3月11日の東日本大震災に端を発した日本の苦悩はすさまじかった。
どこまで続くというのか、終わりのない余震と計画停電、猛暑、台風による被害と、もうここまでくると被災が他人ごととは思えず、いつ自分の身に降りかかってくるかも分からないという、底知れぬ恐怖や不安と対峙し、生きていること自体が空しく苦しく、重くのしかかってきた。家も家族も瞬時に津波に呑み込まれてしまって為すすべもなく、茫然とたたずむ人々をテレビで観るにつけ、同じ人間としてどうしても涙がとまらなかった。
なぜ、これほど生は辛いのか。人間は、なぜこれほどの試練を受けねばならないのか。この世に神はいないのか。仏はいないのか。自問自答を繰り返し、いつの間にか、終わりのない地獄の苦しみのトンネルにすっぽりとはまり込んでしまった。
人は、なぜ生きるのか。なぜ苦しんで生きねばならないのか。迷いはさらなる迷いを呼び込み、もう立ち直れないほど、とめどなく落ち込んでしまった。
そして、明日はわが身。いつ何時、不幸に見舞われるか分からない。
そんな矢先、ふと『こころの道』を手にした。何気なくだったが、ぽっかりあいた心の底には藁にもすがりたい思いがあったのかもしれない。
『こころの道』のページをめくって、真っ先に感じたことは東日本大震災の教訓をふまえ、果たして人間の豊かさってなんだろうということであった。人間の欲には際限はないし、物やお金がたくさんあるから豊かだとは限らない。『こころの道』を丁寧に読みながら、とどのつまりは、「足るを知る」という結論に達した。
例えば、やわらかい水でも硬い石に穴をあける「雨だれの説法」で、音羽の明詮という大徳になった僧の話など、どんなに辛く苦しいことでも、継続すれば大きな力となることを発見した喜びがあった。本から学んだ貴重な教訓であった。
そうだ、今回の大震災のように、どんなに苦しい試験を与えられても、それを乗り越えるためには、水になればいいのだ。水になって復興という大きな目標を持てばいいのだ。
500万人に1人といわれる難病中の難病である「副甲状腺機能低下症」を患う次男も、原因不明の不治の病気に腐ることなく、己を鼓舞し、「足るを知る」という心境にたどりついたがゆえに「なぜこんな身体に産んだ」と一言も愚痴ることなく魂をこめて今日を精一杯に真剣に生きている。
やがて全国から10代、20代の若きボランティアが率先して被災地をめざし、救援活動を始めた。現代の若者はだめだ、という世評をあざ笑うかのように。さらに何があっても絶対に復興させるのだという地元の団結力も強まった。水が流れ出したのだ。
どん底の苦しみの中に一条の光を私は、見た。
その光は、どんどん大きくなっていく。
やがては復興という、とてつもなく大きな光のかたまりとなっていくことだろう。
「なんたって元気な身体があるじゃないか」
「朝夕、ちぎれるくらい尻尾を振ってくれる犬もいる」
「帰宅が遅くなっても待っていてくれる家族だっている」
「どこが不満なの」
「これ以上、何を望むというの」
震災後、日々、とめどなく自分自身で反芻する言葉。
どんなに貧しくてもいいじゃないか。心が貧しくない限り。
そして、現在。
どんなに貧しくても食べるものがあって、家族の笑顔に囲まれ、雨露をしのげる建物がある幸せを、涙ながらにしみじみと感じている。
だから、今日生きられるということに感謝しつつ私も水になろう。
被災地のために自分でできる範囲で水になろう。
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