日本人なら知っておきたい 意訳で楽しむ古典シリーズ #159

  1. 人生

【百人一首】鴨長明も憧れた!? 人に言われてモヤモヤした気分を吹き飛ばす歌

大晦日(おおみそか)の夜には、除夜の鐘がつかれます。
その数、108回。
「煩悩(ぼんのう)」の数からきているのだそうです。

そういえば今年もいろいろと「煩わされ」「悩まされて」きました……。
中でも「あの人にあんなこと言われた」というような、人間関係の悩みが多いように思います。

『百人一首』の中から、人に言われてモヤモヤした気分を吹き飛ばす歌をご紹介しましょう。
木村耕一さん、よろしくお願いします。

人は人、自分は自分

わが庵(いお)は 都のたつみ しかぞすむ
世をうじ山と 人はいうなり
喜撰法師(きせんほうし)

【意訳】
私の庵(いおり)は、都の東南の宇治山(うじやま)にあり、このように、心安らかに暮らしています。
それなのに、都の人々は、「あいつは、つらいことが続いて、この世が嫌になったので、山奥へ逃げていったのだ」と笑っているようですね。

──喜撰法師とは、どんな人だったのでしょうか。

『古今和歌集』の序文には「六歌仙」の一人として名が挙がっています。平安時代の前期を代表する歌人の一人だったのです。

──それは、たいへんな有名人ですね。

はい。周囲から注目される歌人でありながら、ある日、突然、都を去って、宇治山(現在の京都府宇治市)で暮らし始めたのでした。

──何があったのでしょうか?

はい、当時の人々も驚き、動機を推測します。

「喜撰法師は、何も告げずに宇治山へ行ってしまった。しかし、住み始めた地名『宇治』に、その理由が暗示されているぞ。『宇治』と『憂し(うし)』をかけて、憂い、悩み、苦しみが多いこの世が嫌になったと言いたいのだろう」

こんなうわさが飛び交ったのでしょう。

──それで、この歌を詠んだのですね。

喜撰は、
「人は人、自分は自分だ。好き勝手に、何とでも言って笑うがいいさ。私は宇治山で、こんなに自由に、心安らかに暮らしているのだから」
と言い切っているのです。

今も昔も、周りの人の目を気にしたり、無責任な批判を浴びせられたりして苦しんでいる人が多いのではないでしょうか。

だからこそ、自分の信じる道を貫く喜撰法師の生き方にあこがれる人が増え、この歌の人気が高まっていったに違いありません。

──はい、この歌の意味を知ると、自分は自分でいいんだって思えますね。

後に現れた歌人・鴨長明も、
「御室戸の奥に、二十余丁ばかり山中へ入りて、宇治山の喜撰が棲(す)みける跡あり。家は無けれど、堂の礎など定かにあり」
と書き残しています。喜撰法師が住んでいた庵の跡を訪れる人が多かったのでしょう。

──長明さんは親族間の人間関係に悩んでいたので、喜撰法師に親しみを覚えたのかもしれませんね。

この歌が有名になったことで、「宇治山」は「喜撰山」と呼ばれるようになり、今日に至っています。

(『月刊なぜ生きる』令和4年6月号「古典を楽しむ」 意訳・解説 木村耕一 イラスト・黒澤葵より)

──木村耕一さん、ありがとうございました。
いろいろ勝手なうわさをしていた人々は今は跡形もなく、喜撰法師の歌は今もよみ継がれているという事実に、励まされる思いがします。やっぱり古典はいいですね。