大の親不孝者にほうびを与えた水戸黄門 善悪への心得

 旅をしていた、謹厳な武士。
 遅れた連れの家来を待っていると、息せききってやってきた。
「なにをしていたのか」
「草履の緒が切れたので、すげていました」
「藁は、だれにもらったのか」
「道ばたの稲架から、抜きとりました」
「持ち主に、断ってのことか」
「いいえ、ワラの一本や二本とっても、文句を言う者はいません。だれでもやっていることですから」
「ばか者、そんな根性は許されん。だれが許してもおれが許さぬ。すぐに、持ち主に許しを求めてこい」
 厳しく言いつけ、あいさつにいかせたという。
 〝だれでもすること〟〝小さいことだから〟が、悪魔の常の言いぐさであることを、武士はよく心得ていたのだろう。

 有名な水戸黄門光圀が、領内を巡視中のことである。
 かねて、親孝行者に、ばくだいなごほうびをくださるという、老公のうわさをきいていた大の親不孝者。
 ほうびをせしめるチャンスとばかり、平素、虐待し続けていた母親を背負って、さも孝行者らしく、老公の行列を拝していた。
 ふと光圀公が、それをご覧になって、側近に命じた。
「あの者に、ほうびをとらせよ」

「なんと仰せられます。彼奴は人も知る、大の不孝者でございます。今日、あのように母親を背負って行列を拝しているのは、殿の御目をあざむき、ほうびほしさのためでございます」
 世間周知の事実を申し上げても、ウンウンとうなずきながら老公は、こう諭したという。

「ウソでも、偽りでもよいではないか。形だけでもよい。
 そして今日一日だけでもよろしい。
 一度でもああして、親を背負ってやることが大切なのだ。うんとほうびを与えよ」

 朱に交われば、赤くなる。善人とつきあえば、おのずと善心がよみがえってくるものだ。
 善いことは、まねでもせよ。

(『新装版 光に向かって100の花束』p.199-201 著:高森顕徹)

『新装版 光に向かって100の花束』書籍紹介

『光に向かって100の花束』は、今日まで多くの人に愛読され、66万部突破のロングセラーとなっています。
古今東西の、失敗談、成功談などから、元気がわくエピソードを集めた100のショートストーリー集。
1話3分で読める気軽さで、面白いだけでなく、人間関係、仕事の悩み、子供の教育、夫婦仲など、人生を明るくするヒントにあふれています。

『なぜ生きる』書籍紹介

子供から大人まで、多くの人に勇気と元気を与えている書籍です。
発刊から20年たった今でも多くの方に読まれています。
忙しい日々のなか、ちょっと立ち止まって、「なぜ生きる」、考えてみませんか?
『なぜ生きる』のお求めは、お近くの書店や、弊社まで(TEL: 03-3518-2126)
お問い合わせください。