絵を楽しんで描いていたピカソは、筆を置くと不機嫌になった

どんなときが一番楽しいか」と聞かれたら、趣味に熱中しているときをあげる人が多いでしょう。
 たとえば水泳で記録に挑戦する、チェス大会で相手の動きを読む、足を踏みはずさぬよう気をつけてロッククライミング、などです。

 こういった状況では神経が一点に集中し、この危機をどう乗り切るか、どうやって勝つか、〝目の前のこと〟しか考えていません。

「あんなひどいことを言われた」「上司から叱られた」「嫌いな人と今日も会わねばならない」などの、もやもやした感情に煩わされないのです。
 あれこれ考えず流されるのが、最高の幸せと感じる人が多いから、「無知は至福なり」の諺まであるのでしょう。

 趣味や生きがいの喜びは、欲望を満たす快感と同質で一時的なものですから、楽しいひとときが終わってしまえば、嫌な宿題、やり残した仕事、たまった家事と、つまらない現実に逆戻りです。

 有名なテニス選手が、コートの外では気難しく、つきあいにくいといわれたことも、絵を楽しんで描いていたピカソが、筆を置いたとたんに不機嫌になったといわれるのも、そのためでしょう。

 ラッセルが『幸福論』で「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、根本的な幸福の源ではなくて、現実からの逃避になっている」と言っているように、「趣味に熱中する楽しみ」とは、苦痛を一時的に忘れる時間つぶしといえるかもしれません。

 飲んだ酒に酔っ払っている間だけ、借金を忘れて気持ちよくなっているのと、似たようなものでしょう。
 それでも、「生きる意味なんか考えたって、暗くなるだけ。好きなことに没頭して、しばらくの間でも楽しめれば、十分だ」
 どこからかこんな放言が聞こえてきます。

「趣味や生きがい」を「酒」にたとえるならば、「酒ほどおいしいものはない。酒がなくて、なんの人生か。酒飲まぬ馬鹿」と言うのと同じです。

 ところが逆に、「こんな面白い人生に、なんで酒やタバコが必要なんだ」と笑う人もいるのです。

 今の人生を満喫できれば、苦しみやさびしさをごまかす努力は、いりません。
「なんと生きるとは素晴らしいことか!」人生の目的を達成すれば、現在の一瞬一瞬が、かの星々よりも光彩を放つでしょう。

(『なぜ生きる』p.55-57 著:明橋大二・伊藤健太郎、監修:高森顕徹)

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