1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銅賞

『思いやりのこころ』を読んで

田口次子さん(51歳・秋田県) 一般の部

「思いやり」この言葉に、今までの私は、人のために何かする事、してあげる事だと単純に思っていました。しかし、『思いやりのこころ』の本と出会って、その内容の深さ、広さに心が大きく変わった気がします。

この1冊の本の様々な内容が教訓となり、また頑張れそうなきっかけをつくってくれました。これからの生き方にアドバイスをもらいました。1つ1つの言葉をしっかりと心に刻み、1日1日を大切に過ごそうと思います。

まず、二宮金次郎の話ですが、初め図柄が目に留まりました。そして、文を読みながら自然と手を動かしていました。意味深い事で実際、手をかき寄せてみたり押しやってみたり、やってみると実感が出てきました。人はつい欲に目がくらみ、目先の楽な方へと進みがちですが、金次郎の利他の精神は「風呂の湯」をたとえにして、わかりやすく説明しています。根っこの藤助の話も、自らの力不足をできる事で根気強く地道な努力を続ける心がけは、すごいなと感心しました。それを見抜いてごほうびをやる金次郎もまた、さすが偉人です。

ある時私は、仕事のストレスで上司に愚痴をこぼしてしまいました。もともとの原因は、相手に頼っていた自分が期待はずれで落ち込んだ事。多分同意してくれるはず、と思っていたのに上司の考えは違いました。「私だったら初めから期待はしないよ。仕事は自分がする事が当たり前。その人が何かしてくれたら得をしたと思えばいいじゃない」と。その頃の私は仕事のノルマが計れない、見えないと焦っていたように思います。確かに与えられた仕事を自身の力で懸命にやる事のみ、です。こだわりを捨てたためか、少し楽になりました。頑張った分だけ充実できるんだから、やっぱり得をしたんでしょうね。

「みなしごサーヤ」のお話は、10歳の少女の純粋な生きる強さを感じました。「明るい笑顔、優しい微笑をたたえた笑顔で人に接する」とお釈迦様の教えを素直に受け止め、前向きに進んでいくサーヤの生き方に感銘を受けました。孤児になった寂しさを思うと中々出来ぬことなのに、と。

一昨年前、父と姉を続けて亡くした私も悲しく辛い日々を送りました。思い出を探し自分をなぐさめていた時、アルバムの中に幼少の頃の写真を見つけました。その1枚は、はにかんだ笑顔をしていて「こんな時もあったんだ、目がキラキラしている」と懐かしく嬉しくなりました。それからは、その写真をいつも眺めて「笑顔のポーズ」を忘れないようにしています。

サーヤのように強く、賢くはなれないけれど、自分から進んで笑顔で明るく、生きていく大切さを知りました。

第4章の「あんたが一番」を読んでの感想ですが、とてもありがたい話だなと実感しました。私は結婚して27年、義母との同居をしています。もちろん実母以上の長いお付き合いです。83歳になりますが、畑仕事や家事の手伝いもしてくれています。しいて言えば、少し忘れっぽくなったのが老化の兆候ですが。これまでのわが家は、決して順風満帆だったわけではないけれど、それなりに大きな波風立てずにやってこれたと自負している私です。

先日、義母が今の生活に「何も言う事が無いよ」と満足そうに言ってくれたのを、しっかり聞きとめました。その言葉を励みにしようと思います。この先の不安や心配もあるけれど、その時はその時に考えればいいのだから。今のように、家族皆が仲良く暮らしていけばいい。あとで、私も「あんたが一番」って言ってもらえたら最高のご褒美になるから。これからも、今まで以上に心を込めてお世話したいと思います。

同じく第4章の「人の心の痛みを治すのは、人の心」にて、立場は逆になりますが、看護職の私にはとても大切な事に気づかされました。果たして、私は病んでいる人の力になっているのだろうか、困っている時優しく手を差し伸べて聞いているのだろうか。今の職場に勤めてもう20年程になるけれど、高齢の方とのコミュニケーションは難しく、忙しい時はゆっくり対応できなくて反省している日々です。笑顔も忘れがちでした。看護の原点に戻って、いつも笑顔でやさしい心を持って仕事をしなくてはいけないはずなのに。

思い巡らせれば、人と人とのつながりは不思議なこと。良くも悪しくも自分次第。思いやりのこころを忘れずに、やさしい気持ちで明るく生きていこうと思います。