1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

銅賞

『なぜ生きる』を読んで

大城聖三さん(73歳・奈良県) 一般の部

平成13年9月10日、今からちょうど6年前に近くの書店で、50~80冊位積まれてある本、何だろう!と眺めていると私の後の人達が私を追い越して、次から次へと買っていく姿に、しばらく見とれていた。

ふと我に返って書籍をみると、『なぜ生きる』。ほどよい厚みのある400ページ弱の本であった。あれほど高く積まれた本は、私が手にとった1冊しか残っていなかった。これは大変なことが綴ってある貴重な本だなあ!と何かインスピレーションが働いたのである。さっそく買い求め、一晩のうちに流し読みをしたのである。それから数ヶ月経って、また読んでいる自分があった。

私は貧しい家庭に育った、6人兄弟の長男としてこの世に生をうけた人間です。戦前、戦後……とそれこそ「命」の危険にたえずさらされて生きた1人です。今現在生きていることが不思議な位です。

振り返ると戦時中での小学校時代の集団疎開、勤労奉仕、学校には行けず、寺での小学生生活、貧困生活そのものであった。しかし、心の中では寺院にあるご本尊、阿弥陀如来へのお勤行は、1日たりとも欠かしたことはありません。何か心静まる日々を過ごさせて頂きました。

その後大阪での大空襲、家屋消失、近所隣の人の焼死、行方不明と、この世の修羅場をくぐり抜けてきた感があります。そして戦後の食糧難時代、ペンペン草も生えない荒地、石ごろごろのやせた土地を開墾した家族一族で、飢えを忍んできたことは、今から考えるとゾッとします。

やがて中、高、大学の学生生活は日々アルバイト、日銭かせぎの毎日の生活、大人数の家族の為、ただひたすらに稼ぐのであった。

ようやく大学卒業、就職して一人前の給料を貰う様になったのですが、下に兄弟多く、長男として責任を感じ、親がわり、と常に頭から「頑張る」と「忍耐」にあけくれた日々だったと思います。人一倍働くことが趣味の様にも思えました。

このような30年を経て、今は家庭を持って、やがて子供も嫁に出し、孫も出来て「フト」我に返った時、ひとしおの不安を考えるようになりました。

その時に、『なぜ生きる』、この1冊の本に出会ったのです。

今迄の過去は、目先にある現象界にとらわれ、物、金に走り、自分が、自分で生きているのだ……と思い上がっていたのです。大切な心を忘れていたことを、この本から汲みとったのでした。自分で生きているのでなく、生かされているのであること、森羅万象、自然界にあるすべての寄与によって我々、いや私も生かされていることに気付かされたのです。

人は夫々考えること、その環境によって変わるのだなあ!と今の年令になって感じたのです。

幸福の歓喜、達成する為の目標をしっかりと地に据えて見つけることが出来ました。

『なぜ生きる』この中に、親鸞聖人の言葉である絶対の幸福、人生の目的、早く大船に乗って無明の闇を摧破すること……深信、他力の信心こそが、今苦しくても、生きなければならない理由とはっきりした次第です。

このことが理解出来る迄、百読百解し、幾度となく拝読させていただき、本も付箋とアンダーラインで一杯である。この本に出会った事で、大変人生が変わり、もっと早く若い時代に会えなかったことが残念でたまりません。

聖人の ことばひもとき 我れ感ず