古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)。その実朝の歌碑が、鎌倉海浜公園の中にありました。由比ヶ浜(ゆいがはま)を見渡せる場所にある、源実朝の歌碑。台座は大船、歌碑板は帆を表し、手前の地面には波が造られています。

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しかし、どこか、寂しさが漂っているように感じるのは、なぜでしょうか。

前回に続いて、木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)

(前回までの記事はこちら)


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「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

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寂しさが漂う歌

──木村耕一さん、実朝の歌碑には、どんな歌が刻まれているのでしょうか。

世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)こぐ
あまの小舟(おぶね)の 綱手(つなで)かなしも

平和で、幸せな日常生活が、ずっと続いてほしい……。これは、すべての人に共通する願いだと思います。

──はい、ずっと幸せが続いてほしいですね。どんな心境で、実朝は、この歌を詠んだのでしょうか。

まず、実朝が鎌倉殿になるまでの経緯を振り返ってみましょう。

次は、誰の番なのか

平家を滅ぼして、鎌倉幕府を開いたのは源頼朝(みなもとのよりとも)でした。しかし頼朝は、征夷大将軍に任命されてから7年後に亡くなります。

──これからという時に……。頼朝は悔しかったと思います。

幕府の第2代将軍に就いたのが、源頼朝北条政子(ほうじょうまさこ)の長男・頼家(よりいえ)でした。

18歳の若き頼家を補佐するために、「鎌倉殿の13人」が力を合わせて政治を行う態勢が組まれました。

──それで大河ドラマのタイトルになったのですね。

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はい、そうです。主人公の北条義時(ほうじょうよしとき)も、この13人の中の1人です。

ところが実際には、有力者同士の、激しい権力争いが始まったのでした。

幕府のトップである頼家までが、将軍の座を追われ、祖父・北条時政(ほうじょうときまさ)の命令で暗殺されてしまったのです。頼家、23歳の最期でした。

──それは……、つらいです。

不穏な空気が漂う中で、暗殺された頼家の弟・実朝が、第3代将軍に擁立されます。

文芸評論家の小林秀雄は、「実朝」の中に、次のように書いています。

頼朝という巨木が倒れて後は(この時実朝は8歳であった)、幕府は、陰謀と暗殺との本部の様な観を呈する。梶原景時から始まり、阿野全成、一幡、比企能員、頼家、畠山重忠、平賀朝雅、和田義盛と、まるで順番でも待つ様に、皆死んでも死に切れぬ死様をしている。(中略)やがては、自らその主人公たるべき運命を、実朝は、幾時頃から感じ始めただろうか。(『モオツァルト・無常という事』より)

実朝が、「自分の身に、何が起きてもおかしくない」と感じていたのは明らかだと思います。

そのためでしょうか、実朝は、中国(宋)へ渡る計画を立て、巨大な船を造るように命じます。

──「鎌倉殿」という頂点に立っても、不安だったのですね。

そうですね。しかし、中国へ渡るには、膨大な費用がかかるので、将軍の補佐役・北条義時や幕府幹部は反対しました。

それでも実朝は、目的は有名な仏教寺院・阿育王寺(あいくおうじ)へ参詣するためだとして、大船の建造を急がせたのです。

5カ月後の建保(けんぽう)5年(1217)4月17日。念願の大船は完成し、由比ヶ浜で進水式が行われました。

──ついに、やりましたね。

将軍実朝が見守る中、数百人の作業員が、組み立てられた大船を、陸から海へ向かって引いていきます。

ところが、正午頃から約5時間かけ、全力で引いても、大船は海に浮かびませんでした。由比ヶ浜は遠浅だったため、船の底が、海底の砂地にくい込んで、動かなくなったのです。失敗でした。

大船は、そのまま浜に放置され、やがて朽ちていったと、歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』に記されています。

この出来事を知ってから、もう一度、由比ヶ浜に立つと、思わず、
「実朝さん、あなたは自分の命を守るために中国へ逃れ、仏教に救いを求めたかったのではないですか」
と語りかけたい心境になりました。

──当時、実朝は、本心を語れなかったと思います。

大船の進水に失敗してから2年後、将軍実朝は、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で暗殺されました。28歳の短い生涯でした。

犯人は兄・頼家の子。理由は分かりませんが、親族に殺されたのです。

──それはまた、つらいです。

実朝の歌をもう一度、見てみましょう。

世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも

(意訳)
世の中は、いつまでも変わらず、平和であってほしいなあ。
浜辺に立って、広い海を眺めるのは気持ちがいいものだ。
目の前の波打ち際には、漁夫の小舟が浮かんでいる。
よく見ると、陸にいる人が、その小舟の舳先に綱をつけて引いているではないか。なんとのどかな風景だろう。

実朝は、世の中に、あてになるものはないと、身にしみて感じていたからこそ、「いつまでも変わらない幸せ」を願っていたのです。

それは、『歎異抄』に記された親鸞聖人(しんらんしょうにん)の言葉に通じるものがあります。

(原文)
煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)・火宅無常(かたくむじょう)の世界は、万(よろず)のこと皆もって、そらごと・たわごと・真実(まこと)あることなきに、ただ念仏(ねんぶつ)のみぞ、まことにておわします。
(『歎異抄』後序)

(意訳)
いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ念仏のみがまことなのだ。

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──ありがとうございました。歴史の証言に、『歎異抄』の言葉が重く響いてきますね。

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