連日のクマ被害のニュースを見るたび、胸が締めつけられるのと同時に、「人はいつ、どんな形で命の終わりを迎えるか分からない」という、厳しい現実を突きつけられます。
死への不安は、誰もが避けては通れない人生最大の問題です。
だからこそ、「私たちはなぜ生きるのか」、「同じ毎日の繰り返しに、どんな意味があるのだろう」と、心に問いが生まれます。
今回は、新刊『苦しくともなぜ生きる』から、生きる意味を見つめるための一節をご紹介いたします。
何のために働き、生きるのか?
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私は時々、自分はなぜこんなに苦しみながら生きてゆかなければならないのか、何のために働いているのだろうかと考えます。人生の目的は何だと親鸞聖人は教えられているのでしょうか。
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死は確実に近づいている――逃れられない真実とどう向き合うか
自分は何のために生きているのか。こんな苦しみに耐えながら、なぜ働かなければならないのか。
真面目に生きている人ならば、必ずあなたのような疑問が起きてくるはずです。
もし何のために働いているのかと質問すれば、ほとんどの人は食わんがためだと答えるでしょう。
では、何のために食うのかと反問すれば、食わにゃ死んでしまうじゃないかと答えましょう。
それでは、食ってさえいれば、いつまでも生きていられるのかと聞けば、誰しも返答に窮してしまうでしょう。
人間は、生きるために食べ、食べるために忙しそうに働いているのですが、一日、生きたということは、一日、死に近づいたということです。これが否定できない厳粛な真実です。

人生の目的はどこにあるのか
この時に仏縁深き人は、「これは、ウカウカしてはおれないぞ。このままでは、死ぬために生きていることになるではないか。人生の目的を突き止めるまでは、死んでも死に切れない」と、真剣に仏法を聞くようになるのです。
人生究極の目的は、仏法にしか説き明かされていないからです。
編集部コメント
ニュースでは、突然の事故や災害の話題が絶えません。
いつ命の終わりが訪れるか分からない現実の中で、私たちは今日も働き、食べ、暮らし続けています。
しかし、「なぜ生きているのか」「どこへ向かって生きればいいのか」と立ち止まる大切な時間は、つい後回しにしてしまいがちです。
本書にある、「人生の目的を突き止めるまでは、死んでも死に切れない」という一文は、その忘れていた問いを静かに呼び戻してくれます。
この記事でご紹介したのは、ほんの一部にすぎません。
『苦しくともなぜ生きる』には、生きる意味をもう一度見つめ直すための言葉が、やさしく、そして力強く説かれています。
生きることに迷いを感じたとき、ぜひ本書を開いてみてください。
『苦しくともなぜ生きる』の感想をご紹介
脳腫瘍が分かった時や、自分に存在価値が無いのかもと思った時等、何度か死んでしまおうかと考えたこともありました。
でも『苦しくともなぜ生きる』を読んで、命の有り難さを教わりました。
産んでくれた母や姉、兄、そして我が子や孫に感謝し、夫とも後悔なく過ごしていきたいなと思うようになりました。
病に振り回されず、頑張って幸せに生きていこうと思います。
あるいは妻が独り暮らしになることも。
昨今どこにでもある状況で、諸行無常を肌で感じている。
『苦しくともなぜ生きる』には、そんな気持ちをフッと楽にしてくれる言葉がちりばめられていて、繰り返し読みたいと思っている。
亡くなった父が、親鸞聖人について本を読んだり、寺めぐりをしていたので、どんな思いでいたのかを、少々感じたくて手にとりました。
父の生きた目的が少し見えたように感じました。
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