死を正視して苦悩の根元を知り、断ち切り、人生の目的が鮮明になる

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」(『平家物語』)

「諸行」は〝すべてのもの〟、「無常」は〝常が無くつづかないこと〟です。
健康だ、財産がある、名声が高い、家が豪勢だ、という現実は、絶えず変転します。
大きく変化するか、少しずつ変わるかだけの違いで、つぎの瞬間から崩壊につながっているのです。

中でもショックなのは、自分の死でしょう。
東大で哲学を教えていた廣松渉氏は、定年退官した直後、ガンに倒れました。
哲学、科学、心理学、経済学、社会学、歴史、あらゆる分野に精通した、日本哲学界の第一人者でした。
ライフワークだった『存在と意味』全三巻のうち、出版にこぎつけたのは二巻前半まで。
最後の著作には、「望むらくは寧日よあれ!」の痛恨の辞があります。

まだ死ねない! しかし死は、私たちの都合など、おかまいなしです。

同じく、ガンを宣告された岸本英夫氏(東大・宗教学教授)は、死はまさに、突然襲ってくる暴力だと闘病記に残しています。

死は、突然にしかやって来ないといってもよい。
いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。
生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。

(中略)

死は、来るべからざる時でも、やってくる。
来るべからざる場所にも、平気でやってくる。
ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。
それでは、あまりムチャである。
しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。
人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である。(岸本英夫『死を見つめる心』)

営々と築きあげたどんな成果も、人生の幕切れでグシャリとにぎりつぶされる。
長く大きくしようと努めてきたシャボン玉と同じです。

「人間は無益な受難である」と、サルトルは主著『存在と無』の末尾に言っています。
最後、壊れるものばかりを求めるほど、悲惨な一生はないでしょう。
それなのに、なぜ人々は、あくせく生きるのでしょうか。

 (『なぜ生きる』p.93-95 著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)

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