古典の名著『歎異抄』の理解を深める旅へ

今回の『歎異抄』の理解を深める旅は、「信長、秀吉と『歎異抄』3」です。
織田信長が愛唱した歌「人間五十年……」の意味に迫りたいと思います。
木村耕一さん、よろしくお願いします。

(古典 編集チーム)
(前回までの記事はこちら)


歎異抄の旅㉖[東海編]信長、秀吉と『歎異抄』3の画像1

「意訳で楽しむ古典シリーズ」の著者・木村耕一が、『歎異抄』の理解を深める旅をします

(『月刊なぜ生きる』に好評連載中!)

信長の得意な歌

──織田信長は、10倍近い兵力を持つ今川軍が攻めかかってきた時、どんな様子だったのでしょうか?

はい。今川が攻めかかってきた知らせを受け、決戦を覚悟した信長の姿を、司馬遼太郎(しばりょうたろう)は『国盗り物語(くにとりものがたり)』に次のように描いています。

「具足を出せえっ、馬に鞍(くら)を置かせよ、湯漬けを持て」
と叫びながら駈(か)け、表座敷にとびこんだ。
「小鼓を打て」
と、信長は命じ、座敷の中央にするすると進み出るや、東向きになり、ハラリと銀扇をひらいた。
例の得意の謡と舞がはじまったのである。たれにみせるためでもない。すでに死を決したこの若者が、いま死にむかって突撃しようとする自分の全身の躍動を、こういうかたちで表現したかったのであろう。
信長は、かつ謡い、かつ舞った。

人間五十年、化転のうちに較ぶれば、夢まぼろしのごとくなり、一度生を稟(う)け、滅せぬもののあるべしや。(※)

三たび舞い、それを舞いおさめると、小姓たちが六具をとって信長の体にとびつき、甲冑(かっちゅう)を着せはじめた。やがて着けおわった。

※『国盗り物語』に出てくる「人間……」の表記は、あとに出てくる幸若舞の原文と異なる部分があります

──すごい。スピード感と迫力が伝わってきます。

敦盛を討った熊谷直実「人間五十年……」に込めた心

信長が愛唱していた
「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」
は、幸若舞(こうわかまい)「敦盛(あつもり)」の一節です。

──え? 信長の歌ではなかったのですね。

はい、そうです。

──敦盛って、聞いたことがある名前ですが……。

敦盛といえば、一谷(いちのたに)の合戦で、源氏の武将・熊谷直実(くまがいなおざね)に討ち取られた平家の若武者です。
敦盛は、当時、17歳でした。

──セブンティーン。まだまだこれからという時に、悲しいです。

それまで直実は、戦場で多くの人を殺してきました。しかし、わが子と同じ年頃の敦盛を討ったことをきっかけに、
「あんな若者でも死んでいくのに、よくぞ俺は、今日まで命があったものだ」
と、無常を強く感じたのです。

──武将は、討ち取ることを名誉としていますので、よくよくのことですね。

「敦盛」の中で、熊谷直実は、次のように語っています。原文を意訳しながら読んでみましょう。

「思えば此(こ)の世は常の住みかにあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなおあやし」

 よく考えてみると、いつまでも、この世に生きておれるはずがない。
 明け方、草の上で白く輝いている露は、太陽が昇ればすぐに蒸発してしまう。
 池の水に映る美しい月も、いつ、雲にかき消されるか分からない。
 人間の命は、それらより、もっと当てにならないといっていい。死は、突然、襲ってくるのだ……。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度(ひとたび)生を受け滅せぬ者の有るべきか」

 人間界の五十年は、下天といわれる天上界(てんじょうかい)の一日にしか当たらないという。比べてみると、人間の一生なんて、ほんの一瞬でしかない。仮に五十年生きたとしても、振り返れば、夢か幻にしか思えないだろう。すべての人は、必ず死ぬ。死ぬまでに、何をするかが問題なのだ。

「是を菩提(ぼだい)の種と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思い定め、急ぎ都へ上りつつ、(中略)東山黒谷(ひがしやまくろだに)に住み給(たま)う法然上人(ほうねんしょうにん)を師匠に頼み奉り、元結切って西へ投げ、其(そ)の名を引きかえ蓮性坊(れんしょうぼう)※と申す」

「一瞬の人生、この尊い命を、金や名誉を求めるために消費したくはない。未来永遠の幸せになる教え、仏教を聞き求めるために使いたい。仏教を聞かずに死んでしまっては、悔やんでも悔やみきれないではないか」熊谷直実は、このように心が定まり、急いで都へ上ったのです。そして、鎧(よろい)を脱ぎ、髪を切って、法然上人のお弟子となったのでした。

※熊谷直実が法然上人のお弟子になったあとの名は、「蓮生房」「法力房蓮生」「蓮性坊」などの呼び方があります

──「人間五十年」の歌には、そんな意味があったのですね。

テレビドラマで、信長が「敦盛」を舞うシーンでは、
「どうせ人生は、あっという間だ。くよくよせずに思いっきり戦おう」
と決断したかのように描かれることが多いと思います。
しかし、それは、本来の意味とは、全く違うことが分かります。

歎異抄の旅㉖[東海編]信長、秀吉と『歎異抄』3の画像2


木村耕一さん、ありがとうございました。仏教というと、葬式、法事のイメージでしたが、「教えを聞く」のが仏教なのですね。驚きました。
次回もお楽しみに。

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