日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #133

  1. 人生

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)

古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

最近、円安が止まらない、値上げラッシュなど、お金に関するニュースが多いです。
お金といえば、1万円札の裏に描かれている鳥の名前を、ご存じでしょうか。

鳳凰(ほうおう)です。

翼を広げ、鋭いくちばしを持っています。
想像の世界の鳥ですが、お札に載るくらいですから、よほど日本の歴史の中でも、知られている存在なのですね。

さて、どこに行けば見られるでしょうか。

答えは、京都府宇治市(うじし)の平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)です。

では、誰が、どんな願いを込めて鳳凰堂を建立したのか……。
平等院鳳凰堂から、木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)

(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)

誰が、何のために?

平等院の表門から入り、境内をまっすぐに進むと、池の中に浮いているような、赤い柱の建物が見えてきました。

──この建物は何でしょうか。

これが、鳳凰堂です。

──普通の寺院とは、かなり趣が違いますね。

それもそのはず、釈迦の経典に説かれている極楽浄土の宮殿をモデルにして、約千年も前に建てられたものだからです。

──えー、極楽浄土の宮殿がモデルとは、驚きました。ところで、鳳凰はどこにいるのでしょうか?

はい、下の写真の中から探してみてください。
全部で2羽、いるはずです。

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像2

中央の建物の屋根の両端に、金色に光っているものが見えませんか。南北一対に、鳳凰が飾られています。

──すみません、よくわからないのですが……。

そうですね、正面からは、よほど目を凝らさないと分かりません。

もっと近くで鳳凰を見ることができる場所を探してみましょう。池の周りを歩いて、建物の裏側に行ってみます。

すると、バッチリです。
屋根からの距離が近くなり、太陽の光を受けて輝く鳳凰の姿を見ることができました。早速、望遠レンズをつけて撮影したのが、この写真です。

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像3

現在、屋根に飾られている鳳凰は複製品です。
平成26年に、鳳凰堂の大修理が完了した時に、金箔が施され、平安時代の華やかな姿に復元されたのです。

──わあ、まばゆいです。

実物は、国宝に指定され、境内の博物館(鳳翔館)に展示されています。

──なんと、国宝ですか。

透明なケースに入っていますが、目の前で鳳凰を見ることができます。精巧な細工が施されており、約千年前の芸術家たちの息吹が、直に伝わってくるようでした。

──ところで、世界文化遺産にも登録されている平等院鳳凰堂は、誰が建てたのでしょうか。なぜ、釈迦の『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』や『阿弥陀経(あみだきょう)』に説かれている極楽浄土を再現しようとしたのでしょうか。

はい。その謎を解く鍵は、『源氏物語』が誕生した頃に、日本の政界で絶大な権力を振るっていた藤原道長(ふじわらのみちなが)の歌、
「この世をば わが世とぞ思う 望月(もちづき)の
  欠けたることも なしと思えば」

の中にあります。

道長の足跡をたどってみましょう。

──よろしくお願いします。

満月のような幸せ

まず、目指すのは、京都御苑(きょうとぎょえん)にある藤原道長の邸宅跡です。

平等院からJR宇治駅へ戻り、奈良線で東福寺駅(とうふくじえき)へ。

ここで京阪電車に乗り換え、北へ向かいます。比叡山(ひえいざん)の方向です。車窓からの景色を眺めていたのも束の間、電車は地下へ入っていきました。終点の出町柳駅(でまちやなぎえき)まで、地下鉄になるのです。

出町柳駅から地上へ出ると、すぐそばを鴨川(かもがわ)が流れていました。

賀茂大橋(かもおおはし)を渡って、10分ほど歩くと京都御苑です。約100ヘクタールもある広大な公園です。道長の邸宅は、この中にありました。

その場所を探し当てましたが、建物は、何もありません。

──あれ、何にもないのでしょうか。

はい。広い土地に、緑の草が生い茂っているだけでした。
しかしここは、道長が人生の中で、最も幸せな時期を過ごした場所なのです。それを証明する立て札が、ぽつんと1本、大きな木の前に立てられていました。

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像4

次のように記されています。

土御門第跡(つちみかどていあと)
平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第、京極第などとも呼ばれました。道長の長女彰子が一条天皇のお后となり、里内裏である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像5

娘が天皇の后(きさき)となり、孫が次々に天皇になっていきます。藤原家にとっては、これ以上ない繁栄を手にしたのです。
道長が詠んだ歌を、意訳すると、次のようになります。

この世をば わが世とぞ思う 望月の
欠けたることも なしと思えば

(意訳)
この世は、私のためにあるようなものだ。今宵の満月には、欠けたところがないように、私の願いで、かなわないものは一つもない。最高の幸せ者だ。

歎異抄の旅㉞[京都編]鳳凰堂に込めた、藤原氏の願い(前編)の画像6

いかに道長が、得意の絶頂であったかが分かります。

──すごいですね。ここまで言い切れる人っていないと思います。

道長は、日記を書いていました。25年間も丹念につけていましたので、何を考え、何に取り組んでいたかを、よく知ることができます。
満月の夜に、祝いの酒宴を催し、この幸せあふれる歌を詠んだのは、寛仁2年(1018)10月16日でした。53歳の時です。

ところが、年が明けると、急に体調を崩します。

──え!? 今、得意の絶頂で喜びに満ちていたのに、3ヶ月後には、変わってしまうとは……。このあと、どうなるのでしょうか。次回に続きます。

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