日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #194

  1. 人生

富山のくすり屋さん〜「お金のことは心配せずに、病気になったら薬をのんで……」

このところ、急に寒くなってきました。急激な気温の変化に、体調を崩される方も増えているようです。みなさま、ご自愛くださいませ。
ニュースでは、薬不足が続いていると伝えられていました。薬がないと不安になりますね。

幼い頃、富山のくすり箱が家にあったのを思い出します。おなかが痛くなった時は、薬を飲んでしばらくすると、不思議と痛みが治まりました。くすり売りのおじさんがくれる紙風船もうれしかったですね。

そんな「富山のくすり屋さん」のエピソードを、木村耕一さんにお聞きしました。
木村さんはご出身が富山県なのだそうです。それでは、よろしくお願いします。

「先用後利」をキャッチフレーズに

──「富山」といえば「くすり屋さん」「越中売薬(えっちゅうばいやく)」といわれるほど、有名ですね。

はい、私も子どもの頃、玄関先に訪れたくすり屋さんから、四角い紙風船をもらい、兄弟で、破れるまで突いて遊んでいました。懐かしいですね。

──それは楽しい思い出ですね。越中売薬には、どんな歴史があるのでしょうか?

はい、越中売薬には、300年以上の歴史があります。
医者が少なく、交通も不便な江戸時代から、全国の津々浦々を回り、貧富の差を問わず、各家庭に薬を配置し続けてきました。
しかも、くすり屋さんは「先用後利(せんようこうり)」という独特のキャッチフレーズを掲げています。

──「先用後利」とは?

先に使ってもらい、代金は後で頂く」という意味です。
まず、各家庭を訪問して薬のセットを預けていきます。この段階では、一切、お金はもらいません。半年か1年後に再びやってきて、使った分の代金だけ受け取る仕組みです。

──薬を使う立場としては、これほどありがたいことはないですね。

これは信頼関係助け合いの精神がなければ成り立たない商売です。

──「助け合いの精神」ですね。そんな越中売薬の始まりは?

越中売薬が始まったのは、元禄(げんろく)3年(1690)に、江戸城で起きた小さな事件がきっかけだったといわれています。

ある日、三春(みはる。福島県)の藩主が、突然、激しい腹痛に苦しみだしました。
そこに居合わせた富山藩主・前田正甫(まえだまさとし)が、病人に丸薬・反魂丹(はんごんたん)をのませると、たちまち痛みが治まったのです。
周りで見ていた諸国の大名たちは、薬の効きめに驚き、
ぜひ、自分たちの国でも販売してほしい
と頼んできました。
それから、越中売薬の行商人が、北は松前藩(まつまえはん。北海道)から南は薩摩藩(さつまはん。鹿児島県)に至るまで足を運ぶようになったのです。

──富山県からそんなに遠くまで足を運んだとは、驚きました。

明治時代になると、北海道の開拓が積極的に推し進められていきました。
本州からも多くの人が移住し、原始林を切り開く過酷な労働が続きましたが、開拓民にとって一番の不安は、やはり病気でした。

──病気になってしまったら、そんな過酷な労働はできなくなってしまいます。

富山のくすり屋さんは、そんな開拓地の隅々にまで足を運び、住民の健康維持に貢献していたのです。

──開拓地の隅々にまで、薬が届けられたのですね。

はい、『洞爺村史(とうやそんし)』には、次のように記されています。
「商売だからといってしまえば、味も素気(そっけ)もなくなるが、決して過小評価してよいわけのものではない」
「富山の売薬業者達は、開拓者に影のように寄り添って、それらのただひとつの健康の担い手として辛苦を共にしているのである」

──開拓者と辛苦を共にしているとは、どんな働きをしたのでしょうか。

はい、北日本新聞(富山県を代表する県紙)が、昭和53年に「先用後利・家庭薬配置業を見直す」と題するキャンペーンを行いました。その記事の中に、かつて北海道を回っていたくすり屋さんたちのインタビューが載っています。印象的な部分を紹介しましょう。

昭和5年、6年と、北海道は2年続けて凶作に襲われました。それは、ただでさえ貧しい農民に決定的な打撃を与えたのです。

苦しかったのは農民ばかりではありません。くすり屋さんも大きな痛手を被りました。薬の入れ替えに訪問しても、食事も満足にしていない子どもを見ては、とても代金をもらうことはできませんでした。

自分の苦しいことを隠して、
お金のことは心配せずに、病気になったら薬をのんで、子どもたちを大事に育てなさい。私は富山へ帰ったら田んぼで生活できるから……
と言いながら新しい薬を補充して回ったといわれます。

村人を少しでも励まそうと、笑顔を絶やさず、「越中おわら節」を歌いながら歩くことも多かったそうです。
中には富山から米を取り寄せて病気や飢えに苦しむ家庭に少しずつ配った人、富山の田畑を売ってまでくすり屋を続けた人もあったといわれています。

昭和7年は、大豊作に恵まれました。
それまで滞っていた薬代が、一度に集まるようになってきました。
宿まで、わざわざお礼を言ってお金を届けに来てくれる人もありました。また、「他の支払いは後にして、くすり屋さんを一番先にしなければ」と言って待っていてくれた家も多かったといいます。

お客さんとは家族同然のつきあい」といわれる強い信頼関係の裏には、このような損得を抜きにした行為があったのです。
名もなき富山のくすり屋さんによって、肉体だけでなく、心が救われた人が、どれだけあったか分かりません。

(『新装版 思いやりのこころ』木村耕一編著より)

──木村耕一さん、ありがとうございました。江戸時代から昭和にかけては、激動の時代だったと思いますが、くすり屋さんのような「助け合い」の心で、日本人は乗り越えてきたのだなと感じました。損得を抜きにした温かい信頼関係は、人生の宝物だなと思いました。

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今回ご紹介した『新装版 思いやりのこころ』の詳細は、こちらからどうぞ。