秀吉は、なぜ好かれたのか うれしいことがあれば、喜びを率直に表す

 いくら心で思っていても、その気持ちを、言葉や態度に表す努力をしなければ、なかなか、相手に伝わるものではない。
 その点、秀吉はうまかった。オーバーなくらいに表現している。

 信長の命で播磨から但馬一円(現在の兵庫県)を平定し、安土城へ戦勝報告に来た時のことである。
 あいにく信長は三河へ出掛けて留守だったが、格別な褒美が用意されていた。信長秘蔵の茶釜であり、「乙御前ノ釜」という名器である。
 留守番から、この茶釜を受け取った時、秀吉は、どれほど喜んだか……。

 司馬遼太郎は『新史太閤記』の中に、次のように描いている。


 藤吉郎(秀吉)は膝をすすめて拝見し、
「やあ、わしにこの乙御前を」と、うれしげにさけんだ。
 やがてするりと立ちあがり、乙御前を小脇に抱き——ずいぶんと重かったが——右手をたかだかとあげてひとさし舞を舞った。
 諸事、物よろこびのはげしい男である。というより、ひとから好意をうけたとき、思いきってよろこぶのがこの小男の流儀であった。
「やれ、羽柴殿のおかしさよ」と、安土城の留守番たちはこの無邪気なよろこびように好意をもった。


 こんな様子を留守番から報告を受けたら、信長は、膝を打ち、手をたたいて喜ぶに違いない。
「また、何かしてやろう」という気持ちが自然とわいてくる。
 普段から秀吉は、うれしいことがあったら率直に表現するようにしていた。
 それが、周囲の人々からかわいがられ、信用される基となり、戦国乱世を生き抜く大きな力となっていったのだ。

 見え透いたお世辞は逆効果だが、「ありがとう」と心から言われて怒る人はいないだろう。
 何かをプレゼントした時、相手が、本当にうれしそうにしてくれると、こちらの心も幸せになる。
 朝夕の食事でも、当たり前のように黙って食べるよりも、作ってくれた人に「おいしいね」「ありがとう」と言うと、どれだけ喜ばれるか分からない。

 感謝の心を、少しでも多く、言葉や態度に表す努力をすることは、人間関係を保つうえでも大切なことである。


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*豊臣秀吉(一五三七‐一五九八)…戦国大名。尾張国(現在の愛知県)の生まれ。
*織田信長(一五三四‐一五八二)…戦国大名。尾張国の生まれ。
*安土城…現在の滋賀県近江八幡市にあった城。信長の最後の居城。
*三河…現在の愛知県東部。
*藤吉郎…秀吉のこと。
*羽柴殿…同じく秀吉のこと。

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