1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銅賞

『光に向かって100の花束』を読んで

小林幸子さん(56歳・石川県) 一般の部

「大切な忘れ物を届けに来ました」というキャッチフレーズで『光に向かって100の花束』という本が出版されていることを地元の新聞で見た時、どんな花束なんだろう、ちょっと見てみたいなと思った記憶がある。

まだ残暑の厳しい秋分の日、本当に久しぶりに、嫁と小1と4歳の孫を連れて、デパートへ行った。相変わらずおもちゃを欲しがる小1の孫に「今日は本を買ってあげようネ」と行った書籍コーナーで、私の目に飛び込んできたのが『光に向かって100の花束』でした。「あっ、この本だ!! あったぁ!!」と胸を躍らせ、100の花束と対面?したのでした。

私は今までに頂いた花束は100もないけれど、31年間勤めた職場を退職した日に、一番世話をかけた同居している母が、「長い間お疲れ様でした」というメッセージのついた大きな花束、母の日に嫁からのピンクのカーネーションと白いあじさいの花束、また椿が大好きな私に、「花盗人に罪はない」と都合のいい理由をつけた夫が、帰宅途中に酔った勢いで折ってきてくれた、淡いピンクの椿の一枝。

どの花束、一枝、一輪もそれぞれに心のこもったきれいなものであった。

お仏壇、玄関、トイレ等々、我が家にはいつも生花がある。お花好きの私としては家に帰ってきた時、トイレに入った時に目に触れるお花は知らぬ間に心をホッとさせてくれる。お花がないと何となく淋しいのである。

そんなお花好きの私に、今回、花瓶に生けなくても、お水をあげなくても、枯れることもなく、いつも私の心を和ませ、ホッとさせてくれるだけでなく、これから迎える人生の後半を、しっかりと地に足をつけ、お日様の方を見て、心元気に生きていく、心の支えとなる大きな花束を頂いた。

この本を読み終えて、自分の心の小さいこと、弱いこと、相手を責めて不満ばかり持って、何てバカだったんだろう、情けない自分だったんだろう、と反省、反省、反省……。

本当にその通り、当たり前のことばかり書いてあります。当たり前のことばかりだから何も難しいことではないはずなのに、できないことばかりです。

私がこうなるのは、夫が、子どもが、親が悪いからだと、他人ばかりを責めている間は、真の平和は訪れない。まず自分を反省し、己の姿勢を正すことが肝要。

己を変えれば、夫も子供も親も、みな変わる。家庭も明転すること、うけあいだ、と。

思い返すといつも相手を責め、自分を正当化している私であったと思う。相手にいうことを聞いてほしかったら、聞いてもらえるような自分にならなければならない。

いつも私ばかりが、がまんして、いやな思いをして、等々。「いつも私ばかりが」ということの毎日であったように思う。

善因善果
悪因悪果
自因自果

自分のまいたタネしか芽が出ない。生えてこないということを、しっかりと体に叩き込んでおきたい。

辛いとき、苦しい時、腹が立つとき、「ここだなあ」と思ってみよう。

忍耐というのは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。

親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。

勇気とは「ここだなあ」と思えば、許せないことでも許せるようになってくる。

苦しみから逃げまわって生きようとする者は、絶対に楽しみを味わうことができないのだと。

幸福になりたくない人などいないと思う。幸せになりたくて毎日を悶々としている。

健康も財宝も名誉も地位も、幸福の材料にすぎず、これらを自在にこなしきることこそ、人生の要諦であろうといわれる。

真の幸福は日常生活の善根から生じることを肝に銘じて、「ここだなあ」を思い出し、光に向かって、難の難を乗り越えて行こう!!

私の後半の人生に大きな勇気と、希望を与えてくれた絶対に枯れることのない、ステキな100の花束!!となりました。

大切な忘れ物を届けていただき、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。