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天王山の意味や由来を解説!語源となった山崎の戦いについて紹介します

天王山の意味

スポーツや仕事の中でうまくいくかどうかの勝負の時に、「天王山」と言うことがあります。

天王山の意味は以下のとおりです。

勝敗や運命の重大な分かれ目

出典:goo辞書

天王山とは、京都南部に実際ある山のことですが、天王山が「重大な勝負の分かれ目」に使われるようになった理由・語源を説明しますね。

天王山の語源・由来

かつて京都の天王山を舞台に、歴史の転換点となる大きな戦いがありました。

山崎の戦い

羽柴秀吉と明智光秀の戦いです。天下統一を目前にして、織田信長は明智光秀の裏切りにあい、京都・本能寺の変で命を落とします。

それを知った秀吉は、交戦中の毛利氏と和睦を結び、信長の敵討ちを掲げ、全軍を京都へと向かわせます。

進軍する秀吉と、京都の山崎という場所で迎え打つ光秀との戦いが「山崎の戦い」です。

勝った方が信長の後継者となるこの戦い。勝敗を分けたのが、近くにあった「天王山」。戦いは、上から下に攻撃するほうが有利で、防御にも効果絶大です。

秀吉か光秀か、先に天王山を占拠した方が圧倒的有利になるという緊迫した状況で、占拠したのは秀吉軍でした。秀吉本体はまだ京都に到着していない中、秀吉の部下・黒田官兵衛らがいち早く天王山を占拠します。

光秀は天王山を奪おうと攻撃しますが、固く守って出てこない官兵衛らを攻めあぐね、そうこうしているうちに秀吉本体がついに到着。

状況は一気に秀吉有利になり、光秀軍を破ります。こうして山崎の戦いに勝利した秀吉は、天下人への道を駆け上っていくのです。

一方、光秀は落ち延びる途中、落ち武者狩りの手によって命を落とします。

「天王山さえとれていれば…」光秀は無念の涙を飲んだことでしょう。

ここから勝敗や運命の重大な分かれ目のことを「天王山」と呼ぶようになったのです。

天王山の使い方

一例をあげればスポーツ。

野球のペナントレースも終盤にさしかかり、首位を争う2チームが直接対決となった時「さあ、ついにやってきました!巨人・阪神との天王山の三連戦!」などと言ったりします。

また将棋の世界では、「5五の位は天王山」と言われます。「5五の位」とは、将棋の盤面の中央のこと。ここを確保したなら、戦局で優位に立てると言われており、勝敗を分けるカギとなっているです。

受験においては、「夏は受験の天王山だぞ!」とはっぱをかけられた読者も方もあるでしょう。

時間がある夏休みでどれだけ勉強が進むで合否が決まる分かれ道のことですね。夏休みを過ぎたら、受験には間に合わなくなるかもしれません…受験生の皆さん、ファイトです!

ビジネスで言うなら「今日の商談が今年の天王山なんだ。必ず部長さんの了承をとりつけるんだ、いいな!」などでしょう。

商談で契約をとれるかどうかで、今季の売上が大きく変わる要のことです。

まとめ

天王山の意味は「勝敗や運命の重大な分かれ目」のこと。

言い換えるなら「ここ一番の大勝負」「天下分け目の戦い」「大一番」などです。

かつてこの山を舞台に繰り広げられた秀吉と光秀の戦いが由来になっています。

戦いは、攻めるにも守るにも高いところに陣取ったほうが有利。戦いの舞台となった京都・山崎の近くにあった天王山を占拠した方がこの戦いを制す!

光秀には、秀吉以上にこの山を占拠しなければならない理由がありました。

信長を倒した後、娘婿の細川忠興ら味方してくれるだろうと思っていた武将たちが、光秀に未来なしと思ったのか味方してくれず、兵数で秀吉に劣っていたのです。

天王山を占拠できれば、兵数差を補って戦いを五分にもっていけるはず、と考えた光秀軍でしたが、重大局面で天王山をとりそこね、劣勢を挽回できず敗れてしまいます。

もし光秀が天王山を占拠していたら…。天下を統一したのは秀吉ではなく光秀だったかもしれません。

現代における使い方は「巨人・阪神との天王山の三連戦!」「夏は受験の天王山」などですね。

皆さんの人生の中にも、幾度も天王山が現れることでしょう。

秀吉になるか、はたまた光秀になるか。この語源を知ると、「ここが踏ん張り時だ!」と乗り越えるファイトが湧いてくるのではないでしょうか。

(参考文献:『明智光秀・秀満』小和田哲男『本能寺の変と明智光秀』小和田泰経)

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