「来てみれば さほどでもなし 富士の山」 目標とはそんなもの

プラトンは『饗宴』で、永遠の幸福は万人に共通した目的と論じています。

しかし、永遠の幸福が「万人共通の人生の目的」といえば、「人生の目的は人それぞれだ」と、反論する人もいるでしょう。
「ひとりひとり違うから、各人が光っている」と、個性や多様性を重んじるのが現今の風潮だからです。

「人生の目的は人それぞれ」と言う人が思い浮かべている目的とは、大学合格、英会話をマスターする、スポーツ大会優勝、恋人を得る、安定した職に就く、マイホーム、大金持ちになる、ノーベル賞……などではないでしょうか。

しかしそれらは、“とりあえず今はこれを目指す”という、人生の通過駅であり、「目標」と呼ばれるものであって、「人生の目的」といわるべきものではありません。

「まずは受験突破」「つぎは就職」「そろそろ家を」と、変化する「生きる目標」と、「生まれてきたのは、これ一つ」という「人生の目的」との“違い”を、本章でも確認したいと思います。

「来てみれば さほどでもなし 富士の山」と詠まれるように、遠方から眺めれば秀麗な山も、登ってみると空き缶や散乱するゴミで、失望させられます。

私たちの描く「目標」も、遠くにあるときは素晴らしく見えますが、「やった!」とたどり着いた瞬間、何かが心に忍びよります。

ようやくかなった夢なのに、「得られたものはこれだけか」、ガッカリした体験はないでしょうか。
皮肉なことに、苦労を重ね、大きな目標を達成したときほど、
「私は何をやっていたのだろう」
「こんなことに苦しんでいたのか。もっと何かがあるのでは……」

 拍子抜けしたような、奈落の感覚に一転しやすいのです。

「人間は、努力するかぎり迷うものだ」という、ゲーテ『ファウスト』の言葉にうなずく実例に事欠きません。
(『なぜ生きる』p.85-87 著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)

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