私たちは日頃の会話の中で「運」や「運命」という言葉を気軽に使っています。
ですが、「運」とはそもそも何なのでしょう?
当たり前の言葉すぎて、ちゃんと考えたことのある人は少ないのかもしれません。
幸せになる方法を知る前に、まずは「運」や「運命」の意味について考えてみましょう。
※この記事では、来年1月下旬に発売予定の新刊『幸せへの一歩は運のせいにしないことから』(伊藤健太郎 著)を特別にお読みいただけます。
運のせいにしないための第一歩 「運命」の語義を知る
「運命」とは何か。
カントによれば、「運命」や「幸運」などという言葉は、通常の会話では使用が許されているものの、厳密に定義された言葉ではありません。
その意味を明確にしようとしても、答えは「経験からも理性からも何ら導き出すことができない」と、主著『純粋理性批判』で論じています。
ところが、そのカントが同じ本の冒頭に、人間の理性は「奇妙な運命をもっている」と記しているのです。
なぜ、人は「運命」という言葉を使いたくなるのか、考えてみましょう。
まず、私たちが無意識のうちに前提としている、シンプルな原理を確認します。それは、「善人は幸福に、悪人は不幸になる」という法則です。
この道理を、仏教哲学では「自業自得」とか「因果応報」といわれ、次のように表現されています。
- 善因善果……善い行いをすれば、善い結果(幸せ)が現れる
- 悪因悪果……悪い行いをすれば、悪い結果(不幸)が現れる
- 自因自果……自分の行為の結果(禍・福)は自分に現れる
一般に「自業自得」という言葉は、タバコの吸いすぎで肺ガンになった場合など、悪い結果の時にだけ使いますが、本来の意味は、「善い行いも悪い行いも、自分の行為の結果は、自分が受ける」ということです。
私たちの幸・不幸を決めるのは、自分の努力(行い)だということは、常識以前でしょう。
学生が机に向かうのは、試験に合格するには、勉強という「行為」をしなければならないからです。
仕事は苦しいことですが、我慢して働くという「行為」が、給料で好きな物を買う「幸せ」を生み出します。
反対に、万引きをすれば牢屋に入れられますし、甘い物ばかり食べる悪い習慣は、糖尿病や肥満という望ましくない結果を引き起こすでしょう。
幸せになるか、不幸になるかは、自分の行為で決まると信じているからこそ、私たちは悪い行いを慎み、善い行いに努めるのです。

ところが現実には、自分の意志や努力では、どうにもならない幸せや、災難があります。
生まれつき才能や美貌、八頭身のプロポーションに恵まれている人がいますが、そういう幸せは努力で得ることはできません。
地震や津波、集中豪雨、噴火など、人間がどれだけ対策を講じても、防げない不幸もあります。
予期せぬ災難に見舞われると、「なぜ私が」と問わずにはいられません。
そんな時は、人間を超えた力で与えられる禍福もあるように感じられるでしょう。そして思わず、「これが私の運命なのか」と肩を落とします。
ここでいう「運命」とは、「人間を超えた力(神など)によって与えられた喜びや悲しみ」のことです。
これが「運命」という言葉の第一の意味で、多くの人が思い浮かべているのも、この意味でしょう。
私たちの脳には、「こういう原因からは、こういう結果が生じる」というパターン(法則)を見抜く力があります。
原因と結果の法則(因果律)を発見して、未来を予測できるようになったおかげで、人類は大いに繁栄しました。
「まかぬタネは絶対に生えない」という因果律に基づいて考える人類にとって、原因が分からないままでいるのは、耐え難いことです。

太古から神が信じられてきた理由の一つも、そこにあります。
まだ天文学のなかった頃が、日食で太陽が欠けることは、恐怖以外の何ものでもありませんでした。
そこで「太陽が欠けたのは、神が怒っているから」という説明を作り出し、安心しようとしたのでしょう。
日食を世界の終わりと解釈し、滅亡に怯えるだけの人より、「これは神の怒りだから、必死に祈れば破局を避けられる」と信じて儀式をする人のほうが、希望を持てます。
日食については、数百年の観測結果が蓄積されたことにより、規則が見つかって予測もできるようになりました。
もはや、日食を神の仕業と考える人はいません。

かつては神が起こすと考えられた台風、雷、噴火なども、原因が解明されるにつれて、それらを鎮めようと祈る人は減りました。
しかし、たとえ台風の発生する原因が分かっても、なぜ特定の人が、ちょうど台風で土砂崩れの起きた所にいて犠牲になったのかという原因までは、分かりません。
科学は、どうやって(how)台風が発達したかは教えますが、なぜ(why)私が被害に遭ったのかは、答えてくれないのです。
どれだけ科学が進歩しようと、なぜ私が(why me?)の答えは得られませんから、どんな時代になっても「それは神が与えた運命だ」という説明はなくなりませんし、「そんな難病にかかったのは先祖の祟り」「事故に遭ったのは悪霊が憑いているから」という迷信も、減ることはないでしょう。
原因の分からない不安が、迷いの源なのです。
(本記事は『幸せへの一歩は運のせいにしないことから』より一部抜粋しました。)
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「因果の道理が分かれば、心が変わります。心が変わってこそ、現実が変わるのです」。
理不尽とも思える“人生のしくみ”をやさしく解き明かし、読者からは「運命は自分で切り開いていくものだと分かった」「ずるい人が得をする世の中で、信念を持って生きられそうです」など、多くの感動の声が寄せられています。
不運は、嘆くものではありません。理解し、乗り越えていくものです。
『幸せへの一歩は運のせいにしないことから』──。
一歩、また一歩と踏み出した人には、輝く未来が広がっているにちがいありません。
※本書は、平成27年に刊行された『運命を切り開く因果の法則』を加筆修正して、再編集いたしました。
