果も上げないこと事態が「罪」だったのかもしれません。

優秀な人材がどこに眠っているか分からないのは、今も昔も変わりません。
昔のように家柄や身分、現代なら出身大学や人種、男女差などでフィルターをかけていたら、どれだけの貴重な出会いを逃すかしれません。
別け隔てなく人を募るということは、家柄や人種以上に大事なものがあると思うからです。
人との出会いに何よりも価値を置く人のところに、人も物も集まってくるのだと知らされます。

「過去は過去」と流せる、家康の心意気

一方、家康からは寛容な様子がうかがえます。
ある時、領内で一揆が起き、それに本多正信という重臣が加担します。
つまり裏切りです。

やがて一揆はおさまり、敗れた本多は徳川を飛び出し、諸国を放浪します。
何年もたった後、徳川に戻りたいと希望してきます。
「どの面下げて」と反対する声もおそらくあったでしょうが、家康はそれを許します。

裏切り者や結果を出さない者を切り捨てた信長とは対照的です。
厳しい成果主義が結果を出すこともありますが、下にいる人は大変なストレスの中にあったことでしょう。
人は過ちを犯すもの。
「過去は過去のこと」と流し、ともに成長していこうとする温かい心意気に感激し、奮起する人もまた多いはずです。

秀吉の天下統一を支えたアドバイザーは?

ワンマン社長の信長とは反対に、支えてくれる補佐役を置いたのが秀吉です。
秀吉は抜群の行動力と度胸がありましたが、農民出身のため兵法には暗く、お金の勘定など細かな実務も苦手でした。

その弱点を補ったのが、竹中半兵衛黒田官兵衛といった軍師です。
二人とも秀吉より年下でしたが、秀吉はそんなことは気にしません。
自分に足らないものがあることを自覚していたのでしょう。
本能寺の変で意気消沈している秀吉を支え、「代わって秀吉様が天下をとるのです!」と力強く背中を押したのも黒田でした。
また実務面でのサポートは、弟・秀長が担当し、見事、秀吉を天下人に押し上げます。

人間にはそれぞれ得手、不得手があり、一人で何でもできる人は少ないでしょう。
それでも、お互いの得意分野を活かして協力し合えば天下もとれる!
各自の強みを活かせる、チームワークづくりの大切さを教えてくれているように思います。

まとめ

徹底した成果主義か、失敗を受け入れるか。
はたまたワンマンか協調か。
この3人は全く違う方針をとっています。
どれが合うかは、自分の適性や置かれた状況にもよるでしょう。
自己をよく知り、置かれた状況をよく見定めることが、人材発掘・活用成功へのカギといえそうです。

参考文献

『秀吉の手紙を読む』(染谷光廣)
『戦国武将の手紙を読む』(小和田哲男)
『戦国武将の手紙』(桑田忠親)
『世界名言集16徳川家康名言集』(桑田忠親)
『戦国武将名言集』(桑田忠親)

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