1万年堂出版が開催した
読者感想文コンクールの
入賞作品の一部をご紹介します。

金賞

『こころ彩る徒然草』を読んで

成本孝宏さん (34歳・埼玉県) 一般の部

あまりにも有名な冒頭で知られる兼好法師の『徒然草』は、発表から七百年近い歳月が流れてもなお一読の価値を保つ名著であるのは間違いない。出版されてきた現代語訳版の数は枚挙に暇がない事実こそが証拠であり、類書と一線を画する著書として注目したいのが『こころ彩る徒然草』(1万年堂出版)だ。

本著の特徴は、序段を含めて二百四十四段から成る『徒然草』の本文より現代人にとっても有益なエッセンス六十六項を抽出した上で、サブタイトル「兼好さんと、お茶をいっぷく」に則り、兼好法師が読者へ語りかけるような文体で綴られていることだろう。
恥を忍んで告白すると、私にはまだ『徒然草』を通読した経験がない。作品の長さから途中で挫折してしまうのではという危惧と、歴史的な古典への気後れを払拭できないでいたからである。ところが、今回は本著によってそのような先入観が覆されたお蔭で、『徒然草』の世界観の一端を満喫できた次第だ。

書籍の趣旨通り、どの項にも金言が込められていた。その中でも、特に印象的だったのは第三十四項「『後で、時間を取って、しっかりやろう』これは、今を怠けている姿です」と第四十八項「そんな考えだから、何一つ身につかないのです」の二つだった。

前者では、二本の矢を持って的に向かった弓の初心者に、師匠が矢を一本のみにするよう命じたエピソードが紹介される。二本の矢を用意する行為の裏には、「失敗しても、もう一本ある」と思う油断が潜んでいるという。そして、この戒めは万事に通じる心構えだと述べ、「後で」という心を捨てて、すぐさま実行することの難しさを結論で強調している。

そして後者では、上達の秘訣として、未熟なうちから上手な人と混じって一心に稽古に打ち込む姿勢が挙げられる。他者の酷評を意に介さず、その道の規則を厳守して黙々と努力を積み重ねていく心掛けこそが、いずれの道においても大切なのだと結ばれている。

本来ならばすぐにでも着手すべき事柄に対して、十分な時間を確保できるようになるのを待ってから取り組もうとする考えは、一見すると真剣な態度のようだ。しかし、そもそも先延ばしにするという決断そのものが、怠惰な姿勢の裏返しに他ならないのである。

また、個人差はあるにせよ、誰でも周囲の評価は気になるものだ。とりわけネガティブな評判につい敏感になってしまうのは、自然な人情だろう。しかし、他者の目にがんじがらめになるのは無意味と言うほかない。

私が取り上げた二項の共通点は、有限である時間を最大限に活用する精神であろう。それは、『徒然草』全編に色濃く反映されている仏教の無常観の影響と思われる。全ての生物には寿命があり、人間とて例外ではない。それなのに、無為な日常を過ごした挙句、取り返しがつかない頃になって漸くその事実を痛感するに至り、途方に暮れながら生涯を終える人々の何と多いことか。
閉口した兼好法師が、『徒然草』によって時間の重要性を広く訴えようと決意したことは想像に難くない。

さて、ここで現代に目を転じてみよう。家電の開発や交通・通信手段の発展などを受けて、『徒然草』の発表当時とは比較にならないほど便利な世の中となった。更に、食糧事情が改善されたり、医療が長足の進歩を遂げたりした結果、人間の平均寿命は著しく伸びた。要するに、与えられている時間の実質的な長さという観点からすると、現代人は鎌倉末期の人々よりも遥かに恵まれている訳だ。

それでは、現代人の暮らしぶりはどのようなものだろう。科学技術の発達は雑事に費やす時間を削減したものの、娯楽の過度な充実という弊害も同時に生み出すことにつながった。時間の過ごし方における選択肢が増え過ぎたことで、脇道へ逸れてしまいがちになっているのではなかろうか。今やるべきことに全力投球することが極めて難しい時代を迎えている気がしてならない。

また、SNSの浸透は、人間関係のあり方を一変させた。画面越しでの交流の規模が爆発的に拡大したがゆえに、相手の心情を省みない無遠慮な意見の応酬が随所で頻繁に展開されている有様だ。そのため、他人の見えざる視線に支配され、自分の進むべき道を見失ってしまっている人々が多すぎるように思えてならない。

もしも兼好法師が現代人の生活を眺めたとしたら……。自身が生きた時代以上に、人々は時間を浪費しているという失望を禁じ得ないことだろう。だが、現状は必ずしも悲観すべきものではないと個人的には考える。

科学のカの字もなかった『徒然草』の時代より格段に利便性が向上した現在、我々には心掛け次第で豊富な時間を有意義に使って非常に充実した人生を送れる好機が与えられているのだ。
『徒然草』から兼好法師の時間を大切にすべきというメッセージを読み取り、己のライフスタイルを見直す必要性は、時代の流れとともに高まっていくのではなかろうか。