カフェで楽しむ源氏物語-Genji Monogatari #60

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亡き父・八の宮は苦しんでいる?大君を惑わせる阿闍梨の言葉【総角の巻】

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こんにちは。国語教師の常田です。
皆さんは夢の中で誰かが何かを語ることがあれば、どのように受け止められるでしょうか。
当時、それは事実であると理解されていました。
今回も続けて、総角(あげまき)の巻を解説します。

胸騒ぎから宇治を訪れる薫

薫が大君を見舞った翌月のことです。
冬本番を迎え、薫は宮中の仕事で多忙な日々を送っていました。
しかし、ふと胸騒ぎを覚え、仕事を差しおいて宇治を訪れることにしたのです。

山荘に到着するなり、使用人の老女・弁が、
大君様は、わずかな果物さえも口にしようとなさいません。もう快復の望みは…
と泣きながら訴えてきました。

「なぜ知らせてくれなかったんだ!」。
薫は肩を震わせ、足早に大君の元に向かい、静かに横たわる彼女の手を取りました。

「しばらくお越しくださらなかったので、もうお会いできないだろうと思っておりました」
と苦しい息の下で答える大君。

薫は涙を流しながら、彼女の熱っぽい額にそっと手を当てます。
薬湯を勧めますが、大君は一滴も口にせず、薫は途方に暮れるのでした。

阿闍梨の夢に出てきた八の宮

山荘には、大君の父・八の宮と親交の深かった、宇治山の阿闍梨(僧)も夜通し仕えていました。
その阿闍梨が、少しまどろんだ時に八の宮が夢に現れた、と涙ながらにこう語り始めたのです。

「八の宮様は熱心に仏道を求めていた方ですから、浄土に往かれたことと思っておりました。
しかし先ほど夢に出てこられた時には、たいそう苦しそうなご様子でした。
『臨終に、娘たちの行く末が気になって心が乱れ、極楽浄土に往くができず、無念だ』と言われたのです」

八の宮を法の師と仰いでいた薫は泣かずにおれません。
それにもまして大君は、自分たちのせいで父が死後も苦しみ続けていると知るや、今にも息が絶えそうな心地になりました。

阿闍梨も衝撃のあまり言わずにおれなかったのでしょうが、病身の大君の気持ちを思えば、軽率な発言だったでしょう。

ところで、この阿闍梨の言葉には、『源氏物語』時代の仏教界の常識がよく表れています。
当時は、極楽往生するには、この世の執着を断ち、臨終に心を乱さず、静かに死なねばならないと、と信じられていました。
ですから死ぬまで未来への不安を抱えて生きていたのです。

大君はますます、”苦しむ亡き父の元へ、今すぐにでも行きたい”と生きる気力を失っていきました。

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